職場で「文句しか言わない人間」を生んでいるのはきちんと評価していないから

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仕事を楽しんでいる人間なんて日本では労働人口の1%もいないと思う。

我が職場を見ると、誰も彼も休憩時間だけでなく仕事中でも経営陣や環境への文句を垂れている。

でも不満は誰にでもあるだろうし、かく言う僕も同じ穴の狢ではある。

しかし、こういう文句というのは対象が決まっている。

嫌いな上司や面倒な業務に対しての不満からくるストレスを誰かと共有して憂さ晴らししたいのだ。

例えば、昨今話題になったタバコの休憩問題。

うちの職場でも、なぜかタバコ休憩は業務中だろうが許されており、僕のような非喫煙者は何か損した気分がするので不満が出る。

まあ、こういったように、文句というのはたいてい個人的・集団的な不満がある特定の対象に向かって発生している。

 

しかし、どの職場にもこんな人がいるのではないだろうか?

「文句しか言わない人」

オートメーションで近づく物体をレーザーで焼き尽くす某兵器のように、何でもかんでもとにかく文句を垂れまくる。

人であろうが、環境であろうが、ひどい時は季節なんかにも文句を垂れる。

こういう人間には決して近づかないほうが良いのは明白だが、ではなぜ彼ら彼女らは生まれてしまうのだろうか?

それは適正な評価をしてやらないからだと思うので、そんな事を書いてみた。

 

 

 

 

「文句しか言わない人間」は2つの発生原因がある。

今までの経験上、「文句しか言わない人間」は2つの発生原因がある。

どちらも似たようなパターンに思えるが、実際はかなり違う原因があるので、対処に間違うと大変なことになるので注意が必要だ。

 

①自分の評価に納得がいっていないけど内心は自分に自信が無い人

自分はもっと評価されて良い、そう思ってはいるが、それを堂々と言うには自信がない人は、『私はもっと評価されて良いと思ってるマン』アピールをする。

このようなタイプは、後出しジャンケンしかしない。

「こうなると思った」とかそんな時空を捻じ曲げて我が身の優秀さをアピールしようとしてうざがられる。

「自分ならこうする」ではなく、「自分ならこうしていた」という過去形だらけの文句を言い、超安全圏でスナイパーライフルを磨きながら承認欲求で悶々としている。

 

こういうタイプは、評価されていないという被害妄想から生まれた根拠のないプライドが先行し、現実とのギャップで自分を苦しめている。

評価されていない→自分ならもっとうまくやれるのに→妄想拡大→謎のプライド

そして、揚げ足取りの後出しジャンケン戦隊を結成することになる。

 

しかし、悲しいかな、こういったタイプはいざ新しい仕事や難易度が高い仕事を振られると拒否してしまう。

なぜなら、揚げ足取りの後出しジャンケンばかり周囲にしているせいで、失敗することができなくなってしまうからだ

別に失敗したって良いじゃないか!とは思えない。なんてったって、今まで散々自分がコケにしていたのは、チャレンジした人間であったからだ。

チャレンジができなくなると、ますます評価されなくなり、先程の負のスパイラルの地獄にハマっていく。

そして究極完全態自分だけメシアとなり、カルト化した妄想世界でトランプ大統領並の威勢を放ち、世界にFire!と叫ぶのだ。

 

こういったタイプには、簡単な仕事を一任させ、少しずつ現実とのギャップを肌身で感じさせながらも、褒めて褒めてプライドを冷ましてやることをおすすめする

実際にやってみることで、自分がやっていたのは無限後出しジャンケンだったという事実に気づくだろう。

あ、僕は無視します。

 

 

②内心自分に自信がないが、現実を突きつけられると死んじゃいそうなので、周囲の人間の評価を落として全体のハードルを下げてしまおうという人

このタイプは、集団破壊型で極めて危険だ。

陰湿なグループの裏ボス的存在で、仕事の評価はさっぱりだが、人間関係を巧みに操作する術に長けているので周囲に恐れられている。

仕事よりも人間関係のパラメーターを0.1ポイント間隔で気にかけており、噂やいじめやゴマすりを駆使して自らの安全圏を作り出す。

類は友を呼ぶで、同じような人間を動員し、業務の邪魔にしかならないくだらない空気を生み出しては生産性を極端に下げる。

実のところ、仕事の力量や、何かしらの強烈なコンプレックス(経験、資格など)があり、皆と同じスタートラインに立つことさえ忌避するくらいチキンなのである。

 

