「ラ・ラ・ランド」=夢と現実と犠牲
ついに「ラ・ラ・ランド」がAmazonプライムビデオで見放題になった。
基本的に映画を鑑賞する前に事前情報はほとんど入れない方なので、「ミュージカル仕立ての恋愛映画」くらいにしか思っていなかった。
ただラ・ラ・ランドのデミアン・チャゼル監督の前作「セッション」が最強に狂気の沙汰であったため、彼の人が恋愛映画を撮るとどうなるのだろうという怖いもの見たさがあった。
が、これはそんな簡単な代物ではなかった。
目次:
夢と現実
今作のテーマは『夢と現実』である。
使い古されてブックオフで平積み105円コーナー行きのテーマではあるが、今作はこのテーマを二段構えにするという奇策に出た。
古き良き時代のJAZZ BARを経営したいという夢(一度失敗済み)を持つセブ(ライアン・ゴズリング)と、女優を目指すがオーディションに落ち続けているミア(エマ・ストーン)が主人公だ。
舞台はロサンゼルス。夢と金と挫折の街である。
お互い夢に挑み続けるも、全く相手にされていない挫折の日々を送っている。
二人の出会いは最悪なケースではあったが、同じ挫折感を味わう二人は次第に惹かれていく。
まあ、ここまではよくある話だ。
彼らはお互い切磋琢磨し、夢へ果敢にアプローチしていく。
だが二人の夢へのアプローチ方法は少し違っていた。
ミアはかつて脚本の才能があると言わたことがあった。セブはその才能を引き出すため、ミアに一人芝居をすることを勧める。
ミアは一人芝居を行うが評価は芳しく無く、「もう恥をかくのはたくさんだ」と夢を諦めてしまう・・・が、その一人芝居を見に来ていた客によりオーディションに呼ばれ、見事女優への道が開ける。
セブは、古き良き時代のJAZZを愛す男であったが、夢であるJAZZ BAR経営のための資金稼ぎに、プライドを捨て大衆受けが良いバンドに加入する。
バンドは成功するが、そのことにより多忙となり、ミアとの間に亀裂が生ずる。
ミアはオーディションという受け身の立場から、自らを積極的に宣伝することで夢を掴みに行った。
セブは少し遠回りをして現実的な作戦に切り替えた。名を売り金を稼ぐため、自らの主義を改変した。
夢と現実と犠牲
ミアは主義を変えてまで現実的な作戦に切り替えたセブに困惑する。また不本意に参加したバンドが成功し、多忙になっていくセブへの嫉妬もあっただろう。
セブは、ミアの夢を応援しながらも、ツアーで飛び回る自分についてきてほしいと願う。セブは現実的な作戦に切り替えたことで、ある程度の安定を手に入れ、ミアとの「現実的な生活」を視野に入れていたのだろうか?
またセブは穿った見方だが、ミアが成功するとは思っていなかったのかもしれない。無名のミアが一人芝居をした所で、大きな成功につながることはないだろうと。
お互いが夢のために相手を必要としていた。
だがそのためには相手の夢を諦めさせなければならない。
この大きな矛盾こそ、「ラ・ラ・ランド」の最重要テーマである。
結局、二人は夢を勝ち取るが、二人の関係は破綻してしまった。
最後のシーン。
ミアはセブではない夫とともに、セブの夢が実現したJAZZ BARに偶然立ち入る。
二人は会合し、そして『夢』が流れる。
それは二人の関係が続いている夢だ。
大女優となったミアに寄り添うセブの姿がそこにある。
これが誰の『夢』なのか?二人のうちのどちらの回想なのか?
これは大いに議論のあるところではあるが、僕は二人の『夢』であると思う。
このシーンでは、二人が出会い、ミアがセブの協力の下オーディションに合格しパリへ向かう。
セブはミアと共にパリへ向かい、パリのJAZZ BARでピアノを引きながらも、ミアに寄り添う。二人は結婚し、子供を授かり、セブの夢であったJAZZ BARにそっくりな店へ入っていく。二人は演奏を楽しむ。そのセブの顔には何の悔恨すら無い。
これは「ミアのために夢を諦めたセブの姿」である。
一見、ミアの希望であるように見えるが、セブからすると「夢を諦めてミアと共に生きる」というもうひとつの【夢】のように思える。
二人は最後に目を合わせ、ニコリと微笑み合う。
この笑みは、お互いが夢を叶えたことへの喜びなのか、それとも・・・・?
という素晴らしい幕の引き方で最後を迎える。
まとめ
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このバッドエンディングとも取れる終わり方には、賛否両論あるようだ。
が、これは夢と現実を両方満足した形で手に入れることはできないという人生の奥深さを表しており、だからこそ『夢』を追う人間は素晴らしいという人間讃歌のようにも思える。
昨今の「出る杭は打たれる」や「失敗したものを吊るし上げる」ような世情において、この物語が与えた衝撃は大きいと思う。
彼らは失敗を恐れず、大切な人を捨ててまで夢を勝ち取った。
安易な合理化で自分を守ることを拒否したのだ。恋や家族や安定した生活のために夢を諦めることは多々ある。それを言い訳にしてまでも。
最近の映画やメディアの論調は、この合理化を是としていることが多い。誰もがほっこりするハッピーエンド、調和した世界、そこには安全欲求を求める人々の「夢」がある。
だがミアとセブは、個人の夢を求めた。そこはほとんどの人間が失敗と挫折を恐れ、立ち入らない世界だった。
このラストの受け止め方は、人によって全く違うものになるだろう。
安定を求める人、夢に挫折した人、夢から逃げた人、夢を勝ち取った人、そして夢のために現実を捨てた人、そのどれが正解とは言えないところが人間の生き方なのである。