「風立ちぬ」で「宮﨑駿」を語る!

風立ちぬ 

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「スタジオジブリ作品の最高傑作は?」と聞かれると頭がバルスしそうなくらい悩みあげてしまうが、「宮﨑駿の最高傑作は?」と聞かれれば即答で『風立ちぬ』だ。

なぜならこの作品は宮﨑駿にしか生み出すことが出来ないからだ。

 

映画のストーリーは、堀辰雄の小説「風立ちぬ」とゼロ戦の生みの親である堀越二郎の半生を混ぜ込んだものである。

この2つの原作は、宮﨑駿自身の好きな作品であるという。

すでにこの2つの原作の選択が、宮﨑駿をして遺作とまで言わせた集大成であるということを表している。

 

まず小説「風立ちぬ」は、映画同様若い男女の悲恋が題材だ。重い病で死に行く婚約者を見守る「私」、そして美しい情景描写がこの作品の見所だ。

ここから生み出された映画のヒロイン「菜穂子」こそ、宮﨑駿的女性像の頂点に君臨するもはや神のような存在だ。クラリス、ナウシカ、サンなど、宮﨑駿映画の女性達は皆一様に強くたくましく美しい。男共を一蹴し、超人的な行動力で自立した女性を演じている。

 

そんな宮﨑駿的女性像の最大のポイントはその「母性」だと思う。

花嫁姿でカーチェイスを繰り広げちゃうくらい活動的なクラリスのルパンに寄せる母性、重装備の戦士を撲殺しちゃうくらい凶暴なナウシカの風の谷の住人や蟲に寄せる母性、登場シーンで血煙を吐き出すワイルドなサンの森に寄せる母性、そこには究極の自己犠牲と神のような愛がある。

もはや現代人から見れば偽善臭い、神話のような母性だ。そのためにはマシンガンで撃たれようが足が酸で溶けようが祟り神に取り込まれようが関係ない、猪突猛進的な行動がある。

 

宮﨑駿は母親の愛情を知らないまま育った

母親は宮﨑駿が幼少期の間、重い病により長い間入院していたという。幼少期の宮﨑駿には母性の喪失体験だけが残された。よく言われるように、そこに宮﨑駿的女性像の原点がある。

そう考えると菜穂子がヒロインであり、宮﨑駿的女性像の頂点だといったことが頷けてくると思う。菜穂子は同じ病弱でありながら、死を賭してまで主人公に会いに来るような行動の人だ。二人の愛は見てるこっちが恥ずかしくなるくらいの怒涛のLOVEだが、そこには主人公を全肯定してすべてを見守るという母親的な愛が多分に含まれている。

菜穂子は美しい恋人であり、主人公の何から何まで(タバコまで)許容してくれる優しい母親であり、その愛を行動としてわかりやすく提示してくれる無私の母性の塊だった。

菜穂子とは、宮﨑駿に巣食う母親との悲しい思い出であり、ある意味復讐でもあると捉えられまいか?

 

 

 

そしてもう一つのテーマである堀越二郎

ゼロ戦の生みの親であり、天才と讃えられた時代の寵児であった。

映画の主人公を見ると、いくら天才だと踏まえても何か納得しにくい違和感が漂っていた。その違和感は2回目を見終わって気づいた。

主人公の周りを取り巻く環境の異常さだ

 

主人公は初めから終わりまで一切誰にも邪魔されない。戦争や試作機の失敗もあるが、それは時代のような大きなものであり彼個人の失敗ではない。

主人公を取り巻く環境である、友人、家族、上司、会社、どれもこれも彼に一切干渉せず失敗しても何一つ責めることはない。

嫉妬すら無い世界の中心で彼は人生を謳歌している。(実際あれだけの待遇を受けていたら洒落にならない恨み辛みを買いそうだ)

挙句の果てにゼロ戦という日本の戦争のシンボルの一つを作っていたにも関わらず、その問いや責めなども殆ど無い。(こういう映画だと必ずワンシーンはあからさまな平和讃美・戦争反対的なテロップ臭い描写がある)

 

 

これは宮﨑駿の人生とは大きく違っている。

今でこそ世界的アニメ監督であり、天才という名声を獲得しているが、注目すべきは初監督品である「カリオストロの城」は宮﨑駿38歳の時だということだ。しかも「カリオストロの城」は興行的に大失敗だった。その前にもハイジや未来少年コナンなどを手がけてはいるが、45歳くらいまでは有名なアニメーターの一人でしかなかった。

さらに「カリオストロの城」失敗とSFブームにより、絵が古臭いとオワコンの烙印まで押されてしまう。

そんな大ピンチを救ったのは鈴木敏夫でありナウシカなのだが、こう見てみると宮﨑駿は意外に遅咲きである。

 

不遇時代に舐めた辛酸とは対比的な主人公のトントン拍子のサクセスストーリーは、勘ぐってみれば『お前らの見る目がなかったからだ』という成功者宮﨑駿の呪いのようにも見えなくない。

「自分は主人公のような扱いを受けるべき天才であったのに、周囲の奴らはそれを理解できなかった、そして熱狂する世界のジブリファンも同罪だ!」

それが『遺作』

 

『風立ちぬ』とは母親への復讐、自分を取り巻く環境への復讐、まさに理解されなかった自分の鬱屈された呪いを清らか過ぎる美談として描くという用意周到な世間へのアンチテーゼ、まるでパトレイバーの帆場暎一を彷彿とさせるテロでもあったのではなかろうか?

 

・・・と宮﨑駿がまるで異常者のように書いてはいるが、これは全て僕の願望だったりする。敬愛する宮﨑駿には、邪悪な暗黒面を抱えていて欲しいのだ。

宮﨑駿にはモーツァルトやニーチェやゴッホみたいなイカれた天才として存在して欲しい。そこに人間の創造の真理があると思うから。

 

 

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