ド田舎で住むことのメリット・デメリット
ド田舎に住んでいる。
最寄りのスターバックスは100km、天然メダカは歩いて5mで観察できる。
ド田舎はまさに死を迎えようとしている。少子高齢化人口減少社会のビッグウェーブをもろにかぶっているからだ。
だが、捨てたもんじゃないぞ!ド田舎!
住めば都ではなく、住む人によっては竜宮城になれるかもしれない!というお話・・・をします。
現代社会の忙しさ(せわしさ)によるストレス
現代社会のせわしさとは、深夜まで明るい町、車や電車の騒音、花粉や排気ガスなどの公害はもちろんのこと、24時間カネが動いている環境や人口密集度の高さからくる息苦しさ、ひいては都会人の異様な早足などなど、都会の高度なサービスとそのサービスを提供するために動き回る人やモノの移動を含めた「せわしい感じ」をいう。
これは僕のようなド田舎生まれだと、無意識に感じ取ってしまう感覚であり、一番適した日本語だと「せわしさ」だと思うのだ。
例え眼の前で何かが動いている、何かが聞こえるというわけでなくとも、何か自分の周りで蟲が這いずり回っているような感じがする。そう、都会にいると。
これが現代社会では見えないストレスとなっており、鬱病などの原因にもなっている。
なんせ人間は本来、石器時代くらいの生活に適応するために生まれてきたにもかかわらず、四六時中明るくうるさく人が過密に蠢いている環境は、本来異常なのである。
なので、この感覚に慣れていない、または生得的に敏感な人間は、ただ何することもなく疲労してしまう。
都会の暮らしというものは、この過剰なほど便利なサービスを受けるために、過剰な環境で過剰に働いているということでもある。
その分、人、金、物の流れが密であるから、経済的に豊かな生活が送れる半面、資本主義の競争原理の影を常に感じてしまう。
だが、現代社会とはこういうものであり、これは人間が作り上げてきたものでもある。
このサービスを享受し、またこのサービスを最大限利用するために労働に勤しむ覚悟があるなら都会生活は素晴らしいだろう。
仕事や子供の教育の選択肢が多く、金銭的コストさえ賭けることができれば可能性は無限に近い。
では、ド田舎はどうであろうか?
最近のド田舎の現状
田舎といっても、新幹線駅やスターバックスや無印良品があったり、それが半径50kmにあるレベルは田舎だとは思えない。
僕の住むような人口5万人以下の限界突破集落だ。
ここでは、世間一般的な給料を得るには市役所以外に選択肢はなく、成人一人一台の車所有は当たり前であり、小中学校は統廃合を繰り返し長大な校区をカバーせざるを得ず、猪を見るより子供を見るほうが稀な『ド田舎』である。ちょっと言い過ぎかも。
現在のド田舎は、「市民総貧困と情報鎖国による悲しき共産主義国」と化している。
とにかく貧しい。貧困レベルは年収300万円あればバンザイ!というレベルだ。飢えているというわけではない。贅沢しなければ普通に暮らせる。
ここでいう貧困は、可能性と情報の貧困である。
まず仕事がないどころか選択肢すら無い。市役所・農協・郵便局を除けば、大卒の若者が働こうと意欲が湧くような選択肢はない。だから若者は帰りたくても帰れない。
また情報源が未だにテレビだ。スマホ普及率は高齢者が多いことから低いのは当然だが、スマホを持っていてもAmazonなどのネットサービスを生活レベルに落としている人は非常に少ない。
インフラも整っておらず、都会との人や物や情報の行き来は少ない。夏シーズンに都会人がレジャーに訪れて、「むっちゃマイナスイオン」とか言ってゴミだけ捨てて帰るようなところだ。
しかしここをメリットだと思える人は、最高の暮らしができる。
貧困+情報の流入が乏しいために他人と比べるほどの差異がないのだ。
