昭和モデルを辞めないと田舎は詰むけどたぶん無理
「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか」
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
若手官僚の問題提起がネットを駆け巡っている。
全体的に好意的に見えるが、やはり賛否両論。
だが、こういった挑戦をお上の方が、しかも前途有望な若者がやってくれるなんて、素晴らしいことだと思う。
では、これに乗っかってド田舎の不安な若者の一意見を上奏させていただこう。
目次:
田舎は腐海化している
前にも書いたんだけど、ド田舎の現状は悲惨を越えて平和なシリアと化している。
正直、住んでいる若者の誰もが「もう詰んでる」感でフィーバーしている。
ド田舎は腐海化しているのだ。
では、ド田舎の腐海化スパイラルをダベっていこう!
まず日本社会で並の暮らしをするためには、ある程度の学歴や専門知識は必要だ。で、近くにそれを学ぶ学校どころか機会すらない。ということで、都会に出る。都会を知る。ユニクロやスタバがいっぱいある。バイトをする/就職する。都会の賃金を知る。田舎に帰ろうか。求人を見て愕然とする。
要するに、都会を知ってしまうと故郷の悲惨さが嫌になるほど目につく。田舎は環境が良いとか言うが、若者は大自然よりスタバが好きだ。
そして若者が故郷を捨てる一番の問題が賃金の低さである。もちろん選択するほど仕事の質も量もないこともあるが、とにかくこの賃金がネックだ。都会で一度働くと、金銭感覚から生活スタイルまでもが都会の固定概念に覆われてしまい、故郷に帰る事が「損」する気がしてしまう。
業種が限られているため、せっかく都会で学んだことを活かすことも出来ない。そして生活レベルは格段に落ちる(気がする)。
これで帰れという方が酷だ(最近の田舎の親は帰ってこなくて当たり前だと思っている)給料は下がり、車は必須だし、奨学金も返さないといけない。メリットがなさすぎる・・・と思われてしまう。
だが、田舎に帰りたいという若者は多い。都会の暮らしは田舎者には酷なのだ。僕の友人たちもちらほら帰ってきている。だが、帰ってきた友人は専門職か公務員中途採用組か親のコネがある奴らである。なんせ田舎の並の企業は、役所か病院か農協くらいだ。
若者帰らせよう運動を行政も何となくやってはいるが、どれも郷愁を誘う精神攻撃ばかりで全く実益がない。風船爆弾のようなことに、少なくない税金を使っている。
まさにじわじわと死へ向かう腐海ではないか!
「また村が一つ死んだ。行こう、ここもじき腐海に沈む」
若者より「老人とお百姓」
田舎は若者流出を嘆き悲しむくせに、血税は惜しみなく老人とお百姓に分け与える。
たしかに少子高齢化で医療介護施設は足りていないし質も悪い。ある程度予算を設けないと、街中徘徊老人と介護離職者でバイオハザードな世界になるだろう。
田んぼも荒れ放題で、最近は猪や鹿の遊び場と化しており、たまに熊が出て世間を賑わす。
だが若者に帰れというくせに、帰ったら老人と荒れた田んぼを何とかさせようと虎視眈々・・・としか思えない。
病院はいつ行っても老人で満員。数時間待ちは当たり前。田舎は公共交通機関が皆無なので、日中は介護タクシーだらけだ。
田舎の特に山間部は、山間の谷川を上って集落が点在する江戸時代のような風景が広がる。棚田とかね。山の上から流れる小川沿いに家と田んぼがポツンポツンとあり、それが下流まで続く。
このご時世にも関わらず、その山間の数十人(ほぼ高齢者)のために、立派な道路を作り、インフラを惜しみなく与えている。そのうちの半分もすでに田に水すら張っていないのに。
子供は宝とか言っておきながら、こんな状況では子育て支援など無い袖は振れないの一点張り。どこの自治体でもやっていそうな支援程度しかない。
これで若者に帰れと言う方が図々しい。
やめよう!昭和モデル!
