「LIFE SHIFT 100年生きる時代」を読んだくせに趣味に生きるにはどうすればよいか考える
はじめに※ただの愚痴なので飛ばしてください
人生100年時代の到来である。
長寿に憧れた人類は、ついに夢の大台へ辿り着いた。
nounai-backpacker.hatenablog.jp
・・・が前回の記事でも書いたが、これには大いなる代償が存在する。
超絶簡単に書くと、80歳くらいまで働かなきゃ餓死、新しいことを勉強しないと餓死、みんなと仲良くしなきゃ餓死、という我々「労働意欲皆無・全力趣味・孤独愛」を標榜する無責任自由人=趣味人にとっては苦役でしか無い未来となっている。
我々は、趣味に生き、くだらない地域や職場の人間関係にツバを吐き、俗世間と離れて好きなことだけして過ごしたいという現代におけるカス人間である。ちょっと昔なら非国民、もっと昔なら村八分からの座敷牢固めである。
我々が働いてやっているのは、あくまでも生活の糧と趣味の道具集めの資金作りのためであり、もし宝くじで7億円当たったら、入金確認次第、上司にタメ口で「おれ、今日で辞めっから」と即電話できるほどの貧弱な愛社精神を持つ。
だが、宝くじってなぜか当たらない。
我々の夢の生活は・・・西洋人のバカンスすらないブラックJAPANに産まれてしまった我々には、「老後の悠々自適」しか残されていない・・・いや、いなかった。
80歳まで働くとなると、如何に医学が進歩していようとも、趣味に全力投球なんぞできるわけがない。拙僧の場合、登山が趣味の一つであるが、80過ぎて雲ノ平まで縦走しようものなら『無責任老人、ヘリで救助。もう若くなかったと涙の弁解』の見出しでYahooニュース行きになり、曾孫が学校で遭難爺という不名誉なあだ名が付けられてしまうだろう。
・・・ちょっと話が逸れた。
だが、ここJAPANでは長期休暇が困難な労働環境であり、じゃあ遊ぶ時間欲しさの転職なんて清水寺の舞台からムーンサルトプレスである。
面接官「君、えらい仕事ポンポン変えてるけど、これどうしたの?」
趣味人「何故か知りませんけど、どの会社も長期休暇くれないんで、山のシーズン毎に辞めてました。海外の山を攻めるとかもっと大変で・・・」
面接官「きみ、それでも社会人か!」
趣味人「おいてめえ!懸垂下降できんのかこの野郎!」
趣味人、特に登山のような長期の休みを要し、さらにシーズンや天候により左右される場合、日本の雇用形態はただただファ◯クである。
僕のフランス人の友人は、5週間のバカンス休暇を取るのに上司に電話一本で済んだとか。
これからは労働体制が激変するといわれているが、ここのところは国民感情といえるレベルで概念化しているので、さてどうなるのだろうか?
他にも自転車やバイクのツーリング、マラソンやウィンタースポーツ、旅行やスキューバなんかもそうだろう。
趣味というのは、巨大なピラミッド構造であり、誰しもがその上を目指していく。
登山だったら近場の山から初め、在住都道府県の最高峰、日本アルプスのどこか縦走、北海道や屋久島、夢の海外、ニュージーランドでロングトレイル、ヒマラヤで滑落死というピラミッドになっている。
カメラだったら、スマホ、一眼レフ、フィルムカメラに寄り道してからの国産フラッグシップ機、レンズ沼でスキューバダイビングしながら、最終的にLeicaでグッド・バイ。
自転車ならカーボン盆栽、バイクなら時速300kmの壁・もしくは海にダイブでフジツボまみれ、オーディオなら1m10万円のケーブルで縄跳び、ジョギングなら心臓麻痺、ボディビルなら栄養失調、ボクシングなら灰になる。
このピラミッドは山脈のように連なっており、小さな山や珍しい山、新種の山なんかもある。いろんな人がいろんな経路をたどりながら、あーでもないこーでもないあれはだめでこっちがだめであれが至高これが至極なんて言いつつ、だがしかし一番高いピラミッドの頂上へ向かうことになる。
要するに働きたくないのでござる。
ただただ好きなことをやっていたい。ワーク・ライフ・バランス?糞食らえ!
そんな私達、無責任自由人=趣味人=現代の吟遊詩人にとっての100年人生戦略を考えてみたので披露する。
※「趣味なんて仕事の合間にしてるから楽しいのであって、本業にしたらすぐ嫌になるよ」は愚問である。それはすべての趣味への冒涜であり、そして真理である。
雇用の流動化と産業構造の大転換はむしろ好都合?
