後味最悪映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をついに見たので感想をば。

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後味最悪映画として名を馳せる「ダンサー・イン・ザ・ダーク

僕は最近話題の「他者の恥ずかしい現象に共感してしまう奇病」=共感性羞恥に侵されているため、こういう後味悪い家族ものというのは「見てみたいけど嫌だなあ映画」なのである。

でもAmazonプライムで会員無料枠に最近追加されたので、ついに重い腰を上げたのだった。

そして見た。あ~後味最悪。でもとても哲学的な悲しさがあった。

 

北欧が産んだラース・フォン・トリアーという鬼才というかもうおかしくなっちゃった人が監督。

アイスランドの歌姫ビョークが主演。

以下ネタバレ注意!

 

 

 

貧しくとも幸せな親子

内容は目が見えなくなる遺伝性の病を持った主人公のセルマが、愛息ジーン(そのことを知らない)の目の治療代を稼いでいるという話。

チェコからの移民であるセルマは、だんだん視力が悪化していく中、危険なプレス工場で働いている。

だがセルマの周りには、とても優しい良き隣人たちがいた

そしてセルマには、ミュージカルがあった。

セルマはとても幸せに生きていた。

 

 

悲劇の始まり

この幸せな空間が、たったひとつの出来事で一気に崩壊する。

優しい隣人であり、トレーラーハウスを安く貸してくれていた夫婦(ビルとリンダ)のいざこざが始まりだ。

不幸の始まりは、セルマの眼病の悪化、工場でのミス、そしてクビまで一気に転げ落ちていく。

借金に困った隣人の夫ビル(警官)は、セルマが自宅のお菓子の缶の中に金を貯めていることを知り、それを盗んでしまう。

ビルは妻に愛想を尽かされるのが怖くなり、ほとんど目が見えなくなっていたセルマを騙し金を奪う。

しかもセルマがビルをたぶらかし金を盗んだと嘘をつく。

そして悲劇が最悪の結果へと転げ落ちていく。

 

 

優しい嘘

ビルを殺した罪により、セルマは死刑になる。

裁判では、セルマがついていた優しい嘘が尽く裏目に出てしまう。

セルマは息子の目の治療代のために貯金していたことを、チェコの父親へ送金していると嘘をついていた。これは息子が不安になることで、眼病が悪化するためだった。

工場で働くために、視力検査で嘘をついてうまくすり抜けていた。これが「障害者を装っていた」と捉えられてしまう。

一度そう決めつけられると、セルマの行動すべてに疑念の目を向けられる。そして共産主義者などなど様々なレッテル貼りをされてしまう。

優しい嘘と優しい隣人たちは、たったひとつの出来事で正反対に捉えられてしまった。

 

 

 

「後味最悪」の最大のポイント

後味最悪なのはエンディングだと思う人が多いだろうが、僕は「優しい嘘」が現実的な世界で暴露されていく過程こそが、後味の悪さを構成していると思う。

 

「優しい嘘」とはセルマのついた嘘でもあり、周囲の人間がセルマについていた嘘でもある。

貧しい移民の親子、母親は英語に疎く、しかも眼の病気があった。

それでも幸せそうに生きるセルマを守ってあげたいと思う周囲の目は、一種の「憐れみ」であった。

セルマへの「憐れみ」というのは、世界中の宗教にもある「施し」と同意だ。

貧しいものは「清い」、だから施しを与えることは「徳」のある行いである。

だから周囲の人間たちは、セルマを気遣い、愛し、少々の失敗も見逃してくれた。みんなに愛されるセルマと、それを暖かく見守る周囲の人間たち。

セルマと周囲の人間はこのような互酬関係にあった。

 

ビルはこの互酬関係を特に意識していたように見えた。

ビルは警察官であり、セルマに安く家を貸していた。

だからこそこっそり貯金していたセルマを見て、「裏切り」と感じたのではあるまいか?

 

「か弱いが清いセルマ」というイメージが、貯金という行為を知ることで壊された。

金に困っていたビルは、妻との別離を恐れる精神状態の中で、このセルマの行為を裏切りと取った。

「弱っていた子犬を助けてあげていたのに噛まれた」ような感覚。

この(一方的な)施しへの裏切りという感覚は、周囲の人間にも伝搬していく。

 

セルマのかつての上司や同僚、またミュージカルの仲間、誰もがセルマに抱いていたイメージが壊され、それが裏切りと捉えられていく。

本当の理解者たちも、その破滅の連鎖を食い止めることはできなかった。

そして司法までも。

 

この「裏切り」という感覚、誰しもがあるんじゃないか?

ベッキーの不倫なんてそうだ。ベッキーへの猛烈なバッシングは、この「裏切り」という感覚があったように思う。

今やこのイメージは「キャラ」なんて言われる。最近はこの周囲の空気によって勝手に決められた「キャラ」の中に押し込められる人が多い。

 

セルマの何気ない行動は、「KY」な行いだったのだ。

クラスでいじめが広まっていくように、セルマは自らのキャラを逸脱したために、周囲から冷たく無視されてしまった。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を包む重たい空気は、「セルマのキャラを逸脱した行動に対する周囲の反応」のように思う。

そしてそのすべてにセルマが全く気づかないところ(気づかないふりをしている?演じている?)、これこそがあの何とも言えないモヤモヤの正体なのだ。

そしてそして~決定的なのが、あの楽しそうなミュージカルシーンが、例の反応が露骨な時に現れる。

 

この監督、クソ性格悪いわ!

 

 

 

まとめ

暗い、嗚呼暗い。

もう見てらんなくなる。

セルマの天真爛漫さにソワソワしてしまう。

人間と人間の関係の微妙に接する線上で、「気持ち悪いこと」をするラース・フォン・トリアー監督はやっぱり偉大で・・・クソ性格悪いわ!

 

 

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