このどれもがすべて昭和モデルの副産物だ。
「サラリーマンと専業主婦で定年後は年金暮らし」という
「昭和の人生すごろく」のコンプリート率は、既に大幅に下がっている。
上述のリンクにもこんなことが書いてある。
「正社員終身雇用からの年金暮らし」という日本型雇用システムが基盤であり、高齢者=弱者という社会保障が未だにのさばっている。
これに「あらゆるインフラと社会システムのゴール=東京」が加わることで、日本は少子高齢化と田舎の腐海化から抜け出すことが出来ていないと思う。
※ひとまず、この今までの日本の構造を「昭和モデル」としよう。
もはや、日本型雇用システムなんて一部上場企業か公務員くらいしか達成できていない。田舎など企業自体が少ないのだから、こんなの真似するだけで破滅だ。
そしてインフラや社会システムが何でも東京がお手本みたいになっている。変な規制、医療や介護、公共交通機関、役所の仕事・・・すべてが東京モデルに習っている。まるで東京に近づけば100点満点かのように。
僕は地域差を認めるべきだと思う。
田舎は60代でも若者なんだから、雇用体系やそれに関わる税金なども変えて良い。シルバー人材を使わなければ、田舎の特に介護の現場は回らないだろう。幾つもの仕事を持ち回りできたり、時間を選べたり、柔軟な働き方が必要だ。それに経済的豊かさより、家族と一緒にいたいとか、自然の中で暮らしたいとか、そんな人の受け皿には田舎は適していると思うんだけどな。
仕事がないなら、法人税を下げたり、土地や空き地や廃校を無料で貸すなり、思い切ったことしないとただでさえ見向きもされないんだから。
インフラももうさすがに優先順位を決めて、あとは捨てるくらいの気でいないとイノシシ用の立派な道路ができるだけだ。コンパクトシティ化して、中央に山間部の老人を集めて、医療や介護の労力を減らすといったことも視野にいれるべきだ。別にハコを作らなくても、市内の中心部すら空き家が多い。
医療や介護面でも、不必要な診療や服薬や延命治療は実費にするしかない。処方箋だけでお茶碗いっぱいになりそうな人をよく見る。
とにかく昭和モデルや東京幻想の集団洗脳を解かなければならない。これらに習っていやっておけば良いというのは、ズルズルと血管を壊死させるだけだ。
田舎は貧しいんだから、貧しいなりにやり方がある。貧しくても地域で協力して行こうというところや、貧しいから税金の優先順位を合理的にしていこう、町を小さくして支出を減らそう・・・なんて独自の戦略があってよいはずだ。
でもやめれない昭和モデル
だがこんなことは田舎では絶対に不可能だ。
昭和モデルはすでに利権によって雁字搦めだ。
この昭和モデルを続けているだけで、何代にも渡って市や県や国の政治家になれるし、田舎の土建屋や農協や郵便局なんかは潤い続ける。
要するに昭和モデルから抜け出せないのは、それによって経済が回っており、そこに美味しい汁があるからだ。
先程の山間の豪華な道は、住人に聴けばどの政治家がどこに頼んで作ったかなんて皆知っている。
昭和モデルが如何に遅れていようと、民間企業や若者の少ない田舎では、このモデルによる経済しか知らないし、政治はこれに根ざして存在している。
小泉総理の構造改革で田舎がどんな目にあったか、ちょっと調べればわかる。国からの交付金という点滴だけで楽して生きてきた田舎には、僅かな変化でも悲惨な結果になる。
だから田舎は変わらない。
※小泉改革は自民党への依存を巡り巡って強めるカンフル剤だったわけだ。民主党政権はただのガス抜き。今の安倍政権の盤石さと妥協的指示はすべて小泉改革にある!気がする。
何となく絶望
結局のところ冒頭の資料にあるように、公より個人の時代なのだ。
もう政治やマスコミなどに頼っていれば、少しずつだが確実に壊死は進行する。
観光に力を入れようが、駅前にハコモノぶっ建てようが、ゆるキャラ活動に勤しもうが、それは昭和モデルの踏襲でしかない。
だが若者だけでコミュニティーを作るとか、起業するとか、外部から人を呼ぶとか、個人や民間を利用しても、正直すでに詰んでいるようにしか思えない。何も名案が浮かばないし、行動する気も起こらない。他力本願というよりは、まさに詰んでいるとしかいえない。
たしかに公より個人は納得だが、その個人を今まで放っといておいたわけだし、環境や社会が個人プレーできないくらい厳しいわけで、そして一番個人の力が必要急務な田舎ではその個人が生きるのがやっとという状態。
そういった時に、この閉塞感を打ち破れそうなカリスマが現れたら・・・おそらくコロッと騙されそうな気がしてならない。トランプが大統領になれたのも、アメリカの田舎のこの「もう詰んでる感」が大いに助けになっただろう。
でも冷静に考えて、この田舎の負の構造が変えられるには恐らく現在のバブル世代以降がいなくなってからだろう。これは政治力もあるが、古き良き昭和を知っている人たち(世界GDP2位世代)の思考を変えるのは恐らく不可能だろうから。平成大恐慌世代が半数を上回れば、世の中変わるかもしれないが、その時日本はどうなっているのだろう?
