AKIRAで人生変わっちゃうのはなぜか? AKIRAと中二病についての中二病的考察

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AKIRA』がBLかどうかはさておき、AKIRAで人生変わっちゃうのはなぜかという話については大きく頷いたせいで臓物が出たかと思ったぜ。

これはAKIRAを観ることにより人生が変わっちゃうという、いわゆる『精神的健康優良不良少年(少女)化問題』であり、今回はAKIRAによりナンバーズにされた哀れな老若男女達のことについて論じてみようと思う。

 

 

 

『精神的健康優良不良少年(少女)化』とは

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かくいう僕も『精神的健康優良不良少年(少女)化』されたナンバーズであり、しかも小学校低学年というAKIRA初体験(遭遇)のためかなり早熟であった。

「AKIRAを観る前と観た後の世界は、本質的にも実存的にも違う」と述べたのは仏哲学者ジャン・ポール・サルトルではなく僕であるが、多くのナンバーズがカプセルなしでも目が冴える思いで納得できるであろう。

では、『精神的健康優良不良少年(少女)化』とは何か?

それは、「リアル世界への確信的な疑念」である。

 

AKIRAを観た後、我々の知るリアル世界はもはや現実ではなく、そこには超主観的な虚の広大かつ荒廃したフロンティアが広がっている。

これはWHOの医学専門用語で『中二病』と呼ばれている原因不明の難病だ。

『中二病』は突如発症し、リアル世界で赤面するレベルの赤っ恥を感じることで治癒するとされる病気であり、発症平均年齢は10歳~15歳とされている。

AKIRAはこの中二病を発症する原因として、ネオナチやミヤコ教徒からは焚書扱いされている。

「世界への確信的な疑念」は、虚構の世界観を提示し、妄想のHDDとなる。不毛なリアル世界の自らの存在から逃れる聖域(アジール)に生きる強力な免罪符、それこそがAKIRAなのだ。

 

なぜAKIRAなのか?

では、なぜAKIRAなのかを3つの要点に絞って考察してみよう。

 

①絶望的な未来

AKIRAのディストピアでスチームパンクなネオ東京という舞台は、現実世界を何の疑念もなく生きている人間たちへの侮蔑であり、ある者にはメシア(救世主)となる。

第三次世界大戦後の復興中であるネオ東京は、欧米人の好きそうなオリエンタルスチームパンク都市であり、カオスの雑居ビルのようだ。

そこには希望のある未来都市ではなく、破壊と再生の先にあったのはまたしてもカオスであり、薄汚れた治安の悪さでネズミのように生きる未来人が描かれている。

技術的な進歩は垣間見られるが、現実社会で「教えられる/押し付けられる」明るい未来像はそこにはない。

バブルに浮かれた放映当時の日本でこれをやるってのかよ~

 

②超能力とドラッグ

鉄雄は突如として人外の超能力を手に入れる。

鉄雄は何の努力もなしに、ただ偶然にこの圧倒的な力=権力を手に入れる。

いや、気付かせられるのだ。鉄雄は先天的にAKIRAと近い特性を持ち合わせていた。

あのとんでもない力に、今まで一切気づいていなかったのだ。

この偶然性は、リアル世界において脱落を決め込んだ人間にとっては、まさに祝福なのだ。

なぜなら、押し付けられた社会の中のカーストで下位に属する自分が、異なる世界(AKIRAの力→押し付けられた社会の否定)ではカースト最上位に君臨していたのだから。

鉄雄は気付かされた力で、社会のルールを踏みにじるように破壊を繰り返す。

警察や軍人やインフラを圧倒的に屈服させ、最先端の科学技術を己の力だけで破壊する。

これは押し付けられた社会への復讐であり、まさに世界の破壊者であり創造者なのだ。

押し付けられた社会を突如として反転させるような力の存在を知ることで、リアル世界が未来永劫続くものではないという確信を得る。

この破壊により、世界の有限性を知ることができるのだ。現実世界は容易に、そして一瞬で反転する可能性があり、それは一秒後かもしれないのである。

 

