「ホモ・デウス」に描かれた世界とは?

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

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あの「サピエンス全史」の著者であるユヴァル・ノア・ハラリの新著『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』をやっとこさ読んだ。

今回もムダに長い軌跡を辿りながらも、知的欲求という銀河へうまくロケットを打ち込む技術?は流石といえる。

ジャレド・ダイアモンド先生といい、最近この手のヒット本は確信犯的寄り道だらけのダンジョンと化しているが、さすが一神教文化の作者らしい堂々たるエンディングには八百万の神も閉口するに違いない。

ということで、レビューを書いてみよう!

 

目次:

 

 

 

人間至上主義

ホモ・デウスとは、ホモ・サピエンスがポケモンのように進化して神に近づいたような感じだと思ってもらえば良い。

では、そのホモ・デウスとはなにか?を問う前に、まず現代のホモ・サピエンスがどういった状態であるかを知らなければならない。

ハラリ氏は、現代のホモ・サピエンスは「人間至上主義」であるという。ホモ・サピエンスが石器時代から如何に変遷して現代の「人間至上主義」を獲得したかというのが、キーポイントとなってくる。

ちなみに上下二巻に及ぶ長文の中でもとりわけ面白かったのが、「人間至上主義」について。

 

人間至上主義とは、現代社会の根底を成す概念であるため、逆に文章化しないとわからないくらい身近な存在である。

例えば、人類の歴史上、つい最近までは人種差別や貧富の差は当たり前で、平気で人間を奴隷にしたり殺していた。

だが今は、亡きSMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞のように、一人ひとりは全然違って全然良い唯一無二のオリジナルな価値を持つ地球より重い存在となっている。

では、どのような過程を経て、人間至上主義にたどり着いたか?となると、これが我々が学んできた歴史に相当する。

 

①アニミズム

お猿さん時代から石器時代まで、我々ホモ・サピエンスは狩猟採集民であった。

動物を狩ったり狩られたり、弱肉強食のサバイバル時代を生きていたホモ・サピエンスは、総じてアニミズムという多神教的思考であった。

これは日本人に馴染み深い八百万の神的な発想だ。人間はあらゆる動物や自然の中の一つの種であり、その価値は同等かそれ以下であった

アニミズムは、自然と共存するために、自然の驚異から身を護るために生まれた思考だった。ちなみに日本は環境的に非常に豊かであり、縄文時代までは狩猟採集生活でも十分に暮らせるポテンシャルがあったので、アニミズムが残った。

 

②有神論宗教主義

前作「サピエンス全史」であったように、農業が始まり巨大集団で暮らすことになったホモ・サピエンスは、認知革命(コミュニケーション・虚構による集団化)が起こった。

これは他のどの動物にも見られないホモ・サピエンス独自の能力であり、現在地球の覇者たり得ている原因でもある。

人間は虚構により、他の動物ではありえない規模で規律ある集団生活が可能になった。本来は150人が限界なのだが、「我々は〇〇神の子どもたちだ!」とか「我々はスペースノイドである!」とかいえば、皆がそれを信じることで協力して暮らすことができる。

群れで暮らす動物はいるが、彼らは最低限の協力しかしない。弱者は排除されるし、血縁関係を重視する。もちろん、農耕やインフラ整備などしない。

人間は、宗教や民族や国家といった「虚構」を駆使することで、巨大な都市を作り、自然を加工し、農業生産力を上げることで人口を爆発的に増やすことができた。

しかし、それにより起きた不幸はサピエンス全史を参照。

 

ここで重要なのが宗教であり、人間は神によって選ばれた生き物としての選民思想が芽生える。

神により選ばれた素晴らしい唯一無二の生き物なので、自然とか動物とか好きにしちゃって構わないのだ。これは人間同士でも当てはまる。

特にキリスト教徒は、十字軍とかいってイスラム教徒を殺しまくったり、未開人に神の教えを与えるとかいって新大陸やアフリカの人々を殺しまくった挙げ句奴隷にしている。

このように有神論宗教主義は、巨大な集団を作ることによって文明を産んだが、負の産物も持っていた。

 