そう考えると、三十路子持ちの僕は何となく絶望するのだ。
補足:
でもでも「経産省の次官・若手プロジェクトの報告書」は今の凝り固まった社会構造の転換点になるかもしれない。だが賛否両論の否の部分、とくに現場の声不足は否めない。戦後70年以上おんぶに抱っこだった田舎の個人の力の無さを舐めちゃいけない。
なのでこの報告書は、こういった現場の声を集める良い機会になったと思う。このままでは、おそらく日本でトランプは生まれないが、トランプ以上に無能な政治が致命傷になるまで続くだろう。イデオロギー的なものは一切排して、とにかく日本はヤバくて、どうにかしないといけないという事実は危機感を持って共有するべきだ。
「サピエンス全史」~なぜ人類はここまで発展できたのか?は三大革命で考えるとわかりやすい。
歴史本としては異例の大ヒットを記録した「サピエンス全史」
少々お高いが、それに見合う革命的に面白い歴史本であった。
なぜ我々人間(ホモ・サピエンス)が地球の支配者として君臨しているのか?という素朴だが重大なテーマを、単なる網羅的な歴史年表ではなく、独自の解釈も交えて考察している。
歴史の「なぜ?」の根本を揺さぶる珠玉の名作だったので、解説と書評してみる。
ホモ・サピエンスの三大革命
我らがご先祖は、アフリカのサバンナで肉食動物のおこぼれに預かり何とか暮らしていた時代から、数万年かけて南米の先っちょまでたどり着いた。その間に、同じサピエンス親戚(ネアンデルタール人)や大型哺乳類達を絶滅させながら。そこからはご存知の「歴史」が始まる。
なぜホモ・サピエンスがこれだけ繁栄しているのか?という、歴史の根源的テーマを語るには、3つの革命を軸にするとわかりやすい。
①認知革命
まず最初の革命は「認知革命」だ。
そもそもだが、ホモ・サピエンスは数万年も前からいっさい進化していない。
動物というのは、とてつもなく長い時間をかけて進化する。ネズミから人間になるまで、気の遠くなる年月が必要だったように。
なので、生物には生物学的特性の限界が存在する。ホモ・サピエンスがいくら努力しても、おそらく100mを8秒台で駆け抜けたりはできない。
だがそんな限界点を、ホモ・サピエンスだけはある能力で突破した。
ホモ・サピエンスの繁栄の最重要ポイントがこの「認知革命」だ。
それはまず言語に始まる。言語についての始原は諸説あるようだが、コミュニケーション能力は進化の途中ですでに得ていた。
だがイルカやチンパンジーと違い、ホモ・サピエンスのコミュニケーションは『虚構』を作り出すという特異さがあった。
人類最強の武器「虚構」
ホモ・サピエンスのコミュニケーションには、2つの重要な点があった。
まずは「あの川の近くにライオンがいたぞ。危ないよ」というような情報共有としての手段。他の動物のような危険が迫った時の警戒音だけでなく、情報を混ぜることが出来た。
もう一つは噂話(フィクション)。この噂話こそ、社会性を持つ動物の必須条件だ。
だがこの2点だけでは、150人くらいの集団までしか維持できない(現代でも有効な数字だとか)
ホモ・サピエンスはここに「虚構」を作り出すことにより、大規模な集団形成(都市・国家・宗教)が可能となった。
