脳内バックパッカー

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映画『ダンケルク』は戦争映画ではない。

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久しぶりに映画館へ行った。

クリストファー・ノーランとハンス・ジマーのコンビは映画館で見なければならない。

2Dだったけども、本当はIMAXシアターに行きたかった。

つうかIMAXで見なければ、死ぬまで後悔しそうだ。

でも、とにかく歴史を変えるような映画であったのは間違いなく、そして珍しくガイドブック買っちゃった。

 

 

【目次】

 

 

映画を見る前に

※ここからはほぼネタバレ無し

僕は身銭を切って映画を見に行く場合、一切の情報を得ること無く、素っ裸で突撃するのが常なのだが、この映画は「ダンケルク」とは何か?そこで何が起こったかという歴史的事実と背景は知っておくべきだ。

なぜならあとでも書くが、この映画は「ありのまま今起こったことを話すぜ」的な説明くさい情報はない。クリストファー・ノーラン映画に、ボルナレフは不要なのである。

最近の映画に顕著だが、何かと状況説明が入る風潮をクリストファー・ノーランはガン無視した。

 

だが「殺風景なビーチで大勢の兵士が終業式のように一列に並んでいるシュールな光景」の理由を知っておけば、映画の楽しさはぐんと跳ね上がる。

 

ダイナモ作戦 - Wikipedia

前情報はウィキペディア先生くらいで良い。グーデリアンとかまで広げていくと、夜寝られなくなるので注意。

 

 

非戦争映画にして、新しい映画の姿

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クリストファー・ノーランは「この映画は戦争映画じゃない。サスペンスだよ」と言った。

この映画はサスペンスらしい。

映画を見たあと、この一言は全身全霊で納得である。

簡単に言えば、この映画は「体験」だ。

戦争体験ではなく、「体験」である。

 

戦争映画は、「プラトーン」や「ディア・ハンター」などの名作はもちろん、「地獄の黙示録」や「戦場のはらわた」などの怪作ですら、「戦争へのメッセージ」が含まれている。

平和、死、人間の残虐性、戦争の恐怖、戦争の不毛さ、指導部の無能さ、下士官の哀れな死、兵器の破壊力、上官の罵詈雑言、ナパームの臭いは格別、ベトナムでもサーフィンできるんだなあ、太り過ぎなグリーンベレー、デニス・ホッパーの体臭、イカれる監督とその監督を撮る妻・・・おっと途中で個人的趣向に逸れてしまったが、まあこんなメッセージ性がどこかしらに挿入されているのが戦争映画であり、戦争映画を作る大義名分でもある。

ただドンパチやるだけならスティーブン・セガール映画のようになってしまうし、逆にメッセージを込めすぎると「ある種の制約」に縛られてしまう。

そんな戦争映画カテゴリーをスピットファイアで蜂の巣にしたのがこの映画である。

では、この「体験」を演出する3つの重要項目で上げてみた。

 

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①個人の視点の集合体

クリストファー・ノーランはすべて「体験」のみを切り取ってこの映画を構成した。

この映画は、戦争映画にありがちな情報がほぼない。

まず代表的なのは、「敵兵の姿が見えない」のだ。

英仏軍とナチスドイツ軍の戦いなのだが、ナチスドイツ兵の姿は全編通じてシルエット程度しか現れない。

砲弾や爆撃機は飛んでくるが、視点は全て英仏軍の一兵士の目線だけである。

カメラは一切ドイツ兵を映さないし、ドイツ兵の視点すら排除されている。

 

よって戦争映画にありがちな、全体を見渡す俯瞰の視点がない。

将軍や作戦会議や総統のお姿も無い。あるのはダンケルクにいる兵士たちとそこを目指す英国人のみだ。

俯瞰の視点は状況説明に適している。敵味方の違いや、空間の違う場面がある戦争映画ならば、情報の整理がなければ何がなんだかわからなく可能性がある。

だが「ダンケルク」は、一兵士や救助に向かう市民たち個人の視点=体験の集合体なのだ。しかもこの体験を違う時間軸を入り混ぜている。普通なら着いていくのがやっとになりそうな映像だが、そこが「ダンケルク」の最大の見所である。

 

唯一整理されているのは、「空間と時間」の設定だ。

①ダンケルクの浜で待機している兵士たちの一週間

②英国本土からダンケルクへ救助に向かう民間船の一日

③英国本土からダンケルクへ援護に向かう戦闘機の一時間

この3つを複雑に混ぜながら、映画を進行していく。

時間軸も実際の時間ではなく、時折前後する。

この時間の使い方がとても巧妙で、A場面で起こったことがB場面で正反対の意味になっていたり、A場面で安心したことがB場面で大変なことだった!ってことも。これは是非本編で「はぁあ!?」ってなってほしい。

 