そしてドラッグカルチャー。

ポパイのホウレン草のように、ドラッグの力で人間がいとも簡単に変わってしまう。

ドラッグによる人間のブースト効果は、観るものに「いわれのない伸びしろ」の存在を提供する。

超能力とドラッグ、この二点は今ある自らの存在を容易に変えることができるという革新的確信を得ることができる。

 

③エンディング

謎だらけのAKIRAだが、エンディングで真相が少し垣間見ることができる。

アキラくんや鉄雄の超能力は、『人間の進化』であり、人間が本来持っているエネルギーであり、そしてそれは世界の概念すら変えてしまうということだったのだ。

この「進化」による「革新」は、人類の文明の発展と同意であり、現代社会のパワーバランスの崩壊だけでなく、世界自体を変えてしまうくらいのポテンシャルがある。

まさに究極のリアル世界の否定なのだ。

自分たちが押し込まれているリアル世界は絶対的なものではなく、たやすく突発的に崩壊するかもしれない・・・し、自分がその破壊者であるかもしれない。

そう思うことで、現実世界の現実に占める領域は脆く崩れ、そして自分が世界の支配者になるのだ。

 

 

結論「AKIRAとは中二病の妄想世界の肯定」

以上の理由からみたとおり、AKIRAとは中二病の妄想世界を肯定するのだ。

・リアル世界の陳腐化

・破壊衝動の肯定

・自らのまだ見ぬ可能性の天井突破

このような妄想世界の武装強化に役立つツールを、AKIRAはリアルにありそうな未来像にヤバメの音楽を添えてSFをリアルに転化したのだ。

 

AKIRAを観た後の世界は、「空虚で脆くてすぐにでも崩壊しそうな世界」となり、「自分はこの世界を概念から破壊できる存在」かもしれないという自己肯定感を与えてくれる。

この心理の変化は、不毛なリアル世界の自らの存在から逃れる聖域(アジール)を生み、拡大し、なおかつよりリアルな世界に変化させる。

 

AKIRAは「現実世界への破壊的否定」と「自己への根拠不要な肯定」を与えてくれるからこそ、カルト的な人気があるのだ。

これこそが『精神的健康優良不良少年(少女)化』であり、世界中の中二病予備軍をナンバーズ化させた原因なのだ。

 

AKIRAによりナンバーズ化された我々は、突如として世界の崩壊が始まるのを「知っている」

 

その時、リアル世界はひっくり返り、すべてはAKIRAになる。

 

その時、ナンバーズは・・・

 

そう、AKIRAとは神なのだ。

 

 

 

「もう始まっているからね」

 

 

「でも、いつかは私たちにも・・・」

 

 

『独ソ戦』を全く要約する気がなくダラダラと感想を述べる

今回は不謹慎にも温泉宿でポカポカしながら読んだ『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)』である。

生来、自らの思考をまとめるということができず、延々と満足いくまで垂れ流すか、全く興味がないので押し黙るか、その二択しかしてこなかったのでひたすら垂れ流しと脱線を繰り返すことにしよう。

 

 

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

  • 作者:大木 毅
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 新書
 

独ソ戦とは、第二次世界大戦におけるナチスドイツとスターリニズムのソビエトという大陸イデオロギー国家同士の総力戦であり、双方合わせて3000万人近く殺し合ったという史上最大の肉弾戦でもある。

ナチスドイツは、ヒトラーの過激な思想が第一次世界大戦敗戦後のドン底ドイツにおいてショック療法的な作用を発揮し、国民の熱狂的な支持を受け一応選挙なんかして誕生した思想政権だ。

今でいうと、(思想はぜんぜん違うよ)れいわ新選組の山本太郎が自衛隊の一部と財界のじいさん達と手を組んで、SNSを駆使した大プロパガンダにより国民運動を巻き起こし、自民党政権を転覆させ、共産党員を皆殺しにし、そして首相を超えた全権委任法=総統になったみたいな感じだ。

 


対するソ連は、共産党政権にありがちな血で血を洗う権力闘争により、国力を激減させてまでトップに上り詰めたジョージア生まれの鋼鉄の人スターリンによる独裁恐怖政治国家だ。

もう権力闘争に明け暮れすぎて、有望な政治家や軍人を軒並み銃殺するかシベリア送りにした。

どのくらい殺しまくったかというと、いざ戦争が始まると指揮する将校がいなくて戦場が小学生の昼休みサッカーみたいになってフルボッコにされたくらいである。

 


