今更「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を語る!
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
言うまでもなく90年代を代表する映画、いや最早カルチャーであるエヴァンゲリオン。このアニメのせいで日本中がシンジくんみたいにウジウジして、日本中の非リア充男が妄想内でMY綾波レイを飼い慣らし、日本中の何人かがサードインパクトを本気で待ち望んだであろう。
そんなエヴァンゲリオンだが、今や新劇場版なるものまで(国家プロジェクト並の時間を使って)作られている。
しかしその新劇場版が作られる理由になったのはこの「Air/まごころを君に」である。
TVアニメ版のトラウマ最終回で全く満足できなかった民衆が60年安保闘争並の暴徒騒ぎを起こしそうになったため、あわてて作られた完結版・・・であったがこれまた70年安保闘争からのあさま山荘事件並の大暴動になりかけたといういわくつきの問題作。
大衆とはヤクザを毛嫌いするくせに実際のところヤクザ以上に落としどころを欲する。そんな飢えに飢えさせた国民の前で豪快に独り焼き肉を始めたのが庵野秀明の一番すごいところだと僕は確信しているのであった。
この映画、国民が欲したサードインパクトやシンジや綾波やアスカのくんずほぐれつなんてほっといて、鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱な大展開を始める。
映画ではスペランカー・ハートを持つシンジくんをこれでもかと痛めつける。武藤の膝のように脆いシンジくんはもう最終的にはオトナのチューをされてもメソメソし続けちゃうくらいなダメ人間になってしまう。
シンジくんというアイデンティティを喪失したひねくれ中二病患者の柔い精神こそ、誰もが持っている究極に自己中心的な感情であると思う。
人はそれを「大人になる」か「コミュニケーション能力」で無理矢理解決していくものだが、ちょうどこの放映当時の時代的潮流の中でこのシンジくんのクズっぷりは壮大な問題提起であったと思う。
敗戦からの経済大国へとなりふり構わず走り続けた日本を待ち受けていたのは、バブルの崩壊と阪神大震災とオウム真理教だったというまさにシンジくんばりの絶望的な空虚感に襲われていたわけだ。宮台真司とかの著作を読む前でもそんな喪失感は誰もが持ちえていたのではないか?
実際僕のようなゆとり世代を齧っている人間は、平成不況しか知らない。
昔はすごかったらしいがこれからは衰弱していく老人のような暗い未来しか無いというのを毒蝮三太夫に言われるまでもなく薄々感じ取っていたように思う。「ゆとり、ゆとりや」と温室で育てられていることこそ、大人たちの慌てふためきっぷりを表していたのではあるまいか。
そんな時、シンジくんは大人の代表者である父親のゲンドウと激しく冷たい戦争を続けながら、自分を無条件でヨシヨシしてくれそうな大人なお姉さんたちに憧れては裏切られる。
そしてその象徴であるアスカの無残な姿を見た時のあの絶叫。流れ行く「甘き死よ来たれ」。グロテスクな絵。
僕はあのシーンを見て発狂したような、いやむしろ「したい」ような衝動に襲われた。
エヴァンゲリオンはそんなぶつけようがない巨大な不安を明確に大衆の前に晒したという黙示録的な映画なのだ。
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