「AKIRA」を語る!
AKIRA
生まれて初めて「呆気にとられる」という現象を引き起こさせられたのがこのAKIRA。
なんと初見は忘れもしない小学校2年生の夏休み。
しかも朝の夏休みBSアニメ劇場だ。あの頃のNHKは朝っぱらからこんなハードな映画をぶちかましていたんだから、NHKこそ立派な健康優良不良少年だぜ!
当時幼稚園生の妹と序盤のマシンガンで蜂の巣シーンから最後の最後まで、ずっと口を開けて一言も喋らず見入っていた。
映画が終わると二人でチラシの裏に金田のバイクを書いていたのは言うまでもない。そして僕が漫画家を諦めたのも言うまでもない(大友克洋のせい)
欧米人が考えそうなベタな東洋の妖しいイメージを、高層ビルとコンクリートで出来た東京に上手く融合させて作られた「ネオ東京」こそ、大友克洋の起こした革命の舞台である。
高度に発達した未来都市であるにもかかわらず、あの何とも言えない不安に襲われるような雰囲気がたまらない。
町の細部に至るまでこの雰囲気を作り出す装置でびっしり固めている。
そんな中を縦横無尽に駆け回る金田のバイク、こりゃしびれちまう。
エスパー、ドラッグカルチャー、テロリスト、政治家、軍事衛星、そして新たなエネルギー。男の憧れ「そうな」ものすべてがあのネオ東京にごちゃごちゃっと詰め込まれている。
これでもかと壮大に練り込められた世界の中心で起こることは、センチメンタルな少年の屈折した友情物語である。
皆に頼られるリーダー金田、卑屈でいじめられっ子な鉄雄。
強大な力を手に入れた鉄雄は暴走し、金田を殺そうとする。
しかし最後に気づくのは、金田に憧れていた自分と力だけでは金田になれないという現実だった。最後、赤子のように金田に助けを求める鉄雄の姿は、大人になって見てみるとただのグロシーンではない少しセンチメンタルな哀愁があった。
大友克洋の長編作品は漫画「童夢」でもいえるように、巨大なものの中で起きている小さなことというストーリーが特徴的だ。
AKIRAではネオ東京という巨大都市が舞台で、暴走族や軍や革命により騒然とした中、そこで起こっていることは先程も書いた金田と鉄雄の喧嘩でしかない。
童夢は巨大マンションひしめく新興住宅地で、マスコミや警察が大騒動を捲し立てながらも、そこで起こっていることはボケた老人と子供の喧嘩であった。
大袈裟なコンクリートの箱の中を、ありとあらゆるものを使ってめちゃくちゃにしながら、そこで起こっていることは日常の派生のようなどこにでもある小さな出来事なのだ。
逆を言えば「東京や政府や宇宙だってこんなちっぽけなことから始まった他愛もないことなんだよ」と言っているようにも捉えることができる。
そこに大友作品のカオスさの根源があるような気がする。カオスというリアルと正反対な現象を、ただの子供の喧嘩で違和感なく結びつけたところにAKIRAの妙なリアルさがあるのだと思う。
ちなみに誰もが憧れる金田バイク、実際にあります。
性能は原作の金田バイクに到底及ばないものの、これはほちい・・・
『ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ』
原作を3部で映画にしてくれ~!