まあ両方かなりイデオロギー色の強い歪な政権であった。

しかし当時の世相において、現在から見るとほとんどまともな国家はない。なんせ第二次世界大戦中、国家元首はほとんど変わっていない。要するに総力戦とはそういうことであり、唯一の例外は日本である。国家存亡の危機にもかかわらず首相がコロコロ変わっている。

アメリカは経済制裁しまくり、イギリスは他国の政治問題生産機となっており、イタリアとスペインは独裁者、中国は内戦・・・あとはほぼ植民地。

 

 


金融恐慌直後の荒れまくった世界では、人々は金かイデオロギーに靡くしかなかったのだ。それくらいイカれた時代であった。帝国主義末期、それまでの経済体制の矛盾が一気に爆発し、あらゆる問題が連鎖的に燃え上がった。

なんせ帝国主義はグローバル経済の始まりであり、今以上に格差が酷かった時代に、一気に金本位制のような面倒くさい経済支配が広がったからだ。

よって戦争理由に「経済」が最優先事項として現れた時代でもある。それまでも収奪戦争はあった。物資を略奪したり、領土を拡張したり。

日露戦争は大陸の権益を狙う新興帝国主義国である日本とロシアに、欧米列強が裏で絡んで起きた第0次世界大戦だ。日露は戦争しながら、世界中で金をかき集めて総力戦体制を布いた。

総力戦体制とは、とっても簡単に言うと戦時中の日本のように国家のすべてを戦争に注力させるような状態であり、軍事、行政、経済、司法まで含めてとにかく戦争だけを考えて月月火水木金金過ごすブラック国家となる。

これは戦争に金がやたらかかるようになったからである。特に海軍はめっちゃカネがかかる。大和の建造費を見るまでもなく、兵卒の育成から兵站から技術投資まで、全てひっくるめて戦争準備となった。

戦時中の日本のように、国民の生活物資を投げ売ってまで、戦争遂行のために投下するようなイメージだ。

これには思想統制も重要で、第二次世界大戦下ではどこの国にも憲兵のような治安維持=思想統制のための強権ポリ公がおり、自国民を拷問して見せしめに殺しまくっている。

そういう時代なので、日露戦争、第一次世界大戦を見てもわかるように、経済力を駆使して総力戦体制を最後まで維持し続けた国こそ最強となった。

 


経済が最重要となった時代では、世界恐慌などで世情がグローバルに不安定になる。

そうなると階級制度が形骸化し、国家国民意識が強まっていた当時において、その不安を鎮めるためにはナショナリズムを煽るのが手っ取り早かった。

人間不安だと似た者同士で集まりたくなるし、何か鬱憤の捌け口が欲しくなってしまう。

「一人だと不安だ。かといって生活が苦しいのは自分のせいではないと信じたい」

この本能的な恐怖感が、ナショナリズムと排外主義を組み合わせ、第二次世界大戦への入り口を開いた。

ナショナリズムは、国家や民族の同質な者たちの集団を自覚させる。そもそもだが、近代まで国家意識なんてものはなかった。江戸時代の農民は、日本人なんて意識はなく、あっても長州人とか薩摩人、そしてだいたいは〇〇村のごん兵衛だった。村から外に出ることはほとんど無く、世界は極端に狭かったのだ。これは世界中の人々も同じような感覚だった。

すべてを変えたのはナポレオンだ。民衆が王や貴族を倒したフランス革命後、近隣の王様や貴族たちは非常にビビった。

「無知蒙昧な民衆が政治をするだって?王族をギロチンにかけるだって?ケーキでも食ってろや!」

こうしてフランス革命政権は、近隣のブルジョアジーな王権国家により袋叩きにされそうになる。

そんな中、英雄ナポレオンは国民軍を作り上げた。その時代の兵士というのはほとんどが傭兵。金で雇われる荒くれ者達。

ナポレオンは、傭兵ではなく、その辺の町民や農民たちを兵士に取り上げる。しかし、金もたいしてもらえないのに命をかけるバカがいるのだろうか?