③そして人間至上主義へ

しかし現代、そんな神様は科学によって否定されてしまった。

あらゆる現象や疑問の唯一の答えであった神(聖書やコーランなど)は、無知の知からの科学技術大発展により有名無実化したのだ。

よって一部地域を除き、人間は一人ひとりが尊い存在ということになった。

なので、かつてはあり得なかった同性愛が認められたり、個人が好きなように生きることは善であり、個人を権力などが抑圧することは悪となった。

 

これにはもう一つ重要なポイントがある。

それは戦争だ。

個人の権利が現代のように認められるようになったのは、総力戦体制による巨大戦争が起きたからだ

ナポレオンから始まった国民皆兵制度は、それまでの戦争の歴史をふっとばした。貴族や傭兵や職業軍人が主だった戦争は、国家の持てる限りの経済・生産力を投じた軍事力と国民総出の軍隊の創設が必須の総力戦になった。

ここで用いられたのも虚構だ。国家や民族、ナショナリズムにイデオロギー、プロパガンダを駆使して作られた虚構により、この困難な事業を成し遂げなければ植民地になってしまう帝国主義時代が訪れた。

国民皆兵制度を実施するには、国民や民族といった虚構の価値を高めなければならない。ということで、時の権力者は選挙権や社会保障などのアメをばら撒いた。命をかけて戦わせる&赤紙一枚で無料の兵隊を手にするためには、国民一人ひとりを大切にしてるよアピールをしなければならないからだ。

総力戦は乾パンから原子力爆弾までありとあらゆる物を生産するため、それまで差別的な扱いを受けていた女性や子供、植民地の人々などの権利もググッと上がっていった。工場で軍需物資を作ったのは女性や子供であったし、植民地の人々も、前線でお国のために働かせていたからだ。

第二次世界大戦後、戦争に躍起になっていた時代が終わると、庶民の権利は大幅に改善され、そして人間至上主義時代が訪れた。

基本的人権の尊重や選挙制度やヒッピーなんかも、皆この長い長い歴史を経て生まれたものである。

 

 

人間に自由意志はない

しかし、この人間至上主義の根底にある「人間は自分の意思を持って生きている」というのが、最近のテクノロジーの進化により嘘であると判明している。

例えば、人間の行動は自分の意志で行っていると思われていたが、本当は行動が始まる前に脳が働いていることが判明した。

このような事実が、数々の実験によって暴かれている。詳細は本を読んでね!

 

結局、人間とは自由意志なるものはなく、突き詰めれば脳が作り出すアルゴリズムに縛られているマトリックス的悲劇な生き物らしい。

だが人間は、それでも自分の意志があり、自分は自分であると思いこんでいる。

これは非常に簡単にいうと、人間は経験した事を勝手に物語として脳内で取り繕うことで、自分は自分というアイデンティティを維持しているのだ。

なので「虚構」が入り込めたり、中二病になれたりするのかもしれない。

 

このアルゴリズムはデータとなり、そして現代において一番金のなる木になっている。GoogleやAmazonなどの企業がそれだ。

人間の意志はアルゴリズムに支配されてはいるが、それがどのような経路を辿るかというデータを莫大な量を集めることで、完璧な広告や商品を提示できる。ただ商品を押し付けるのではなく、アルゴリズムを操作することで「自由意志として」買わせるのだ。

 

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最近流行りのGAFAなる巨大企業は、このデータをどれだけ集め、それを有効活用するかに莫大な投資をしている。

最近、Amazonのおすすめ商品がドンピシャ過ぎて散財しているのも、僕という人間の小さい脳内アルゴリズムを掴んでいるからだ。それは莫大なデータの中から、僕に合いそうな商品を導き出している。

これはほんの氷山の一角だが、ホモ・デウスに至る道は、ここがいちばん重要なのだ。

 

 

 

自分より自分を知るアルゴリズム

そもそも人間のアルゴリズムとは、問題→行動(外部からのインプット→アウトプット)であると思えばわかりやすい。

例として、「美味しそうなバナナを見つけたが近くにライオンがいる」という状況が挙げられている。

バナナを食べないと餓死してしまう。ライオンに襲われるリスクを取るか?ライオンの足の速さは?バナナは簡単に取れる場所にあるか?などなど、過去の経験から計算し行動を起こす。この際、人間は感情や欲望が行動の要因として利用される。