虚構は、伝説・神話・宗教のようなものだ。ある神を信じることで、見ず知らずの人間同士でも連帯感が生まれる。例えば、見知らぬ人でも同じ野球チームやアニメが好きだとわかれば会話が弾む。キリスト教やイスラム教のように、グローバルな宗教が生まれるのも、この虚構のおかげというわけだ。
こうしてホモ・サピエンスは、一匹の動物としてはとてもか弱いのだが、大規模な集団を作ることにより、自然と動物に対して圧倒的な力で対応することができるようになった。
②農業革命
1万年前、それまで小さな集団で狩猟採集生活をしながら地球上に散らばっていたホモ・サピエンスは、定住し農業を始めるようになる。
農業といえば説明不要の人類の生活においてかけがいのないものだと思うが、これは『人類史上最大の詐欺』であった。
たしかに農業によってホモ・サピエンスは現在の地位にいるといっても過言ではない。ホモ・サピエンスは、豊かになるために農業を始めた。
だがホモ・サピエンスは身体の構造上、狩猟採集生活をするために作られていた。
ホモ・サピエンスは農業という重労働により、ヘルニアや関節炎に悩まされ、慣れない穀物食のために虫歯や消化不良や低栄養に悩まされることになる。
ホワイトすぎる「狩猟採集生活」
今では不安定だと思える狩猟採集生活だが、農業よりもよっぽど楽で豊かだった。
脳や精神(心)は、この狩猟採集生活によって培われ適応しているという説もあるほどだ。(そのために疎外感によるストレスや鬱病がある)
例えば、なぜ肥満になるか。これは狩猟採集生活だと、カロリーが高いものが少ないため、見つけ次第食べるようDNAにプログラムされている。移動生活で保存手段もないため、旬なものは無理にでも食べてしまうに越したことはない。だが現在の飽食の時代でも、このプログラムは有効だ。
他にも、狩猟採集生活では、コミューンで子供を育てていたため一夫一妻制などあり得なかった。だから離婚するのは当たり前だとも言える(※著者が言っているんだよ)
労働時間も狩猟は3日に一回、採集も一日3~6時間ほどで、家もないから家事は不要。食物も多様で、穀物など限られた品種しか食べていなかった農耕民より健康だった。災害や飢饉や疫病も移動しているため影響は少なかった。
なぜこんな豊かな生活なのかと首を傾げたくなるが、これはホモ・サピエンスが地球上で数百万人程度しかいなかったからだ。人口密集率は一人で数百キロなんてザラなのだ。そのため食糧は豊富にあったので、豊かなところへ移動していけばよかった。狩猟採集時代のご先祖様が今の東京に来たらなんというだろうか?
そしてホモ・サピエンス史上、最も生物レベル的に強かった「ホモ・サピエンス最強時代」はこの時期。肉体はもちろん、植物や獲物の知識量も半端なかった。そして弱い者はただちに殺されるか捨てられた。移動生活であるため、付いてこれないものは容赦なく殺した。この辺の話はヒトラーにも通ずる。
ちなみに現代人の脳は狩猟採集時代より、少し縮んでいるらしい。
農業=贅沢の罠
ではなぜホモ・サピエンスは、豊かな生活を捨て、きつくてブラックな農業定住生活に移行したのか?