そこでナポレオンは言う、

「フランスが危機だ。フランス人なら立ち上がろうぜ!」

今までの王様達なら、私利私欲のための戦争であった。が、ナポレオンはフランスという国家の危機を叫び、フランス人という自覚=ナショナリズムを高揚させ、ここに安価で命知らずな国民軍を創生した。

圧倒的な量で迫るフランス軍は連戦連勝、そして連戦連敗、フランスの人口は激減し、回復するまでかなり長い時間を要した。

しかし、この国民軍の威力を思い知った列強諸国は、国民軍=安いことを学び、そしてナショナリズムの真の意味を理解することとなる。

 


遠く離れたちょんまげ王国の革命を見ると非常にわかりやすい。

階級制度に敷かれ、国家国民意識が弱かった幕藩体制下の日本において、明治新政府は国民意識を植え付けることに躍起になった。

日本は天皇を担ぎ出し、ドイツは皇帝、アメリカは夢?、まあ何でも良かった。

「あなた達は同じ〇〇国の〇〇人なんですよ」

これを自覚させることができれば良い。

アメリカ人が真珠湾攻撃されて怒り狂って志願兵がバンバン来たのも、この国家国民意識があったからだ。

かくいう幕末日本でも、国家の危機を感じていたのは吉田松陰のようなごく僅かな人間であり、まして一般庶民はそんな情報すら知らなかっただろう。

 


話はだいぶそれたが、独ソ戦はこの国家国民意識=ナショナリズムを原動力とした政権の、『イデオロギー主体の戦争』であった。

普通、戦争とは何か利益があるか、もしくは自国を守るために行う。

しかし、独ソ戦はちょっと違う。たしかに利益はあったし、ソ連からすると自衛戦争でもある。

著者はこれを通常戦争と呼ぶ。今川義元が織田信長を攻めたのも、尾張を手中に収め、権益を増やしたり、上洛する足がかりだったかもしれない。織田信長からすれば、侵略してきた今川義元への自衛戦争だ。

また他国の食料や資源を求めて戦争を起こすのは収奪戦争である。まあ個人的には通常戦争とセットのような気もするが。

 

独ソ戦は、世界観戦争が他の戦争を食っていった。

ツイートの下の写真を見てほしいが、これが独ソ戦の真相である。

世界観とはイデオロギーだ。ドイツもソビエトも、政権の屋台骨がイデオロギーであった。イデオロギーとはそもそも簡単に言うと主義主張のようなもの。いろいろあるが、結局は突き詰めると権力奪取のためのスローガンで、だいたいの政権はコロコロ内容を変えている。

だが当時のナチスドイツとスターリニズムソビエトは、このイデオロギーに寄り過ぎた政権であった。

 


ナチスは、第一次世界大戦の敗戦の原因をユダヤ人や共産主義に求め、国民は悪くない/騙されていたというスローガンで大衆の支持を集めた。

ヒトラーはオーストリア生まれの兵卒上がり、側近も曰く付きの経歴がつく連中ばかり、とても王道の政治運動ができる集団ではない。

要するに「地盤カバン看板」がない裸一貫の極右政治集団だった。


ナチスが政権を取ったのは、ヒトラーの類まれなる演説力、先進的なプロパガンダ、あとは財界と軍部との打算的連携である。

まずヒトラーは第一次世界大戦敗戦により、プライドがズタズタのドイツ国民の鬱憤をそらすことを始めた。

「戦争に負けたのは、ユダヤ人が裏で手を引いていたからであって、君たちは何も悪くない」

そもそも欧州では古よりユダヤ人差別はあった。ヒトラーは、敵を生み出すことにより、大衆、特に元軍人の支持を集める。

そして当時では珍しい飛行機や映画やラジオを使った政治活動で、大衆人気を生み出す。

だがしかし、ここで疑問が湧くだろう。そんなただの極右政治集団だったのに、なぜそんな金の掛かりそうなプロパガンダができるのかと。

実はヒトラーのバックにいたのが財界と軍部。どちらもヒトラーのことを尊敬はしていないが、利権に食い込むためには使える手だと思っていた。

第一次世界大戦敗戦により、経済や軍事面において過酷な制限を受けていたドイツ。第一次世界大戦敗戦により突きつけられたヴェルサイユ体制により、苦汁をなめていた財界や軍部は、ヴェルサイユ体制打破を唱えるナチスとは親和性があった。