だがこの過程は、すべて脳内ニューロンの刺激やアドレナリンなどのホルモンの作用により決定づけられており、厳密にいうと「意識」はない。先程の実験でもあったように、意識だと思っていようが容易に操作することができるのだ。

よって意識がある=自由意志を持つ人間=私という概念が、生化学的には否定されている。だがこの概念こそが、人間を人間足らしめていたのだ。

 

そして現代は、この意識と知能が分離することができる。

それがビックデータを集積した外部アルゴリズムだ。

例えば、現代人のアウトプット情報をほとんど蓄積しているスマートフォンなどのデータをすべてアルゴリズムに活用したとしよう。

メールの内容から、Kindleでじっくり読んだ文章、ウェアラブルを着けて心拍数を常時計測したデータなど、あらゆる情報を集積したらどうなるか。

それは「自分より自分のことを知っているアルゴリズム」となる。

 

経験を曖昧につなぎ合わせて作られた物語としての自己像は、間違いを起こすし操作されやすい。

アルゴリズムはそんなことが起こらない。無駄な意識を持たないため、自分にとって最適な答えを導いてくれる。

これが進めば、自分に見合った完璧な商品から配偶者まで、アルゴリズムに決定を委ねたほうが良くなる。僕のように衝動買いしやすい人にはなおさらだ。

これは仕事にも活用できる。

AIの進化により、これから医師や弁護士といった現在高度とされている仕事までもが代用可能となる。

 

しかしこれを突き詰めると、「アルゴリズムを利用していた人間」から「アルゴリズムの情報供給源としての人間」となり目的が逆転してしまう。

人間がアルゴリズムの下僕となるのだ。

そうなれば、外部アルゴリズムにすべてを委ねて生きる人間は果たして人間と言えるのだろうか?

 

 

ホモ・デウスとは?

この外部アルゴリズムとそれにより生まれた非人間至上主義思想を利用すると、人間は神に近づくことができる。

①外部アルゴリズムの利用により、人間至上主義や個人主義は価値を失う。

②医学の進歩により不老不死が実現する?

③薬やDNA操作により生化学的に人間を操作できる

 

だがこれは莫大な費用と技術を要する。

これにより、新格差が誕生する。

アルゴリズムを持っている人間と、持っていない人間だ。

これは現代の経済格差以上の抗し難い格差である。

こんなSF的な強化人間か、アルゴリズムに支配される無用者階級の二極化になる。

これは「the four GAFA 四騎士が創り変えた世界」で描かれていた世界のさらに先にある預言だ。

アルゴリズムを支配するGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)に対抗する術を封じられた世界における新格差の人間版だ。

この新カースト制度に世界が移行すれば、我々庶民は幸せなのだろうか?

 

 

 

まとめ

 

 

前作以上にまどろっこしくて有用に見えて無駄にも思える寄り道だらけ。

著者のまとまりきらない答えの整理に付き合わされるような読書感は、それこそアルゴリズムのような複雑系の世界を垣間見れる。

結局の所、人間至上主義の消滅によりこれから革命的な社会変化があるということを言いたいらしい

かつて宗教が世界を支配していた時代、地球が丸かったり、人間の先祖が猿だったり、

神様なんていないなんて言えば、狂人扱いか燃やされていた。でも当時はそれが当たり前だったのだ。

だが、現代の当たり前も数十年後の子どもたちが聞けば大笑いするかもしれない。そんな歴史の転換点に我々はいるのだ。

『世界に一つだけの花?ナンセンスだなあ』なんて言われちゃうのだ。

 

個人的には「自分より自分のことを知っているアルゴリズム」を使ってみたい。マトリックス的なアイデンティティの問題を考えるまでもなく、一体どんなものかというミーハー心が勝つ。

このアイデンティティという言葉自体が、無くなるかもしれないのだ。

このアルゴリズムが完全に世界を支配すれば、人間はアルゴリズムに何でも任せればストレスなく生活できるかもしれない。仕事だってアルゴリズムの言うことを聞いていれば今のような生産性の低い労働から開放されるかもしれない。というか労働という概念が無くなるかもしれない。

これこそ、マルクスの共産主義やキリスト教の楽園の世界ではないのだろうか?

だがそこに「あなた」はいないし、「自分」もいない。

 

 

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