カッコイイ見出しにしてみたが、要するに日本の終身雇用制度が崩壊し、転職が当たり前になり、AIなどに駆逐されたゾンビたちが町に溢れかえれば、我々は仕事を辞めて遊びやすくなるのだ。
履歴書が長くなっても、「結果にコミットするために留学してました」とか言えば良いんじゃないか?タイのバンコクに行けば簡単に偽造学生証が作れるし。
会社にしがみつく社会が崩壊すれば、例えば登山や長期旅行が趣味ならば「お金を貯めて遊びに行って無くなったらまた働く」ことがやりやすくなり、サーフィンやウィンタースポーツなら「シーズン毎に住む場所を変える」なんて暮らしもできるかもしれない。
いや、今でもやろうと思えばできる、だができない。そこには「安定」を求めるDNAちゃんが我々を「不安」にさせるからだ。特に日本人はこの傾向が強い。
新卒採用主義やシンプルな履歴書を好んだり、年取ったら転職厳しいなんてのは、終身雇用制度のような盤石な安定感を作り出したが、個人の自由度は大いに低下させているし、逸脱者を受け入れないムラ社会化の原因でもある。
この問題に関しては、すでに時代の移行期であり、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」への一歩目を誰が踏み出すか観察中であると思う。
収入は減るだろうし、再就職が困難なことには変わりないが、「好きなことをするために仕事を辞める」という心理的・社会的な壁は無くなっていくだろう。みんながやれば。
多業=趣味をお金に変えれば一石二鳥
上記の件に加え、副業もしやすくなろうだろう。
いくら年取っても働けるようになったとしても、日本は当面は少子高齢社会。
高齢者にできる仕事は限られているので、AIが発達しようとも、労働力不足は続くだろう。
そうなれば、「多業=マルチワーク」が可能な社会になるかもしれない。
これは、現代のように「一つの会社」「一つの仕事」ではなく、いろんな仕事を組み合わせて働くことだ。バイトの掛け持ちのイメージに近いか?
働き口が一つの会社だけでは、会社の都合で働かされることになる。労働時間や休日の自由度は低い。
だがたくさんの仕事を自分でうまく組み合わせれば、ある程度時間的自由度は上がる。サーファーなんかは仕事開始時間が遅いほうが良いだろう。それにカネが欲しければ、夜勤や祝日に働けば良い。遊びたいシーズンは休みを多くできるなんて調整が可能になるかもしれない。
この辺は、社会保障などの待遇がどうなるかにもよるが、もし現在の正社員待遇に近い「安定感」があれば、雇用の自由度は上がり、引いては人生の自由度=趣味を楽しめる。
それに趣味を仕事にしても良い。
労働力不足による隙間産業と趣味がマッチングすれば尚良し。半分、ボランティアだとしても充足感はあるだろう。
現在のUberやAirbnbのようなサービスやシェアリング‐エコノミーなんかも、この多業と相性が良い。
日本は人手不足が深刻化するし、現在でも僕の住むド田舎では、草刈り難民や里山大荒れ問題、そして進撃の野獣により農作物が被害にあっていたりする。
登山趣味な僕からすると、それを口実に山に入り、ブッシュクラフト的なサバイバル登山的なことをしてカネまでもらえたら最高やんけ!と思っている。
収入的には厳しそうだが、そういった新しい労働観が定着できれば、我々の勝利の日も近い!
人口減少社会を逆手に取ってリスクを減らす
100年人生時代到来ともなれば、現在の一般常識がガラッと変わることは誰でも予想できる。しかも日本はすでに少子高齢社会で人口減少真っ只中。
現在の日本は、一億二千万人のほとんどが家庭を持ち、持ち家/マンションを購入し、70歳までには仕事を辞めて80歳半ばで死ぬという人生モデルが御真影の如く輝いている。
だが、今や世間は空き家まみれ。
人生最大の買い物である『家』を中古で買えば、収入が少なくても、新築を買ったと思えばかなりマシである。
最近は中古物件のDIYも流行っているので、中古物件が増えれば増えるほど、選択肢も増えていくことになるだろうし、価格も下がっていくだろう。
この「リスクを減らす」という考えは、現在の若者世代ではもはや共通危機感として生活に組み込まれている。
『若者の〇〇離れ』とかいって老害共は車を買えだの腕時計をしろだの五月蝿いが、これは『お金の若者離れ』なのであるのが最早言うまでもない。
別に俺たちは金があれば使うし、将来が希望で輝いていたら七年ローンでスポーツカーも買ってやらあ!