大衆人気と財界軍部のバックアップにより、兵卒上がりのヒトラーがドイツの権力のすべてを握ったのだ。

だがその足元は脆弱そのもの。名家生まれでもエリートでもないヒトラー、ただの極右政治集団であったナチス、主張の強すぎる財界や軍部というバック、人気頼みの大衆支持・・・

ヒトラーは、ナショナリズムと排外主義を煽ることで人気を得たため、自著「わが闘争」を預言書とすることで神格的なイメージを抱かせようとする。

「我が闘争」は、ドイツ人=アーリア人種は優等種であり、劣等種であるユダヤ人を追い出し、スラブ人の土地を奪いアーリア人を東方へ移住させることで千年王国を作るというような中二病全開のラノベであったが、このストーリーを現実とすることで大衆の支持を得続け、政治運動を継続させていこうとしたのである。

ここで重要なのが、運動とは目的があるからこそ行うものであるのに、運動を継続するための運動になってしまったことだ。だいたいこうなるとろくな事にならず、連合赤軍なんてのはその最たるものである。

「我が闘争」の内容は、財界や軍部にとっても悪い話ではなかった。軍備増強すれば財界は儲かるし、軍部はかつてのような威厳を取り戻せる。

こうしてナチスドイツは、ヒトラーの生んだストーリーに取り憑かれていく。

 

 


スターリンはもっと簡単で、あまりの形振り構わない権力闘争により、ソビエト全域で問題勃発しまくっていた。

なんせ優秀な人材を殺しまくり、恐怖政治により官僚主義らしさが全開となり農業や工業で深刻な問題が有耶無耶にされていた。

スターリンは恐怖政治を引くことで、広大なソビエトと強大な権力を維持しようとしていた。そして自らの恐怖政治により、疑心暗鬼に陥っていく。

古今東西、独裁者が疑心暗鬼になるとろくな事は起きない。だいたい無理な〇〇計画がはじまり、失敗すると殺されるので嘘が嘘を呼び末端の人間が殺されていく。

なんせ共産主義は「正」であるはずなのであり、一党独裁の共産党政権は科学的に正しいことをしているはずなので、失敗することはありえないのである。よって間違った結果が出た時、それは「裏切り者」「スパイ」「反革命分子」などが『存在』していることになる。

ちょっと何を言っているかわからないだろうが、共産主義が正しいとして一党独裁政治を布いているため、間違いはありえないという前提なのだ。間違いを認めること自体、自らの存在を否定していることである。北朝鮮が間違いを一切認めないのも、これが原因である。要するに彼らの最大の敵は自国民なのだから。

恐怖政治で何とか体裁を保っていたこちらも不安定なソビエト、そこにヒトラーが襲いかかることになる。

 


ヒトラーはストーリーを実践するために、オーストリアを併合し、チェコからズデーテン地方をもぎ取り、ついにポーランドに侵攻する。戦争いやいやでたまらなかった英仏もさすがに(国内事情から)耐えきれなくなり宣戦布告。

ついに第二次世界大戦が幕を開ける。

第一次世界大戦のトラウマに縛られた英仏が戦争なんて仕掛けてこないと信じていたヒトラーも流石にびっくり。

「べ、、、べつに動揺なんかしてないからね」

そんな中、開戦当時の独ソは蜜月の中。我が闘争で東方は生存圏とか言ってたのに、不可侵条約を結んでポーランドを分け合ったりしている。

しかし、フランスを降伏させ、意気揚々のヒトラーだったが、イギリスのチャーチルがなかなか降伏も和平もしてくれない。

そしてバトル・オブ・ブリテンで大敗する。

「もうイギリス侵攻は無理やな」

こうしてヒトラーは、我が闘争のストーリーの通り、不可侵条約を破ってソビエトへ侵攻する。世にいうバルバロッサ作戦である。

最近まで、ソビエト侵攻はヒトラーの独断のような風潮があったが、どうもドイツ国防軍も噛んでいたらしい。

「イギリスが降伏しないのは、ソビエトがバックに居るからだ」

「ソビエトを叩けば、イギリスは孤立し、和平を選ばざるをえまい」

そして常勝ドイツ軍は、完全にソビエトを舐めきっていた。なんせフランス軍を蹂躙し、イギリス軍を大陸から締め出した常勝ドイツ軍、内ゲバで消耗したソ連なんてちょろいっしょ。

