三大物欲とその対策
物欲、それは資本主義社会で生きる人間として避けて通れない地獄、そして資本主義の燃料。
ある時は労働の価値のエセ物象化であり、ある時は広告による洗脳であり、ある時はただ何となくである。
怖い、ああ怖い物欲。そんな物欲に負けないために、三大物欲を提示し、その傾向と対策(根性論)を考えてみた。
※消費自体はデフレ・JAPANでは大変良いことなのだが、ここでいう物欲とは普段の生活に支障をきたすくらいアレもこれも欲しいとのたうち回る症状を指す。
流行物欲
一番レベルが低いとされる物欲。
「あ、これ流行ってるやつじゃん!」とニューバランスのスニーカーを手に取るその瞬間、巨大な広告業界のブラックな魔術にハマってしまっている。
同質性をとことん求める日本人には、この上なく効くのは言うまでもない。
芸能人が身につけていたり、美魔女が使っていたり、おしゃれな友人が買っていたり・・・それ全部広告による無意識への産み付けによるものである。
もう知ってる時点で負けなのだ。
そもそも消費とは記号を買うことであるとボードリヤール先生はおっしゃった。
商品がほしいのではなく、その商品にひっついている「記号」がほしいのだ。
金持ちがベンツを買うのも、OLが無理してブランドバッグを買うのも、それは「記号」を求めての消費なのである。
ベンツに乗ってる=金持ち=成功者であり、ほんとそう見えちゃうのが記号の力。
その記号パワーを強くするために、企業は膨大な資金を広告に投入するのである。
この記号パワーの最強種族こそ流行なのである。
「バスに乗り遅れるな!」と国を傾かせた某国のように、とにかく流行に乗らなきゃという強迫観念がそこにある。
そして流行の先には、祭りのあとのような悲しさが・・・
対策「流行した時点で賞味期限切れ」
・・・と強く念じることである。なんせ流行はわんこ蕎麦のような波状攻撃。もはや輪廻転生である。
なぜなら流行はあまり長く続くのも良くない。毎年「今年流行る色」が変わるのも、とにかく次々と何かしらを買わせたい。
なので流行した時点で、もう次の流行の波は立ち始めている。そしてかつて流行したものは飽きさせたいし捨てさせたい。なぜなら皆がそれを長く使用すれば、次の流行が沸き起こらないからだ。だから流行したものはダサくなるのだ(数十年後にリバイバル復帰するが)
よって「流行したものは、すでに腐りかけ」なのである。芽が伸びたジャガイモでも、ピンクのカレーでも、酸っぱいモヤシでもなんでも良い。その姿を想像し、「腐ったものを買うのか俺は!」と強く念じることで流行物欲を退治できるはずだ。
だが、腐りかけではなく新鮮なものを求めるニーズすら把握されているのも言うまでもない。
そこにモロにハマっているのが、僕である!
収集物欲
こち亀のマンガの背表紙、あれ全部揃ったら圧感だろう。
あの感じこそ「収集物欲」である。
単品でなく、バリエーション豊かにすべて揃えることで、その全貌が初めて明らかになると勘違いする物欲である。
これはまさに莫大な金を要す、恐るべき物欲だ。
このコンプリート病は、相応の知識も付随する。
「この年代までの~」とか「このロゴの色が~」とか言い始めるとキリがない。
知識が増すほど、物欲が増していく。
しかも知識の増加に伴い、今まで見えていなかった領域が出現し、ある程度行くと後戻りできなくなってしまう。ドラクエ7かよ!
人間は、それまでの労力とカネと時間を考えるだけで異常なバイアスのスイッチが点火し、もはや暴走特急となって銀河の果てまで突き進むしかない悲しい生き物。
収集物欲は、時間的にも空間的にも「答え」が見出しづらい。
収集物によっては、これからもどんどん増えていくものもあるだろうし、古ければ需要と供給のバランスによって労力と費用がどんどん増えていく。
自分という主体から全方位に果てしなく広がっていくさまは、物欲ビッグバンともいえる。
対策「デアゴスティーニだと思え」
デアゴスティーニとは、最初の一巻だけべらぼうに安くなるアレである。毎号集めると対象のさらなる理解が深まり、毎号集めると少しずつパーツが増えて最後には完全体となる物体Xが手に入る。
さあ、自分の周りでデアゴスティーニを最後まで買ったという人間は存在するだろうか?
おった!だが、その総費用と時間を見よ!
フェラーリの模型に総額184550円である!
ほんの些細なきっかけで、模型に184550円も払い、さらに莫大な時間と労力を得て、君はそこまでフェラーリを知りたいのか!!!!
立てよ国民!本当にそこまでの決意があるならばこそ、その対象を集めたまえ!
レベル上げ物欲
全国1500万人の「兄貴にドラクエのレベル上げやらされた被害者の会」の方たちには身に沁みているであろうレベル上げ。
ポケモンなんかだと、進化しちゃうもんね。
物欲にも、そんなレベル上げがある。
代表的なのはカメラである。
カメラの購入理由は色々あるだろうが、だいたいが「家族を撮りたい」とか「旅行先の記録に」とかそんなもんだろう。
そのはじめの一歩、「ぽちゃん」という音がする。
そこは死屍累々の「レンズ沼」と呼ばれる底なし先なし沼である。
レベル上げ物欲は別名『沼』と呼ばれている。
誰もが最初は数万円のコンパクトデジカメやエントリーモデルの一眼デジカメなのだ。
だがその写りを見て、はじめの二歩を踏む人。
「わあピンぼけばっかり」「暗いとシャッター切れない」「逆光で真っ暗」「なんか思ってたのと違う」・・・
「ボチャン!」という音、レンズ沼に足を取られた。
その後はカメラ雑誌を立ち読みしたり、ヨドバシカメラ(レンズ沼から派遣された死神)に向かえば、あなたはレベル上げ物欲に取り込まれる。
F値、ISO、単焦点、やっぱりズーム、広角かぁ、AFが遅い、三脚、マクロもほしい、ペンタックスも良さげ、PLレンズがないとね、森山大道、モノクロ、色の写りが悪い、RAWってなんだ?、Photoshop、ダイアン・アーバス、大三元高いわ!、結局フィルム、Leica、ズミクロン、現像してみたい、Leica、ローライフレックス、Leica、嗚呼Leica、Leicaしかないのか?・・・
こうしてレンズ沼にハマっていくと、そこにはレベルという階層があることを知る。
経験値とマネーにより、格式高く決められたその階層は、そびえ立つ岸壁のように見えて、光の届かないくらい深い深い沼の底である。
何万回ものシャッターと莫大な散財という果てしないレベル上げにより、物欲はより強度を増していく。
代表的なレベル上げ物欲は、他にも課金沼や自転車沼、オーディオ沼(神の領域)が存在する。
対策「限界突破後の風景を冷静に眺める」
カメラの限界突破。
オーディオの神域。
百聞は一見に如かず。
まとめ
そういって僕の「Amazonほしいものリスト」はどんどん肥大化していくのであった。
デフレ・JAPAN脱却のため、みんな欲しいものを買おう!