「絶望の国の幸福な若者たち 」でも書いてあるように、我々若者はとりあえず未来に絶望している。だからこそ、今を楽しむのであり、それはなるべく金を賭けずに、如何にコスパ良く達成できるかが生きる指標となっている。
だからこその晩婚化であり少子化なのだ。僕の友人の趣味に人生全振りしている連中は、全くもって結婚する気がない。一人であれば、少ない給料だろうが昇給の可能性か著しく低かろうが趣味を楽しめる。だが一人でなければ趣味を楽しめない。豊かな貧困だ。
だがこの悲しいリスクヘッジは、エリートでない人間にとっての有効な選択肢の一つになっている。
趣味や自分のライフスタイルを守るために、結婚や家族を守ることや子供の教育費を省いてしまえばアラ不思議!数千万円が何もせず手元に舞い降りるのだ。
僕の世代だと、奨学金地獄や親の苦労を身をもって体験している。だからこそのリスクヘッジであるのだ。
少子化の問題はこういった選択的リスクヘッジが効いていると思う。
人口減少時代により、家を安く買うなど、今まででは考えられなかった節約が可能となった。また人口減少時代だからこそのニーズが新しく生まれるだろう。
国はリスクヘッジとしての口減らしを傍観してきたようだが、こういった社会変化を逆にうまく活用できるよう、若者というパワーをうまく使ってほしいものだ。
まとめ
①雇用の流動化と産業構造の大転換はむしろ好都合
②多業=趣味をお金に変えれば一石二鳥
③人口減少社会を逆手に取ってリスクを減らす
この3点をうまく使えば、現在の労働環境からかなり自由になると思う。
現在の社会制度でこの3点を見てみると、我々庶民が欲しい安定感は無いに等しい生き方ではあるが、人口減少時代に突入することでさすがに手を加えられることになるだろう。
そこで、①が進めば仕事を飛び回る間に長期趣味時間を得ることができるし、②が定着すれば悲願であった趣味と実益を得やすくなるかもしれないし、③で今まであり得なかった節約や生活スタイルができれば趣味にお金を注ぐこむことができる。
だが、③で述べたように、「家族を持つことがリスクになっている」という大問題がある。決して産めよ増やせよというわけではない。だが、現在の日本の社会では、家族を持ったり、たくさんの子どもを育てることは「リスク」となってしまっている。
現在の若者はリスクに敏感だ。趣味に生きると神に誓ったのなら別だが、普通に生きたい人もある程度不安なく生きられるような社会になってほしいものではある。
だがだが我々趣味人は、どんな世の中であろうと生き続ける。
そこに趣味があるからだ。
「LIFE SHIFT人生100年時代の生き方」を読んで未来に絶望する
人間50年と信長が舞いに舞っていた戦国の世から450年以上が経ち、人間100年~♪となるそうな。
そんな遠からず訪れる超長寿社会に向けての人生戦略を謳った本が「LIFE SHIFT」である。
人生100年時代の人生戦略なんて聞くと「いやあ、そんなに俺は生きたくねえなあ」と思うかもしれないが、そんな人ほど土壇場まで生にしがみつくのが人間の悲しい性である。
100年生きるということは現代のあらゆる「尺度」が間延びするわけで、人種の垣根なくほとんどの現代人が思っている「人生の正攻法」がガラッと変わってしまう・・・らしい。
「人生の正攻法」とは、しっかり教育を受け、勉学に励み、良い大学を出て良い企業に就職し、結婚して子供を育て、年金をもらって余生を過ごすといった近代以降の模範とすべき『人生モデル』である。
意識高い系起業家や、逆に学歴コンプレックスの強い人間は、「いや、そんな生き方が正しいわけじゃない!」なんて言うかもしれないが、その反骨心を生む根底にあるのがこのモデルだということは否定できまい。
簡単にまとめると、
①仕事がめっちゃ変わるよ
第二次世界大戦が終わって70余年。
うちのばあちゃんは子供だったが、その頃はテレビもなければ、冷蔵庫もインターネットもブルーボトルコーヒーもなかった。というか食糧も満足に無かった。
うちの父親が物心ついた50年前、白黒テレビがカラーに変わりかけで、田舎ではまだ車が珍しかった。もちろブルーボトルコーヒーはない。
さらに僕が生まれた頃、携帯電話がアイロンくらいデカかった時代からは想像もできない、なんでもできちゃうスマートフォンを誰もが持てる時代になった。
2歳の我が子は、テレビの画面をタッチしたり指でなぞっている。最近の若いやつは、液晶画面は皆タッチ機能があると思ってしまうらしい。
たった70年で恐ろしい技術革新・情報革命が巻き起こり、我々の生活は一変した。