それは1万8000年前に緩やかに始まった。
現在のイラク付近にあった野生の小麦を見つけたホモ・サピエンスは、それを採集して食していた。その運搬時に集落地に種がこぼれたり、原始的な焼き畑により高い木がなくなったことにより、小麦にとって有利な環境が作られた。初め、収穫期にだけ定住を初めたホモ・サピエンスは、次第に家や道具を作り始めた。そのうち、採集物の一部を貯蔵して種まきする事や、地面を耕したり、草抜きすることで、より小麦が育つことを覚える。このような原始的な農業が散発的に緩やかに広がっていく。
ここに「贅沢の罠」が生まれた。
農業は少しずつ改良することにより、確実に収穫は増えた。その分、労働はもっと増えた。これにより、(しんどいけど)頑張れば頑張った分だけ豊かになれるのではないかという虚構が生まれた。
農業=「今よりもっと良い暮らしができる」んじゃないか説
たしかに農業により、小麦などが安定して収穫できた。
移動生活を辞め、お粥を与えることで、出生率が飛躍的に上がった。お粥は母乳より栄養は少なく、免疫も弱いため感染症が生まれたが、その死亡率を出生率が大きく上回った。人口が増えることで、労働力も飛躍的に上がった。
だが、生活は一向に楽にならなかった。
単一食糧に依存するため、飢饉や災害の被害が増大した。定住や食物貯蔵により、外部の人間から集落を守る必要性が生まれた。
豊かになるどころか、心配事は増えるし、ますます仕事は多くなるではないか。
「給料が上がるって聞いたのに、休みはないし残業まみれで、とんだブラック企業じゃないか!」と怒って農業を辞め・・・なかったホモ・サピエンス。なぜか?
それは農業定住生活がブラック産業だと気づくのに時間がかかりすぎたためだ。
数千年に及んで騙されたせいで、もはや前の生活には戻れなくなってしまった。狩猟採集生活ノウハウは廃れ、人口が増えすぎて身動きが取れない。
ホモ・サピエンスが農業定住生活で苦しんだ結果、一番得したのは小麦だった。中東のペンペン草は、今や全世界で子孫を増やし続けている。
だが農業革命により、今日の社会が生まれることになる。
農業定住生活により、生活範囲が減少し、収穫(未来)の不安により時間概念が生まれた。この安全欲求の満たされないストレスこそが、政治や社会の土台となった。余剰食糧を得ることで、エリート層や支配者が生まれ、高度な社会が作られていく。
高度な社会を運営するために、「想像上の秩序=宗教・法律・道徳など」と「書記=税金の記録→官僚性」が生まれる。ホモ・サピエンスは、本来生物学的にはありえない大規模な協力ネットワークを、この2つの発明を駆使することで可能にしたのだ。
③科学革命
科学革命を成し遂げたのは、それまで辺境のド田舎であった西ヨーロッパだ。
西ヨーロッパは、西暦1500年くらいまでは世界のド田舎であった。その頃の世界GDPは8割がアジア(しかもそのほとんどが中国とインド)だ。
それが今や現代社会の基本中の基本は、ほぼ西ヨーロッパ産で埋め尽くされている(民主主義・銀行・マスコミなどなんでも)
「なぜド田舎の西ヨーロッパが世界を牛耳れたのか?」の答えは科学革命なのは言うまでもない。
無知の知
そもそもだが、1500年の西ヨーロッパ以外の世界は、ほんの近代まで『人類の進歩』なんてものは全く信じていなかった。
ここで「え?」ってなった人は、すでに西ヨーロッパの作り出した虚構にハマっている。
近代までのホモ・サピエンスのほとんどは、冷蔵庫でビールを冷やしたり、スマホで写真を送ったり、月までロケットで飛んでいったり・・・なんてことが『良い』ことだと認識していなかった。
世界はすでに完成形だったのだ。
聖書やコーランに書いて有ることや、王様や村の長老が言うことがすべて正しいと思っていた。だからそれ以外のことは無価値だった。
例えば「なぜ月の形が変わるんだろう?」という疑問も、神話や宗教で説明できるならそれが答えであり、何の記述も無ければ知らなくても良いことだった。
近代以前まで圧倒的な文化レベルを誇っていた中国や中東も、時たま発明はするが、それを生活や商売に使おうなんて思考まで至らなかった。羅針盤や火薬を発明した中国は、羅針盤を使ってやってきた西ヨーロッパの船団の大砲に打つ手がなかったのは歴史の皮肉だ。
西ヨーロッパの国は、世界は未知だという概念を持った。「無知の知」である。
ペストや宗教戦争を乗り越えた西ヨーロッパは、コロンブスのアメリカ発見により、新大陸の存在を知り、そして聖書の信憑性と価値が失墜する。
世界には、聖書に書いていない知らないことがたくさんあったのだ。
西ヨーロッパ人は、この自らの無知を知ることにより、知ってるつもりの大国を尻目に科学を発展させる道を選ぶ。
西ヨーロッパの強さ=資本主義
このコロンブスの新大陸発見という「無知の知」を得るターニングポイントを生んだのは、西ヨーロッパにあった資本主義だ。
大船団を組んであるかどうかもわからない大陸を目指すには、莫大な資金が必要だ。コロンブスは大金持ちでもなく、王侯貴族でもない。
なぜこんな大事業が出来たのか?