この3つの視点と時間で起こる体験の断片を複雑に、そして速射砲的に打ち込むことで、実際の戦場にいるという体験を越えた「生身の体験」へと昇華していく。

この「生身の体験」へと昇華させていく構成は今までの映画の破壊そのものにして美しくもあるが、それを完璧に近づけるのはキャスティングだ。

 

 

②キャスティングの妙

この映画の主役たち、特に①のダンケルクの浜にいる一兵士を演じたのは、ほぼ無名の俳優だ。

※スーパーアイドルである元One Directionのハリー・スタイルズもいるが、演技は初めてだし、アイドル感一切ないのでご安心を。

よって穿った見方をする僕のようなやつでも、主役たちがいつ死ぬのかさっぱりわからない。

日本のサスペンスドラマなんかだと、俳優を見るだけで重要人物がわかってしまうが、あの感じは一切ない。

現場の最高指揮官などの重要な役は、それに見合った配役だ。

もちろんクリストファー・ノーラン御用達の俳優もいる。

 

クリストファー・ノーランが無名の若い俳優を使ったのは、実際の兵士たちと近い年齢の若者が演じるからこそ、というのがあった。

ついでに「ハリウッド映画で年取った俳優が若作りメイクして若者演じるの可笑しくない?」的な意見もあったとか。

 

映画を見ると、演技以外のイメージをほとんど排除した配役により、「一兵士」を完璧に映し出せたと思う。

「一兵士」を描くのは、意外に難しいことだと思う。「一兵士」とはその他大勢であり捨て駒であり戦争そのものであるが、少しでも強い個性が入ると「一兵士」ではなくなる。

「一兵士」を描いた名作といえば、「プライベート・ライアン」だが、プライベート・ライアンは「一兵士」が主役であり、「一兵士」だけを描くからこそ、「一兵士」たちのエピソードを積み重ね、「一兵士ではない一人の人間」として描いていた。

だが「ダンケルク」は、「一兵士」を描きたいわけではない。戦争そのものを映像化し、それを観客に「体験」させることが主目的だ・・・とおもう。

 

なので、「ダンケルクの一兵士」たちの個人的エピソードは一切なく、エキストラの兵士たちと対して情報量は変わらない。というかまずセリフすら無い。主役の子のセリフは原稿用紙一枚無い。

普通の戦争映画の流れ弾で死ぬそこらの一兵士が、主役なのだ。

 

こんな大規模な映画でこのキャスティングができるってのが、大監督である証であり、作品への強いプライドを感じる。そして俳優に対する信頼感のなせる技でもある。

邦画もこっちの路線で頑張って欲しいものだが・・・

 

 

③CGほぼなしのガチンコ映像

そして「ダンケルク」というかクリストファー・ノーランの真骨頂といえば、CGを極力使わないガチンコ撮影だ。

「ダンケルク」では、大解像度を誇るIMAXのフィルムでホンモノのスピットファイアを撮った。

あのスピットファイアだよ。そもそも実機があったのかよ!

 

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スピットファイアといえば、第二次世界大戦の英国の主力機。日本でいうゼロ戦だ。

現在のCG技術はホンモノと見間違えるほどだが、やはり実写でしかも実機ともなれば、さすがの現在の技術でも勝ち得ないだろう。

 

パンフレットによれば、兵士役のハリーくんがクリストファー・ノーランに靴紐の結び方を注意されたとか。当時の兵隊の靴紐の結び方すら調べている監督のホンモノ志向は、映像の随所に観ることができる。

なんせ実際のダンケルクで撮影しているのだから。

 

 

 

以上のように、「ダンケルク」は徹底した「体験」をさせるための実験映画のようだ。

お気づきだろうが、現在、というか今までの主流であった映画の手法をすべて無視した映画だ。

状況説明や著名な俳優やCGを使わないことで、観客に今までにない体験をさせる。

この映画には「あるある」すらないのだ。

 

主人公がいつ死ぬのかすらわからない。なんせその辺の兵士と何も変わらないからだ。主人公がどこの生まれでどんな家族構成で何のために戦争に来たのか、一切わからない。もちろん主要キャストの殆どが同じ条件だ。

だから普通の映画では主要キャストが絶対死なないであろう銃撃や爆発ですら、毎回ドキドキする。

何が起こっているかもよくわからず、そして脚色のほとんどないリアルな戦場がただ存在している。

この映画の主役は「観客」である。観客一人ひとりが主役なのだ。

 

 

まとめ

 

DUNKIRK

DUNKIRK

 

兎にも角にも素晴らしい映画であり、ちょっと革命的な映画であった。

そして劇場で見たい映画でもある。

昨今の量産型映画では感じられないリアルさがある。

もう映画は古い。あらゆる手が尽くされ、もはや「あるある」のパズルのようだ。

そこを割り切ってキャストや話題性頼りの映画・・・にもう飽き飽きした皆様、この「ダンケルク」はまさにこれからの映画の指標になるかもしれない。

こんな映画は最近では、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」くらいだ。

以上、静かなマッドマックスこと「ダンケルク」の感想でした。

 

 

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