インドで仏教が衰退した理由が「一発屋のロックバンドみたい」で意外だった

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去年のMyスゴ本である『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』を読み、ずっと疑問だったことが再燃した。

僕はインドを2回訪れ、ほぼ一周駆け足と下痢腹で回ったのであるが、そこに仏教は殆ど見られなかった。

仏教的な存在があったのはブッダが悟りを開いた地であるブッダガヤーぐらいで、現地の人曰く「ブッダはヒンドゥー教の神様の一人だよ」とのこと。

今回、身近にある仏教のことを全然知らないことを悟ったので、インドについて勉強してみた。

すると、インド仏教が衰退した理由が、悲しいくらい一発屋のロックバンドみたいだったので紹介してみる。

 

 

 

 

仏教はインドで生まれた

ブッダ伝 生涯と思想 (角川ソフィア文庫)

ブッダ=ゴータマシッダールタ(紀元前5世紀前後)は現在のネパールにあるルンビニで生まれた。

が、当時はインド文化圏というかインドといっても良い状態だった。

ブッダの生涯は中村元先生に譲るが、要するにブッダはインドの地で悟りを開き、インドの地で入滅した。

ブッダ入滅後、仏教はインドで拡大し、当時の王朝(紀元前3世紀マウリヤ朝:アショーカ王)で国教扱いされたりとけっこうウハウハだったのだ。

そんな繁栄していた仏教であるが、1200年頃インドに侵入したイスラム勢力により徹底的に破壊され、インドの地から姿を消した。

と、我々は歴史の授業で習った(覚えてる?)

 

・・・でもまてよ

そんな国教になるくらい栄えていた宗教が、綺麗さっぱり消えてしまうということなんてあるのだろうか?

インドは現在でも数え切れないくらい多くの宗教がある。それなのに、仏教はほとんど廃れてしまったのだ。

 

 

仏教が廃れてしまった理由

そんな隆盛を誇った仏教だが、一気に凋落し、母国であるインドでは現在ほとんど信仰されていない悲しい歴史をたどることになる。

その廃れた理由を綴ってみよう!

 

 

①仏教はブルジョア宗教だった

仏教が興る前、インドを支配していた宗教はバラモン教であった。

バラモン教は、インドに侵入したアーリア人が作った宗教だ。紀元前13世紀頃、現在のイラン周辺にいたアーリア人がインドに侵入し、先住民族を支配するためにカースト制度につながる階級社会を作った。

アーリア人が先住民族と混血し、先住民族の宗教も取り入れていく上で、アーリア人=最上位のバラモンとなり、武士や商人や奴隷といった階級が生まれた。

 

仏教が興ったのは、このバラモン教の教えと社会に歪みが生まれたときであった。

インドは民族や言語、宗教が入り乱れ、近代国家的な国家意識が脆弱な地域だ。ようやく統一王朝ができ始めたのは、マウリヤ朝などであるが、この統一王朝=中央集権国家が誕生した時期と仏教の拡大は一致する。

統一感のないインドを統治するのは非常に大変であり、それを中央集権国家にするには非効率的な障壁が多かった。

それがバラモン教とカースト制度だった。

祭事にこだわり強固な身分制度があるバラモン教は、バラモンより下位の階級であるクシャトリヤや異民族出身であった王にとって大きな障壁となっていたのだ。

 

仏教はバラモン教やカースト制度を批判していた。

仏教は平等を説き、正しい生活をすることで悟りを開くことを目指す宗教であり、簡単に言えば「宗教というよりも合理的なライフハック」であった。

時の権力者は、合理的な中央集権国家を作りたいという想いがあったので、仏教とは非常に親和性があったのだ。

 

さらにここに目をつけたのが「商人」であった。

仏教が興ったのは、ギリシャのアレキサンドロス大王のおかげ?で開かれた西方への貿易が最盛期だった時期とも一致している

貿易の活性化で、貨幣経済が浸透し、莫大な資産を持つ商人が誕生していた。

商人は経済合理性を求めるので、そことも仏教は親和性が高かったのだ。

仏教は長者スダッタの寄進のエピソードが代表するように、商人からの莫大な援助により繁栄していくこととなる。

こう見ると、仏教は国家の誕生と共に広まったとも捉えることができるし、逆に国家の誕生により生じた社会の大きな価値観の転換により生まれたとも考えられる。

※近代国家とは違う都市国家という意味だよ

が、これはすべて諸刃の剣であった。

 

②大衆を相手にしない「意識高い系」宗教だった

合理性によって繁栄した仏教だが、次第に意識高い宗教となり、難解な哲学のような教えへと変貌していく。当然、庶民にはそんな難しいことはわからない

しかし、当時の仏教は悟りを開くことが目標であるので、僧は巨大な寺院の奥深くで瞑想や哲学的な世界へと傾倒していくだけであった。

 

また仏教の合理性は、インドの風土に合わなかった。

インドは過酷な風土だ。雨季には大雨がふり洪水が町を襲い、暑季には40度を超え全てを干上がらせる。

このような環境にあって、苦しむ人を救うためにブッダは悟りを求めたが、庶民にとっては古くからあるバラモン教の祭事がわかりやすかった。

バラモン教の祭事は、動物の生贄を殺したり火を崇めたりと、一見非合理的に見えるが庶民にはただ瞑想している仏教僧よりも「すがり甲斐」があったのではなかろうか?