市役所の上役か土建屋の社長か町医者くらいしか金持ちはいないので、すべからく慎ましい生活をしている。Apple製品でドヤ顔するまえに、Wi-Fiが使える喫茶店がないのだ。
服は都会に行ってしまむらかUNIQLOで買い、家具はナフコとか。奮発して無印良品。
高学歴者は帰ってこず、ヒッピー的な変わったライフスタイルは林家ペー&パー子夫妻でも赤面するくらい目立つので、均質的な世界が広がっている。
物質的な欲求は、若者の場合は稀に一時間以上かけて都会のイオンモールで買い物をするくらいで満足できる。どうせ高いものは買えないし知らないし持っていても無意味である。
ボロカスに書いたが、そのおかげで最初に述べた都会的な「せわしさ」は皆無だ。
町は20時過ぎれば死ぬ。遅い人でも20時には家に帰って家族と過ごす。
消費社会では必然的な所有品の自己主張や過度な嫉妬もない。そのため、ジャン・ボードリヤールがいう「記号」がほとんど機能していない。これは平たく言うと、消費社会はブランド=付加価値=自分のイメージといったように、商品の機能以上に他者との差異を求めるために消費することをいう。
貧困と情報の乏しさのため、人と比べようにも嫉妬が生まれるレベルの差異が生じないのだ。
よって、「自然的にも社会的にも静かな環境」と「総貧困による均質化された生活を送る人々」がいるところ=ド田舎なのだ。
そしてムラ社会の崩壊で住みやすさアップ!
そんなド田舎だが、昔から居住忌避理由の上位にランクインしていた「ムラ社会」が崩壊しつつある。
たしかに都会に比べれば、地域や近所の付き合いはあるし、噂話ネットワークは健在だ。
だが、(これは地域差がかなりあるが)ムラ社会は人口減少により崩壊し始めている。
まず小中学校が統廃合で苛烈に減少している。
小中学校は、無くなってみて気づいたが、地域のネットワークの中心であり、それを育む場所であった。
統廃合が進み校区が拡大されすぎた結果、ネットワークの糸が細くなり、地域事業などの運営が難しくなった。
ムラ社会的な繋がりは高齢者に多いが、若い世代は学校を中心にコミュニティを作っていたのだ。
よって若い世代は、昔のように近所の濃密な関係が希薄になった。まず近所だけで子供ネットワークを作るには子供人口が少なすぎるし、大規模なコミュニティを作ろうと思えば車で20分以上離れた地域をまとめなければならない。
これを言い訳に?、僕の地域では町内運動会や子供の集団行事が無くなった。
特に田舎の中でも最近住宅地になった地域はこの傾向が顕著で、地域との関わりをほとんど絶っているところもある。僕の近所の通称ニュータウンは、回覧板も廃止したとか。
そして高齢者のムラ社会だが、これはもはや死んでいる。文字通り死んでいる。
山間部の集落は平均年齢が70歳超えというのも珍しくなく、コミュニティ運営どころではない。
またムラ社会の強固な繋がりの源であった農業は、採算の合わない旧来型の農業+高齢化のダブルパンチで、どんどん耕作放棄地が増加している。跡取り世代も基本的に兼業なので、よっぽど物好きでない限り、農協に支配された農法では赤字が当たり前なのでどしどし辞めている。
さらに獣害により、農業を辞めてしまう人達も増えた。何でも猪が集団で田んぼを襲い、ほとんど食い尽くされた挙げ句、そこら中ひっくり返すために手がつけられなくなるようだ。
よってムラ社会を形成していた農業が廃れる→農業により地域で協力していた作業や祭事が無くなる→跡継ぎ世代の付き合いも減少する→ムラ社会崩壊という流れが起きている。
まとめ「ド田舎で住むと幸せになれそうな人とは?」
都会のサービス<都会のストレス
都会の豊富な選択肢と可能性<田舎の競争の少ない均質性
以上の傾向がある人はド田舎向きです!