それは「投資」されたからだ。
資本主義の基本は信用(クレジット)である。
プロテスタントの登場などで、ほとんどの社会で卑しいこととされていた「個人の利益追求」が良いことだという概念が生まれていた西ヨーロッパ。
個人の利益は、雇用を促進し、技術に再投資されるので、巡り巡って全体の利益になる。この革命的な思考のもとに、王や商人は率先して利益を求め莫大な投資を行った。
西ヨーロッパ以外の国はというと、利益を投資ではなく消費するだけだった。戦争は略奪であり、支配者は大半の利益を巨大な建造物を作ったり酒池肉林して消費するだけだった。
西ヨーロッパは利益を投資することでますます利益を増やした。信用は株式や金融を産んだ。投資は「みせかけのカネ」だ。その信用を正当化するために科学の発展も促した。
利益追求は、野心となり、コロンブスの大博打を賄えたのだ。
コロンブスの成功は、莫大な富をもたらした。
莫大な富は莫大な投資となり、やがて帝国主義となる。征服事業は征服の度に融資を増やし、加速度的に広がっていった。
サピエンス、その果てに
三大革命により、(西ヨーロッパ中心に)サピエンスは地上を制した。
帝国主義により悲惨な戦争を見たが、それでも今やグローバル化社会として大いに発展している。
認知革命により巨大なコミュニティーを作り、農業革命により人口を増やし、科学革命により熱エネルギーを駆使して生産力を高めることが出来た。
そして核兵器により自らを絶滅させることまでできるようになった。
サピエンスの力の源は「虚構」である。
虚構は社会適応性を高め、生物レベルでの限界を超えさせる力を持つ。
だが虚構は生活の深部にまで刷り込まれている。
ほんの何十年前まで、人種差別は当たり前だった。当時の科学がそれを「証明」してみせた。今では現代の科学がそれを否定し、法律で禁止された。
だがこれもまた変わるかもしれない。科学や法律すらも虚構なのだ。
まとめ
本当は「お金」や「宗教」についても、もっと鋭い指摘があるのだが長くなったのでこの辺にしよう。
こうしてみると、三大革命の重要性を謳うのは非常に的を得ているような気がする。
ひとつの生物としてみると、認知革命で生物レベルの限界を超えて他のサピエンスや動物を出し抜き、農業革命で自然を制覇した。そして科学革命により、その地位を不動のものにした。
だがその他の生物や地球の歴史として見ると、ホモ・サピエンスは完全に害獣でしかない。
この本を読んで、ホモ・サピエンスは幸せなのか?という疑問を持った。
本来、狩猟採集するための身体と精神を、慣れない農業や集団生活に投じている。
虚構により、本来認知できないようなことを盲信させられ、それに振り回されている。例えばコンビニで勝手にパンを食べただけで逮捕されてしまう。目の前にあるパンを、空腹で死にそうでも、レジに並んでお金を払ってからやっと食べられる。もちろんゴミはゴミ箱へ。これだけのことでも、多くの虚構が混じりこんでいる。
身体や精神を病むのも当然だろう。
豊かさを求めたために、これほど虚構だらけの世界になってしまった。
これで幸せなのか?
いや、そもそも「幸せ」という概念自体が虚構なのだ。
「なぜ西ヨーロッパが世界を牛耳ったのか」をもっと知りたければ、ジャレド・ダイアモンド先生の名著がおすすめ。
日本にも梅棹忠夫なんて天才もいるので一読あれ。
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