 

③マネーに溺れる

最大の庇護者である権力者や商人から土地の寄進を受けた仏教教団は、その土地を小作人に貸出したり、金貸しのような事をやり始めた。

庶民を救うはずが、自らが庶民から利子を搾り取る側になってしまったのだ。

庶民を救うのではなく、そこから得たマネーで生活を安定させ、瞑想や哲学に耽っていた仏教教団は急速に支持を失っていく。

だがこれは原始仏教では仕方がないことでもある。当時の仏教では、悟りを開くために俗世間から離れて暮らし、瞑想などの修行を行うことが尊い行いであった。庶民にはできない厳しい生活をするからこそ、托鉢や寄進などで人々から生活の糧を得るというのが修行であったからだ。

しかし、インドの最大の貿易相手であった西ローマ帝国が滅亡すると、庇護者であった商人が没落してまう。

ここでさすがに「ヤバイ!」となるのだが、もうすでに時遅し感が半端ない。

 

④大衆迎合するも失敗

グプタ朝(320年~)が成立すると。権力者からの寄進もなくなり、いよいよ存続の危機!

ここで教団は急に大衆迎合作戦を開始する。

まず、あれだけ否定していたバラモン教のような呪術的な要素を取り入れていく。

すでにオワコン感が漂っているが、ここで生まれたのが密教である。

密教の神々や護摩行などの行為が、バラモン教に似ているのはそのためだ。

 

さらにここでやっと我らが大乗仏教が興る。

大乗仏教は、個人の悟りを開く事を是とした上座部仏教(かつての小乗仏教:現在スリランカやタイ)とは違い、大衆を救う運動を始めた。

大乗仏教ではお経を唱えるが、原始仏教は黙して瞑想が基本。お経はありがたい感じがするし、集団で行えるので、大衆受けが良かったのだろう。大乗仏教は、それまで無かった葬式などの儀式も取り入れていく。

さらにインドの様々な宗教を取り入れてしまい、ちょっとムフフなタントラや、酒やドラッグOKなトリップ系仏教なんかも生まれて、もうオワコン感全開の堕落の道へと進んでいったのだ。

 

そしてイスラム勢力の徹底的な破壊がトドメになり、仏教はインドの地から消え去った。

しかしイスラム勢力はバラモン教のバージョンアップ版であるヒンドゥー教にも激しい弾圧を加えたが、ヒンドゥー教は今でも隆盛を誇っている。

 

 

 

まとめ

なんか一発屋のロックバンドみたいだが、ここでインド仏教が廃れてしまった理由をまとめると・・・

「時代に乗って流行したが、金を持ったせいで大衆から離れていき、気づいたときにはもう遅く、色々やってみたが駄目でした」

悲しいかな、インド仏教はこうやって消えてしまった。まさに生者必滅の理、諸行無常ですな。

しかし、これは仏教が駄目になったという意味ではない。

その後、仏教は南に北に広がっていき、最果ての日本までたどり着いた。

だいぶ、原始仏教とは違ってしまったが、これは原始仏教の失敗から学んだ結果かもしれない。現地の習俗や文化を取り入れることで、仏教は広がっていったのだ。悪人正機なんてずいぶん日本らしいじゃないのさ!

さらに今は「マインドフルネス瞑想」のように、欧米でも仏教が流行っているとか。注意点は大乗仏教感覚で欧米人と話すと「?」になるので気をつけよう。

以下に参考文献とおすすめの本を紹介する。

 

 

反応しない練習」は原始仏教に近く、非常にわかりやすい本で、宗教というよりもライフハックだと思えば現代でも十分すぎるくらい通用する。

宗教にアレルギーがある人にもオススメ。

 

 

古代インド (講談社学術文庫)

古代インド (講談社学術文庫)

 

インドと仏教のことなら中村元先生!

日本に馴染みのない原始仏教の研究者として有名。

原始仏典」「ブッダ伝 生涯と思想」もわかりやすい良書。

この記事のインド仏教衰退の理由は、中村説から取っています。

 

 

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

 

葬式=仏教ではなく、原初の仏教はライフハックだったわけで、要するに「世の中は諸行無常なんだから、いちいち反応しないで生きたほうが楽だよ」という教え。

原始仏教では反応しないどころか、そもそも自己の存在そのものに執着しなければ良い。そうすれば怒ったりなんて過剰反応しないのだよ。と言っている。

ストレス社会の現代において、この考えは非常に便利であると思う。

なんせ僕にとって一番足りていないことだから(^o^)

 

 

以上、ずっと疑問だったインド仏教衰退についてでした。

仏教に目覚めたというわけではなく、先ほどから書いているようにストレス社会に立ち向かう心構えとして受け取ったほうが良いと思った。

科学主義に覆われ、何かとエビデンスを求める昨今、宗教自体が廃れた日本において、仏教は宗教ではなくライフハックと理解することで、もっと気軽に日々の生活をより良くすることができるのではないかと思うのだ。