都会は高度なサービスを享受でき、選択肢と可能性が豊富だ。
しかし、そのサービスによって起こる競争やストレスがあり、非人間的な環境の中で暮らすことになる。
田舎のサービスは悪い。特にインフラや教育や文化は著明で、新しいジャンルのスタイルとは全く関係性を作れない。最近はインターネットのおかげで都会との機会的なギャップはかなり減少したと思うが、それを使っている人は少ない。
だが競争は小さい。他人と比べたくなくても目に入ってしまい見えないストレスとなっている記号も少ない。選択肢や可能性は乏しいが、逆に変動も少ない。
労働環境も苛烈な競争は少なく、労働時間も少ない。移動も車社会であり、渋滞もないので維持費はかかるが都会のようなストレスはない。
最悪なのは仕事だが、役所に潜り込めるか、手堅い資格を持っていれば安定した生活は可能だ。
そうでなくても、居住コストは安く、空き家バンクなどを利用すれば格安で持ち家も購入できる。車は必携だが、ボロ車でよければさほど気にすることもない(そんなに出かけるところもないし)。給料は安いが、使い道が無いし、他人と比べることもないので無駄な散財は減る。
ちなみに娯楽はパチンコしかない。
こんな環境でも幸せになれる人は、意外に多いんじゃないかと思う。
僕も一時期都会に住んでいたが、あそこは環境ストレスがひどく、消費を煽りまくっており、田舎とは違った集団監視社会なので辟易した。
僕のように勉強と努力が嫌いで、給料上げるために社畜になるなんてまっぴらごめんで、都会の環境が窮屈で、人が多いところだと発狂しそうな人間であり、趣味や家族との時間を大切にしたいと思っているならばド田舎はオススメだ。
ド田舎は刺激がないが、都会は刺激が強すぎるように思う。
都会はシステムのために人間がいるところであり、システムを維持向上させるために無益な競争をさせられているようだ。
とある本で日本人は拝金主義すぎるというのを読んだが、これはグサッときた。アメリカ人や中国人を拝金主義だと貶しているが、日本人もそんなに変わらない。あちらは露骨だが、こちらは無意識下で拝金主義に陥っているし、政治や社会もそのように動いている。まあ資本主義国家なので当然だが。
昔はド田舎でボーッとしていることに何か焦燥感を覚えていたが、結局あれは拝金主義の為せる技であったように思うのだ。
向上心の無い負け組の遠吠えに聞こえなくもないが、けっこう海外では当たり前のように存在している「層」でもある。海外を旅行して知り合った人たちは、このシステムの暴走を理解し、自分らしい生活を(文句を言いながら)送っていた。
やはり日本社会で足りないのは、この余裕ではなかろうか?
別にド田舎で一生暮らせと言っているわけではない。嫌になったら出ていけば良いし、そういった選択肢なら、日本では誰もやらないだけで無限にある。極端な都会の話でもド田舎の話でもなく、かといって中途半端な都市がベストというわけではない。
そんなことをド田舎で思うのであった。最近こういう本ばかり見ている。
要するに宝くじが当たらなかったのだ。仕事やめてもっとド田舎で山小屋建てて暮らそうと思っていたのに・・・結局、拝金主義!!!
要するに、まだ都会で消耗しているの?というどこかで聞いたような話でした。
nounai-backpacker.hatenablog.jp
ド田舎暮らし考察決定版!!!
参考図書
世の中が変わっていくことを書いた本だが、現状の問題点が現れていて良い。
僕は70歳で殺してもらって良いので、100歳までの分の年金を早めにくれ!
システムの暴走はアメリカ発。日本はとっくに波に乗っている。
便利なサービスには裏があるという、にっぽん昔話みたいな本。
冒険家の脱システム論は必読!あと肛門のエピソードは最高!
Amazonアンリミテッドで無料だったので読んでみたが、次元の高いレベルで普通の話をしているのでとても面白かった。拝金主義~はこの本です。