お気づきのようだが、完全に天狗になっている。この辺、邦国にも似ているなあ。

ヒトラーは勝ち続けなければならなかった。ただでさえ危うい政権基盤を神話的な勝利で支えていた。そしてバックの財界や軍部も勝利を決定づけられている。もうどうにも止まらない。止まったら最後、それはナチスの死であり、ヒトラーの死でもあり、そして英仏が参戦した時点でドイツ国民の死にもなった。

なんせナチス政権は、貯金をすっからかんにしてまで、戦争経済で好況を演出していた。兵器を生産し、インフラを整え、国民の給与を増やし失業者を減らす。国民の生活は豊かになり、オリンピックや大衆車などの演出を駆使する。脆弱な支持基盤である大衆を満足させるために、ヒトラーは経済マジックを使って国民生活の向上という目眩ましを行っていた。

第二次世界大戦末期まで、ドイツ国民の生活は豊かだったという。前線への物資輸送よりも重点的にしていた項目すらある。要するに、第二次世界大戦はヒトラーの人気取りのために行われたと言っても過言ではない。

ヒトラーは止まれない、妥協できない、負けることができない。

 


イギリスとの戦いで消耗したナチスドイツは、東方への生存圏拡大という神話を掲げ、ソビエト領へ突き進む。その名目は、イデオロギー闘争、そして物資と食料を奪うためでもあった。

戦争継続のためには、戦略物資、特に石油が必須だ。ルーマニアにある油田がドイツの生命線であったが、そのすぐそばにはソビエトがいる。またソビエト領にもたくさんの戦略資源がある。

そして何より食料であった。第一次世界大戦のドイツの敗戦は、食料不足により社会不安が広がったため、革命騒ぎや軍人のクーデターが頻発したことが原因であった。ドイツの軍部は、食料不足にトラウマがあったのだ。

ドイツにとってソビエトとは、イギリスの自信を砕くための存在であり、イデオロギー闘争の宿敵であり、我が闘争の予言の地であり、資源と食料を収奪する狩場でもあったのだ。

これがまた凄惨性を高める原因となってくる。

 


対するソビエト、スターリンは独ソ不可侵条約を結んでいても気が気ではない。しかしスターリンは、そもそもドイツよりもイギリスのことを信頼していなかった。

「あのペテンブリカス野郎は、ミュンヘン会談でも喧嘩売ってきやがったし、ドイツけしかけて儂らを攻めさせる気じゃねえのか?」

イギリスの非道列伝を並べれば、猜疑心の強いスターリンでなくともそう思うのは無理もない。

スターリンは、ゾルゲなんかから「ドイツが攻めてきまっせ~」という有力情報がバンバン来ていたのにガン無視。

イギリス不信と、「もし今ドイツ攻めてきたら俺が将校殺しまくったせいでめちゃくちゃやからどうしようもないやん」という不安で、なんとガン無視を決め込んだのだ。

 


そして運命の火蓋をぶっちぎったナチスドイツ軍が侵攻してくる。思いがけない抵抗もあったが、それ以上にソビエト軍の失策もあり、一気に国土を蹂躙させられてしまう。

しかし、この緒戦のドイツ軍大勝こそが、独ソ戦の雌雄を決したのであった。

まずドイツ軍はソビエト軍を舐めきってしまった。

そしてナチスドイツをスターリニズムからの開放者として支持する動きがあったにもかかわらず、彼らは収奪者でしかなかった。先程も書いたように、戦争目的の一つが資源や食料の収奪であったからだ。

