家族映画としてみる「ゴッドファーザーⅡ」~ビトーとマイケルの違い~

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ゴッド・ファーザーPART2」を再見した。

かの映画は、語るまでもない名作、しかも続編モノの数少ない傑作という伝説的存在である。

この名作をマフィア映画としか思っていない人が多いが、これは純粋な家族愛をテーマにしたシチリア移民版サザエさんなのだ。

マフィア映画ではなく、家族愛をテーマとした視点で考察をば。

 

 

 

 

偉大な父、不器用な子

主人公はアル・パチーノ演じるマイケルである。

マイケルはとにかく不器用で不憫極まりない悲しい男だ。

マイケルは偉大な父ビトー・コルレオーネから、シチリア移民マフィアのドンの座を継承する。

ビトー・コルレオーネは貧しいシチリア移民の身から、一代でアメリカ五大ファミリーの一角に陣取る巨大組織を作り上げた男だ。

マフィアのドンでありながら、家族や部下はもちろん市井の人々からも大いに尊敬されていた。

 

そんなビトー・コルレオーネには四人の子供がいる。

短気で暴力的な長男のソニー、優柔不断で見栄っ張りな次男フレド、大学出で冷静沈着な三男マイケル、感情的で好色な長女コニー。(キルゴア中佐は置いておきます)

誰も一癖ある子どもたちだが(どんな教育してたんだ)、ビトーはそんな子どもたちからも尊敬され、仲睦まじい家族を作り上げていた。

長男ソニーが抗争のため命を落とし、ビトーもその後亡くなる。

あとを継いだ三男マイケルは、偉大な父が作り上げたファミリーを守るため、マフィアの世界へ歩み出す。

 

マイケルはすぐに頭角を現し、ビトー以上に闇社会で成功する。

だがファミリー、特に家族は、そんなマイケルから少しずつ心が離れていく。

偉大な父に近づき、ファミリーを強くし、家族と幸せに暮らしたいと願い必死に働くマイケルだが、その目的のために手段を選ばない冷酷さから、次々と周囲の人間が遠ざかっていく。

結局、妻と離婚し、そして最大の悲劇を迎える。

 

 

ビトーとマイケルの違い

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父と子の違いは、目的への手段だ。

ビトーは目的に向かう前に、必ず人々の面子を立てるように根回しをした。できるだけ後腐れなく、WIN-WINの関係の構築を目指した。時間はかかるが、ビトーは自分の縄張りの中では誰からも尊敬を受けた。

マイケルは目的に向かって最短距離で一気に攻め立てる。そのおかげでファミリーは急速的に成長するが、その分たくさんの恨みを買うことになる。恨みを買うことにより緊張が増す。マイケルはファミリーを守るため、さらに権力を得ようと戦い続けることになる。

ビトーは「関係」を手段として用いた。ゴッドファーザーとは、調整役として有能で公平なビトーに送られた言葉でもある。

マイケルは「恐怖」を手段に用いた。武器(資金)をちらつかせた交渉や、相手の弱みを握り、時に殺人も行いながら、パワーバランスを一気に破壊し頂点を目指した。

 

マイケルは、ビトーとの違いを「時代」と評した。

たしかに時代は大いに影響している。戦後好景気のアメリカでは、闇社会のビジネスが大きく転換(カジノやマネーゲーム)した。それに取り残されないようにするには、時間は大変貴重だった。

だが、父ビトーを慕う家族やファミリーには、マイケルの家族愛は冷酷に写ってしまった。

 

ここで大事なのは、ビトーとマイケルは全く同じ家族への愛があるということだ。

経済的に豊かになれば、家族はより幸せになる。ファミリーが強くなれば、家族は安全に暮らせる。そのために二人は戦ったのだ。

それなのに、マイケルは父と違ってどんどん恐れられ、孤立していく。

マイケルにしてみれば、父と全く同じことをやっているという認識しかなかった。

家族からしてみれば、どんどん闇社会で強権を振るうマイケルを恐れ、それによる復讐の連鎖を恐れた。

成功しているにも関わらず、偉大な父と比較され、孤立していくマイケル。

彼はこのギャップに最後まで気づくことができなかった。

家族もこのギャップを埋めることはできなかった。

これこそ、偉大なる父ビトーの残した負の遺産だった。

 

戦国武将の黒田如水は、死ぬ間際にやたらめったら家臣や家族に悪態をついたそうだ。

家臣に諭され悪態を止めるよう言いに来た息子長政に、如水は「自分が死した後に家臣たちがお前に忠誠しやすいよう取り計らった」と話したといわれている。

ビトーは完璧すぎる父のまま死去した。ビトーは、後継者指名の際に如水のように何か手を打つ必要はあったかもしれない。溺愛していたマイケルが、そのことで大いに苦しむとは、さすがのビトーも解らなかった・・・というところがこの映画の面白いところであり、タイトルの素晴らしさなのである。

 

 

 

構成で語る家族愛

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そしてこの異なる家族愛を、巧みな構成で物語っていくコッポラ監督の名裁き!

マイケルが孤立していく姿と、ビトーの出生から成功していくまでの足取りが交互の流されていく。

父が作り上げたファミリーを受け継ぎ、闇社会での成功とそれに反してバラバラになる家族、その苦悩を噛み締めるマイケル。逆にシチリアから逃げ出し、無一文の子供でしかなかったビトーが、人々の助けを借りながら成功していく様。

この落ちていくマイケルと、成り上がっていくビトーのエピソードが絶妙に交差していく。

妻や子どもたちが離れていくマイケル、子供や仲間がどんどん増えていく若きビトー、構成の妙でまるで親子が逆の道を歩んでいるようにみえる。

闇社会での成功と家族からの孤立というマイケルの物語、そのどちらも掴んでいくビトーの物語、これにより先程のギャップをより明確になる。

謂わばこのビトーの物語は、マイケルにとって呪いなのだ。

マイケルの目指すものこそ、若きビトーの物語である。だがマイケルは仕事・家族の両方を得ようとし、どちらも失敗していく。仕事では闇社会にどっぷり浸かっていき、家族はいなくなった。

この構成により、鑑賞者はマイケルに感情移入させられてしまう。

闇社会のドンに上り詰めたマイケルだが、最後まで偉大な父が作り上げた物語から決別することはできなかった。

エディプスコンプレックスに呑まれたマイケルは、結局のところビトーの亡霊に立ち向かおうとはしなかったのだ。

そこにこそ、マイケルの悲劇がある。

 

 

まとめ

 

まあ結局のところ最後にまとめると、若きビトー・コルレオーネを演じる若きロバート・デ・ニーロがカッコ良すぎというところだ。

四の五の言わず、刮目してデ・ニーロを見よ。

特に肺炎で苦しむフレドを心配そうに見つめるデ・ニーロの演技が素晴らしい。父親になって感じるデ・ニーロの深み。脱帽。絨毯盗んできます。

 

 

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