そして仕事も一変した。百姓だらけだった日本は、今やサービス業だらけ。Excelが使えないと仕事にならないのだ。
人生100年ともなると、年金支給開始年齢は大幅に引き上げられるのは確実であり、80歳近くまで働かなくてはならなくなる。悪夢だ。
しかしただ働くといっても、これから先、めちゃくちゃ技術革新は続くだろう。
現在、我が職場ではお偉方がパソコンどころかキーボード操作もできないため、未だに手書きの書類が必要になる。これがまたクソめんどくさい。若い社員はこれを『老害』と呼んで忌み嫌っている。
でも、これのもっとパンチ効いたやつが我々に襲いかかってくるのだ。
すでに最近の若者は、インスタグラムなどの画像検索から情報を得ているらしいが、僕はインスタグラムすらやっていない。
80歳まで働く場合、常に時代に合わせて勉強していかなければならないのだ。
時代にコミットしなきゃいけない。現代のように、一つお硬い資格があれば一生安泰なんて時代は、AIによって蜂の巣にされるだろう。
すでに崩壊しつつある終身雇用制度は息の根を止め、労働市場は流動化し、転職が普通になる。電話交換手みたいに仕事自体が消滅することも増えるだろう。
つうことで、先見性を持ち、常に努力し、結果にコミットしていかなければならない。
なんせ80歳まで働くんだから。
②老後の生活大丈夫かな?
80歳まで働ければよいが、それが不可能だったり、そんな年まで働きたくねえよ!という人もいるかも知れない。
ならば、目指す道は2つ。貯蓄するか、霞を食って生きる体質作りをするかの二択である。ほとんどの人は貯蓄を選ぶだろう。著者は投資や副業によって貯蓄する例を挙げている。
だが、もっと大事なのは無形資産である。
家族、健康、友人、人脈、地域との繋がりなどだ。
長い老後を生きるためには、周囲の人達と協力していかなければならない。
例えば老後の貯蓄が少なくても、3,4世代で一緒に住み、若い人が働き、老人は子供の面倒をみるなど協力して過ごす。現代はこの真逆である核家族化(終息気味?)が世を覆っているが、長寿リスクを考えると信頼できる家族と協力することは、若い世代にもメリットはあるだろう。
人脈では多様なネットワークを築くことで、老いても仕事を紹介してもらえたり、新しい選択が増えるチャンスに巡り会いやすい。先程も書いたが、今までのように一つの会社や仕事に頼り切る時代ではなくなるからだ。さらに100歳まで続く人生を支えるアイデンティティを育むことも、多様なネットワークがあることで楽しく主体的な生活を送る手助けとなり得る。
あと一番大事なのは、やっぱりパートナー!
まとめ
ここまでをまとめると、
「100年生きることを前提として」生きていかなければ取り返しの付かないことになる。
この一言に尽きる。
今までのように、単一のキャリアや資格だけでは、安定した収入を得ることはできなくなる確率が高くなる。
そのためには、常に先見性を持ちながら勉強し、さらに多様なネットワークを築いてリスクへ対処していかなくてはならない。
兎にも角にも、「100年時代の人生戦略」を持って生きていかなくてはならないのだ。
もちろん、この本に書いてあることすら、全く見当違いになってしまうこともあるだろう。
iPhoneが出た時に、これが世界を斡旋すると革新した人間は世界に何人いただろうか?
僕はiPhoneを始めて見た時、「ミーハーが好きそうな電池持たないデカイ携帯電話」だと思った。まさか、スマートフォンがなくてはならない存在になるなんて想像もしなかった。
これから先の「正解」を知る者は誰もいない。
だが世界大戦でも起きない限り、「現在の若い日本人は、100歳まで生きる人が大半となる」ことはかなり現実的な予想である。
長生きするのは人類の夢であったが、そのためには大きな変化に適応するよう求められる。
これを代償と取るか、不安と取るか、幸福と取るか、それはその人次第。
労働意欲皆無な僕は、この本をホラー小説として読んだ。
内容はかなりエリート向けで、「おれ、すでに終わってるじゃん」と絶望する箇所がたまにあるので心して読め!
エリート向けで、学習意欲高いリア充、もしくはコミュニケーション強者向けの内容となっている。
あえて言おう!カスであると!
なんやこれ!こんな人生まっぴらや!俺は働きたくないし、命令されたくないし、一人が好きだし、地域の行事とか面倒だし、好きなことして楽しく暮らしたいわ!という孤独者向けに僕が思うライフシフトを書きました。
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