そしてそして勝ちまくったせいで、数千キロにも及ぶ兵站が必要になった。ドイツ本国から長大な距離まで一気に侵攻したドイツ軍は、兵站に苦労することになる。

まず普通に遠いし、ドイツとソビエトの線路のレールの規格が違った。なので物資の積替えに時間がかかったのだ。

さらにアウトバーンのような舗装道路があったドイツと違い、ソビエトは土の道、しかも雨や雪が降ればドロドロになって戦車すら止まる悪路。

もうおわかりでしょうが、舐めきって泥棒野郎で兵站が伸び切ったドイツ軍は、もう詰んでいた。

舐めきっていたため、その後のソビエトの戦略や戦車に破れ、ソビエト領での悪行によりパルチザンに苦しめられ、兵站は機能しなくなり、冬将軍により息の根を止められた。

またナチスドイツ内でも、モスクワを狙うのか、戦略拠点を落とすのか、方針が明確ではない場当たり的な作戦に終始してしまい、幾度もチャンスを逃した。

結局、ナチスドイツは大局的な作戦、戦役の概念が欠落していたのだ。戦闘単位では強いが、極大の戦略において、有効な手立てを立てることができなかった。

木を見て森を見ず、まさにこれに尽きる。

 
そう思うと、本当に日本軍とやっていることが同じではないか。

日本軍も緒戦の連戦連勝によりインドからニューギニアまで戦域を広げ、作戦目的が不明瞭なミッドウェー海戦で敗戦し、その後兵站は機能せず、現地民からの協力を失い、そして敗戦を迎えてしまった。

 


ソビエトは大局的な作戦術を行った。

勝利を決定づけたバグラチオン作戦では、北はバルト海から南は黒海までの長大な戦線を巧妙に連携させることで、ドイツ軍を完膚なきまでに叩き潰した。

 

ja.wikipedia.org

でもこれって結局、人海戦術と物量作戦であると思うのだ。

人口だけで見ても、米ソは1億を超えており、日独は7000万人前後。

 

 

gendai.ismedia.jpアメリカさんは金持ってますなあ~

 
アメリカやソビエトは、たとえ劣勢でも後方で無尽蔵に兵器を生み出し、莫大な戦費を賭け新技術を生み出し、圧倒的な人口で押し寄せてくる。

日独はその点、一部に特化するしかなかったのだとも思う。人口や経済力で劣勢であるがために、突飛な作戦で一気に蹂躙する、アルデンヌの電撃戦(とは言わないらしいが)や真珠湾攻撃のように、当時の常識を覆す「作戦」で前線を一気に突破した。

しかし制限があるからこそ、資源を求めて戦域を広げたり、博打的な作戦を幾度も繰り返す羽目になり、結局一度の失敗で一気に情勢を覆される。

 


そう考えると、第二次世界大戦がなぜ起きたかということが明確になる。

要するに、持てる国と持たざる国のギャップから生まれたのが、人類最大の悲劇なのだ。

世界恐慌後、米英がブロック経済したのは学校で習っただろうが、持てる国(資産、資源、人口、植民地など)が経済的な危機を感じて自分だけ生き残ろうとしたのがそもそもの原因。ソ連はちょっと違うが。

グローバル経済の弊害を理解できていなかったのが最大の原因なのだ。

持てる国が自国を守るために、資源や貿易の流通を制限したり自国優位な法整備をすることにより、持たざる国は『このまま傍観していればジリ貧になる』と妄想するわけだ。

そこで持たざる国の中の新興国、遅れて帝国主義に参入した日独伊のような国は被害妄想に囚われる。明治維新でもわかるように、帝国主義=中央集権化=グローバル経済に適応しようとすれば、かなりの無理をすることになるし、遅れれば遅れるほど参入障壁は高くなる。

明治維新でそれまでの階級制度を破壊し、特権階級であった武士を没落させ、内戦を繰り返して何とか中央集権化に成功した日本ではあるが、世界的に見ても非常にうまくまとめ上げた方である。

なんせ内戦が長期化すれば、持てる国の介入を生み、中国やインドのようにされてしまう。

こういった新興国は、国内の矛盾を外部に求める。西郷隆盛の征韓論は、秀吉の朝鮮出兵と同じように、平和になったことにより不要になった武士=軍事階級の捌け口(外地での報酬や仕事)を求めた結果である。

