「インセプション」人はその構造に魅せられる。

インセプション (字幕版)

クリストファー・ノーランという変態理数系監督の繰り出したSF映画

題して『空間認知力検査映画』である。

脳みそグッチャグチャである。

 

空間認知力というのは、例えば頭の中でサイコロをこねくり回せといわれてリアルに脳内再生できるか、または自分の家を地面から引っこ抜いて空中で展開して親父が寝ている部屋に回転する浅田真央をぶっ刺してそこを軸に展開された家を回転させられるか、なんて事に使う。

もっとすごくなると、目を瞑っていても梅田駅を出てヨドバシカメラに寄った後、かっぱ横丁の古本屋までたどり着けるくらいになるとかならないとか。

 

かくいう僕はというと、この空間認知力なるものが皆無である。

頭の中でサイコロを出せといわれても、2Dの絵に描いたようなペラッペラのサイコロがペタッと貼りだされるだけだ。

もちろん浅田真央の顔すら思い出せないし、梅田駅から出ることができずちょっと泣いたこともある。

そんな男が世界一と言われる迷宮都市フェズ(モロッコ)によせば良いのに行ってしまい、まんまと迷って非常に怖い思いをした。

迷宮都市フェズ 皮なめし地区の客引きが噂以上だった - tabing 世界一周

 

 

前置きはさて置き、クリストファー・ノーラン監督はこの空間認知力が異常である。

おそらく梅田駅も新宿駅も渋谷駅もごちゃまぜにした超絶ダンジョンを歩いた軌跡で浅田真央の顔を書けるくらい異常である。

この「インセプション」は「夢」の世界を4段階に構造化するという暴挙の中に、ウラシマ効果的段階時間軸を組み込むというXとYとZとかでもよくわからん次元を超えた空間を彷徨う映画なのだ。

 

 

夢の構造

レオナルド・ディカプリオ演ずる主人公たちは、自分と人の夢の中を行き来できる異能集団。彼らは夢の中に入り込み、アイディアを盗み出す企業スパイである。

ここまでならユング的なSF映画だが、この「夢」の設定がまあ恐ろしい。

 

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夢は4構造になっている。

深部に行けば行くほど、潜在的な無意識の世界である

最深部はフロイトが抑圧された性やエディプス・コンプレックスといった事例で指摘した、自分でも感じ取れないくらい押し込めた部分であり、それでいて人格に多大な影響を与えている部分でもある。

何気ない物や人の言動などで無性にイライラしたり不安になるのは、無意識下に押し込めたある事柄との関連があるからだという説もある。

人が無意識に避けたり反応してしまうという行動の原因が無意識下にはある。

「インセプション」は無意識下に「あること」を植え付けることで、人を操ってしまおうという作戦を描いている。

 

 

時間軸

この4構造は深部に行けば行くほど、時間の感じ方が遅くなるという時間軸の違いがある。


※この動画はかなりのネタバレなのでご注意。

夢の中と現実の時間の感じ方が違うというのは、誰しもが体験したことがあるだろう。

大河ドラマのような壮大な夢を、たった一夜で見てしまうこともできる。内容は覚えていないが。

 

 

主人公の妻という謎 

さらにここに主人公と妻の間に隠されたもう一つの夢の世界が入り込むのだから、もう脳みそ吐いちゃいますよ僕は!

この主人公が犯した罪というのが、そもそも難解な設定を逆行するという関ヶ原においての島津軍の役割を果たす。

 

これは詳細は語れない。主人公の妻という存在自体が、終盤まで、いや2,3回見ないとしっくりこないのだ。

この「しっくりこない感」が絶妙で、映画全体の謎をさらに深める。

 

そう、映画の舞台設定を構造化しただけではなく、見る側の僕達の解釈する段階をも構造化させられてしまうのだ。

これこそがクリストファー・ノーランが僕達に仕掛けたインセプション。

 

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夢の構造✕時間軸✕主人公と妻の謎=感動

この映画の公式はこうだ。

よくよく考えるとストーリー自体は全くブレのない話であるにもかかわらず、頭が痛くなってしまう。

ストーリーの周囲だけがやたらと増殖し、反転し、遅くなったり早くなったりする。

謂わば難解さの構造化だ。

これはシンプルでメッセージ性の強いストーリーというしっかりした芯があるこそできる芸当である。

だからこそ、最後に全てが重なった瞬間、大きな感動がある。

ストーリーはもちろんだが、クリストファー・ノーランが仕掛けた見事な構造の全貌が見えた瞬間の驚嘆に近い感動がそこにはある。

 

 

 

クリストファー・ノーランとホルヘ・ルイス・ボルヘス

今僕が感じている現実というのは、はたして本当に現実なのだろうか?

エンディングロールを見ながら、こんな思考実験をしてしまう。

押井版うる星やつら」や「攻殻機動隊」や「マトリックス」なんかで語り尽くされたパラドックス。

クリストファー・ノーラン監督作品はこういった「ちょっと不愉快なパラドックス」が主題となっている事が多い。

「ちょっと不愉快」というのは、どこかむず痒い感覚だ。

こんなパラドックス、正解など証明できない。だから考えるだけ無駄である。でも自分が存在しているという何よりも疑えないデカルト的な感覚を、少し勘ぐってしまう

この不愉快さはある作家と深い関係があるように思える。

 

 

伝奇集 (岩波文庫)

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クリストファー・ノーランにホルヘ・ルイス・ボルヘスの影響があるというのは確実だろう。本人も広言している。

インターステラーなんてもろに伝奇集にあるしね。

 

マジックリアリズムといわれた南米文学界の重鎮であるボルヘスの作品は、短編だがさらに難解だ。

ボルヘス作品を読んでいると、脳みそがスローモーションでミキサーにかけられたような衝撃、そして現実の曖昧な部分を無理矢理飲み込まされてしまう。

 

クリストファー・ノーランが本当に作りたいのは、こういう作品なんじゃなかろうか?

ボルヘスなんて架空の作家の書評を作品にするくらい現実を弄んでいる。

クリストファー・ノーランには「もう読む側の反応なんてどうでもよい!これが俺がやりたいことなんだ!」という作品を作ってほしいものだ。

 

 

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ウルフ・オブ・ウォールストリートのディカプリオとマッドマックスのトム・ハーディを見たあとだと、いやあやっぱり演技力すげえわと納得してしまうのも見どころ。