よって、「評価」が発生しそうなことを全力で妨害する。新規事業なんかもっての外だ。先程のタイプと同じように、常日頃文句を利用した集団形成を行っているので、勢力均衡を維持するためならどんなことでもやる。

先程のタイプと違うのは、徹底的に集団圧力を利用するので、部署レベルで生産性が下がるので注意。

「評価されるのが怖い/自分のほんとうのレベルを知るのが怖い」という土台に立っているので、そもそも論として仕事という概念を共有できないため、重大なコミュニケーション不全を起こす。

 

こういったタイプは、承認欲求が異常なので、其奴の得意な仕事を任せて自信を取り戻させつつ、集団の中に溶け込ませることにより、「ここの職場は安全だよ!」と皆で暖かく包んであげよう!

僕は無視します。

 

 

 

適正な評価と管理で「安全な居場所」だと思わせることが大事

①②共に言えるのだが、職場において「仕事」という絶対的な価値観の中で戦うことを放棄し、他の評価項目を作り出してアイデンティティを包み込むという思考パターンのように思う。

結局の所、集団で何かを行う場合、究極的な目標が存在するが、それは弱肉強食の競争世界でもある。

 

例えば学校の場合、詭弁を弄さずとも誰が見ても「勉強」が絶対的な価値観であり、成績と偏差値という指標を元にした競争世界であり、究極目標は良い大学に入ることとなっている。

勉強だけじゃないとか抜かす奴がいるが、社会に出ると所詮学歴であるし、結局そんな社会になっているではないか!と後から文句を言っても後悔先に立たずである。

かく言う僕も「ブルーハーツ的反抗主義」で全く勉強しなかったせいで、ずいぶんひねくれてしまった。結局、勉強から逃げたのだ。

部活や趣味でも同じような競争社会と究極目標があり、だからこそ逃げ場があるため、新たなマーケットが生まれたりもする。

究極目標というのは、目指すべきものではなく、その集団に属するものがだいたい認めているものだ。野球部が「結果より仲間との絆だよね」とか言っていたとしても、甲子園出させてやると言ったら飛びつくだろう。車好きにポルシェ、カメラ好きにLEICAのように、無視しようがやはり究極目標的な存在がある。

だから勉強だけして良い大学に入るのだけが正解ではないが、社会全体がそれを正解として成り立っているというのが肝である。これは否定できない。

 

よって、職場で「文句しか言わない人間」というのは、「仕事という世界」にある競争と究極目標から逃げたくてたまらないのだ。

逃げるといっても、ただ逃げるとアイデンティティが崩壊してしまうくらいのプライドはあるので、競争世界の横に新たな世界を作り安全な居場所を求めたり、究極目標を逸らして身の安全を図ろうとするのだ。

 

結局、彼ら彼女らは「身の安全」が確保できず、怯えているのだ。

本来なら、ここで正当な評価を下してやるのが一番だ。

善きマネジメントなら、常に不安を感じ取ってやりながら適材適所で適時に優しい評価をしてやることで不安感を拭ってやる→生産性向上

マキャベリストなら、そんな自分本位で場違いな行動と勘違いしたプライドを死守する輩は適時クビにする→生産性向上

このどちらも正当な評価であると思う。しかし残念なことに、「不安を拭ってやる評価」、「環境に合わないことを教えてやる評価」、このどちらもが日本社会では欠落している。

曖昧な評価基準、曖昧な責任所在、昭和的な年功序列などなど、社員をきちんと評価できないからこそこういった不満を漂わせては放置している。

別にそんなことに身の安全を求めるような奴が悪いと言っているのではない。そういった個人因子があっても、きちんと管理できれば有能かもしれないし、個人の生産性や幸福感が向上するだろう。

だからこそ、向いていない仕事もきちんと評価して、適材適所で人を使うのが本来の評価でもある、クビにしても、本来の能力を発揮できない環境で長年苦しませるよりはマシだと思う

結局、日本の生産性が低いのは、評価ができない+管理能力のない管理者が平然と蔓延しているからだと思うのだ。

 

・・・だからよう!俺の評価見直して給料上げてくれや!!!!

 

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