「はじまりへの旅」理想的な人間が浮いてしまう現代社会
「はじまりへの旅」を観た。
今年一番良かった。というか、人生でもトップ10に入る名作である。
家族愛をテーマに、狩猟から哲学から万引きまで描く奥の深い作品。
つうことで、レビューしてみよう!
目次:
普通じゃない家族
物語は深い森の中で青年が野生の鹿を捕らえ、ナイフで首を斬るところからはじまる。
そのあとゾロゾロと茂みの中から出てくる家族。
「核戦争により世界が滅び去り、森の中へ逃げてきた家族の話?」
なんて思ったら、普通に現代の設定。
キャッシュ家は、父ベンと母レスリーと6人の子どもたちの大家族。
彼らは外部との連絡を絶ち、深い森の中で自給自足の生活をしていた。
ベンは子どもたちを学校に通わすことなく、自然の中でのトレーニングや、難解な哲学書等の読書をさせることで、子どもたちを「強い人間」にさせるため厳しく教育していた。
そんな教育を受けた子どもたちは、ナイフで獲物を捌き、火を起こし、アスリート並みの体力とサバイバル能力を持ち、それでいても8歳の子でも難解な哲学や政治の話を自分の意見として話すことができる高度な知識まである。
パッと見たところ、この教育は非常に素晴らしいものに思える。現代人のか弱い子供とは真逆の逞しい子どもたち。
だが、彼らは何も知らなかった。「世間」での生活をしていなかったからだ。フランス文学やマルクス主義の理解はあれど、NIKEやコーラを知らない。
子どもたちは、優れた知能と体力を持つが、世間一般の生活力は皆無であった。
そんな家族に大事件が起きる。
母親が自殺したのだ。躁鬱病に苦しんでいた母親は、実家で息を引き取った。
その知らせを聞いたベンは、妻の父に連絡をするが、葬式の出席を断られてしまう。
妻の両親は、ベンとの森での生活のため、妻が自殺してしまったと思っていたのだ。
警察を呼ぶとまで脅されたベンであったが、子どもたちの頼みもあり、妻の葬式が行われる教会まで家族で旅をすることになった。
孤独な革命家
子どもたちは、「世間」を旅するのが初めて。
ここからがこの映画の見所である。
世間との会合、そして母親の両親や親族たちと触れ合うことで、子どもたちは気づいてしまう。
自分たちは「普通ではなく」、尊敬していた父親が「世間的に見れば変人」であり、そして自分たちの生活は「異常」であるという事実を認識していく。
森の中では、教師であり厳格な独裁者であった父親ベンは、世間から見れば子供を監禁し、自らの思想で洗脳教育している危険人物であり、父親の思想は異常だったのだ。
ベンとレスリーは、社会は汚れており、資本主義的なシステムの中で生きることは毒であると教育していた。
そのため、「自分の意見を持った人間」にするために高度な教育を行っていたのだ。ベンは子どもたちに読書させた。そして逐一その内容に対しての考察を求めた。子どもたちは、どんな難解な本であろうと、自分の意見を持ち、それを相手に伝えられるように育てられていた。
またハンバーガーやケーキなどの食品は添加物や砂糖だらけの猛毒であり、世間の人々はその毒にまみれ肥満となり、運動も勉強もせず怠慢な生活を送っているとも教えていた。
だが、子どもたちは旅の中で、そんな両親が嫌っていた生活こそが「普通」なのだと知る。
そしてそんな「普通」の社会の中で、トラブルメーカーとして煙たがれる父親を見て、その信頼を失っていく。
父親ベンは孤独な革命家であるとおもった。
夫婦は、肥満体でストレスフルな人間を量産する資本主義的なシステムを嫌っていた。
高等な知識を持っている両親であるが、古いヒッピーのような考え方である。
夫婦は、そんな社会と決別するため、小さな革命として自らの子どもたちを自然の中で、既存のシステムに抗するように育てようとしたのだ。
これは革命だ。幕末の松下村塾の強化版、もしくはカルト宗教に近い。
そしてその教育の結果、子どもたちは強い人間となった。高度な知識や体力、自然でもたくましく生きるサバイバル能力、これは「普通」の世界に住む我々が見ても文句なしに優れた人間だと誰もがいうであろう。
だが、この革命は前衛党的エリート主義の自己満足でしかなかった。両親の教育では、社会で暮らせないからだ。既存のシステムへの反抗を思うあまり、一番大切な事を見失っている。
それは子どもたちの幸せだ。
表面的には優れた人間であろうと、子どもたちは同年代の子供と円滑な会話をすることもできない。
既存システムへの反抗であれば、そのシステム自体を変革しようとするべきであった。
両親は、システムへの反抗を自分たちの家族という狭い枠の中で行っていたのだ。これは結局、自己満足でしかないといえるだろう。
子どもたちを一生森から出さないのであれば問題はないかもしれないが、それこそカルト宗教である。
旅の中で起こる数々の問題により、ベンは次第に子どもたちへの教育を後悔するようになる。
ベンは意固地になっていたのだ。自分のせいで妻は躁鬱病になったのか?子どもたちは社会で暮らせるのか?自分の教育は誤りだったのではないだろうか?
ベンは最終的に、妻の父に子どもたちを託し、一人で森へ帰ることになった。
※この辺の顛末は非常に奥深いのでぜひ見ていただきたい。
家族の絆
しかし子どもたちは、(めっちゃ金持ち)祖父母との安定した暮らしよりも、父親との森での生活を取った。
ベンは自らの誤りを認め、子どもたちに歩み寄る。厳格な独裁者から、普通の父親に近づくことにしたのだ。
最後に、妻の遺言である「遺体は火葬して、遺灰をトイレに流して」というミッションを実施した。
火葬シーンは、本当に素晴らしいので必見!
最終的に、ベンたちは森での厳格な生活から、少し世間へ近づいた生活へと移行した。
自然の中での半自給自足の生活ではあるが、子どもたちを学校に通わせることにしたのだ。
ベンは理想よりも家族の絆を取ったのだ。
妻への罪悪感、社会への反抗心により意固地になっていた自分を改め、子どもたちの未来を大切にすることにした。
まとめ『現代人の悲劇』
ということで、非常に奥深い映画で考えさせられるポイントが多い。
現代社会での生活は豊かで安全だが、人々は人間らしいライフスタイルから逸脱し、狩りや火起こしという本来持っていた最低限の能力すら無くなってしまった。
これが問題であるというのは、現代人の誰もが思うことだ。だからアウトドアやスポーツが流行っている。
なので、キャッシュ家の子どもたちを見れば、誰もが「素晴らしい」と感じるのだ。
これは既存のシステムへの適応によって失った可能性を嘆いているのだ。我々は、自らの手で獲物を殺すことを辞め、金を払うことで「誰か」に託している。既存のシステムは、豊かさや安全を提供したが、その代償として、我々の人間としての能力の多くの部分を忘れさせてしまった。GPSやカーナビを使えば道が覚えられないように。
キャッシュ家の子どもたちが素晴らしくも異質に感じるのは、我々が既存のシステムへどっぷりはまり込んでいるというのがよく分かる。ベンはそんな人間にさせないために、あの教育を施していたのだ。
結局、それは極端すぎる結果を生んだのだが、ベンの個性的な生き方が空回りする社会の中で生きている我々が、如何に不自然なのかもはっきりと見えてくる。
ベンの家族のような優れた能力が、現代社会では異常に映ってしまうところが、この映画の最大の見せ場であり、現代人の悲劇でもある。