狡兎死して走狗烹らる、この処理を間違えれば即内政問題化してしまうのだ。


よって持たざる国は、国内問題を多く抱えたままグローバル帝国主義経済に参入しており、矛盾という爆弾のために脆弱な政権基盤しか作ることができない。

日本は明治維新後、日清・日露と対外戦争を繰り返した。特に日露戦争は国家の命運を賭けて、莫大な戦費と人的資源を投下してまで行ったのだ。

全て国内問題の矛盾を隠し、すでに埋められつつあった帝国主義の世界地図に少しでも早く自国の色を加えねばならぬという焦燥感があった。

帝国主義は『殺るか殺られるか』であり、日露戦争は最後に残されたフロンティアであった満蒙を賭けた争いであり、のちに米国が参入してきたのも頷ける。

よって日本は、帝国主義の情勢の中で、国民と国家の危機を喧伝し、国民生活を大幅に制限してまで戦争を繰り返した。ここでナポレオンの国民兵とナショナリズムを思い出してもらえば良い。

結局、帝国主義時代に生き残るためには中央集権化と安価な国民兵が必須条件であり、そのためにナショナリズムを利用するしかないのだ。

そのため、生活物資が配給制となり、重税と無償労働、子どもたちを戦場に送ることが「国家の危機を救うために必要」であると思想統制を布いて、あくまでも「自発的」に行わせなければならない。

よって言論弾圧はもちろん、同調圧力を徹底的に高めて、国家の命運を賭けた博打に参加させなければならない。

これが日本の軍国主義であり、ナチスドイツやソビエト、もちろん米英も同じようなことをやっている。

 

 


そして持たざる国は、このハードルが高いがために、極端な博打に打って出なければならない。

ナショナリズムを極限まで利用し、大風呂敷を広げ、国内問題から国民を欺いて総力戦体制を維持しなければならない。

それが大東亜共栄圏や第三帝国などの妄想的なスローガンである。

これはナショナリズム運動であり、運動継続が目的の運動である。止まることはできない。第一次世界大戦のドイツ敗戦は、この運動が止まってしまったからこそ負けたのだ。

止まることは戦争に負ける以前に、国内問題が爆発してしまう。第一次世界大戦末期のドイツでは共産主義革命騒ぎにまで発展した。

持たざる国は、無理難題をすべてこの運動に託して転がり続ける、そのためホロコーストのような惨劇にまでつながる。

 


ソビエトはちょっと日独とは違う立場であるが、同じスタートラインにあった。世界初の共産党独裁政権という脆弱過ぎる政権基盤と、国内内戦や血みどろの内ゲバ直後ということもあり、運動を維持するための運動がエスカレートを極めた瞬間でもあった。

独ソ戦が凄惨を極めたのは、脆弱な政権基盤、ひた隠す国内問題、帝国主義の殺るか殺られるか経済戦争、このすべてを矛盾すら認めずに乗り越えるために世界観戦争となった。

世界観戦争では、単純な勝利や利益よりも世界観を最優先事項とする。相対するイデオロギーを掲げる両国において、負け=政治運動の否定となり、イデオロギーの根拠の崩壊に繋がり、その火は導火線を伝わるように国内問題へ向かう。

脆弱な政権基盤を持つ権力者は、運動を止めることは自らの政治的な死ではなく、本当の死を意味する。この権力者たちは、敵を作りすぎた。殺し尽くしても足らないくらいの敵が手ぐすね引いて運動の失敗を待ち受けている。倍返しどころじゃ済まない。

ヒトラーが狂信的になり、スターリンが疑心暗鬼に陥るのは、「恐怖」であった。

要するに、世界観とは恐怖なのだ。

恐怖から逃れるために、もっと強大な恐怖を生み、それが絶滅戦争へと繋がる。

ヒトラーは戦争末期、敗北が決定的になるとドイツの都市インフラや資源の破壊を命令した。部下に反対されると、ヒトラーは「戦争に負ければ国民もおしまいだ。(中略)なぜなら我が国民は弱者であることが証明され、未来はより強力な東方国家(ソ連)に属するからだ。いずれにしろ優秀な人間はすでに死んでしまったから、この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう。」と述べたという。

この発言こそ、世界観戦争=絶滅戦争の真理である。

 

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

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最近読んだ新書では一番面白かった。

独ソ戦の個別の戦闘内容より、独ソ戦の擬人化した精神構造を理解できる良書。

 

総力戦と金については、この本が最高にわかりやすい。

 

 

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

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スターリンの異常なまでの異常としか言いようのない異常さは、以上を参照されたし。