脳内バックパッカー

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最近の「幸福の尺度の変化」と現実のギャップ

絶望の国の幸福な若者たち (講談社+α文庫)

絶望の国の幸福な若者たち (講談社+α文庫)

 

最近の「結婚も消費もしない若者」や「飲み会も来ない出世もしたくない若者」を描いた素晴らしい本「絶望の国の幸福な若者たち」の内容がいよいよ現実社会に吹き出てきたような気がする昨今。

昭和型の幸福の尺度=良い大学に入って良い企業に就職して結婚して子供作って家建てて・・・は昭和幻想として今も燦然と輝いている。

この昭和幻想は、未だに50代以上には幻想ではなく現実として写っているだろう。

まあ、それは仕方がないことだ。

 

だが、この昭和幻想に未だに取り憑かれているのが、政治家やマスメディアだというのが日本の最大の問題ではなかろうか?

政治家の発言や官僚の作成した法案やテレビ番組や商品の広告から何から、この昭和幻想を大いに引きずっている。

だから、彼らが云う『~しない若者』たちは、この昭和幻想族から引いていく。いや、引いている。オワコンなのだ。終わっているのだ。

なんせ我々、日本の若者は平成不況族である。

 

日本に蔓延るこの認知的不協和は、昭和幻想族と平成不況族という二大民族の不毛な、というか昭和幻想族からの一方的なマウンティングなのだ。

要するに、日本は単一民族国家ではなくなってしまったのだ。

昭和幻想族はバブルまでのイケイケニッポン、エコノミックアニマル、NOと言わせない日本人を知っている者たち。

平成不況族は、バブル崩壊後の経済的政治的地政学的凋落、契約社員、◯◯氷河期しか知らない者たち。

だが本来の社会で起こるべき自浄作用、「老人は退き、若者が興る」という自然の不文律を破壊する少子高齢化社会という未曾有の災害により、昭和幻想族がいつまでも社会の上層部にこびりついてしまっている。

別に昭和幻想族が不要だとか無能だとかいうわけではないが、時代のサイクルに対応できないでいるのは周知のとおりだろう。

政治家はボンボンおじいちゃんばかりで、未だに親父の代のやり方が常套手段だ。政治家から官僚や地方自治体まで、昭和に築かれた忖度ピラミッドによってこの国は運営され続けている。この忖度ピラミッドの建設費は、利権団体の票田と血税と若者の過労死で賄われている。

 

忖度ピラミッドは普通に暮らしていても、ある程度社会人経験があれば肌身で感じる。

地方のわけの分からない場所にポツンとある豪華な橋脚や道路、文学的な位置にある新幹線駅、日本各地に点在する税金を投げ飛ばす空港。

少子高齢化社会への対応が手遅れになってから手を付け始め、医療や介護は医師会や天下りにより汚染されている。新しい医療や介護の改正後に新たに生まれた法人の理事の顔ぶれを見ればすぐにわかる。

新聞は冷戦下のイデオロギー闘争のような不毛な大地を行く。いや、もうそんなのより大事なことが600くらいはあるよと若者は思っているが購買層が高齢者なので馴染みがあるのだろう。

テレビは技術大国だとかいって、世界で何本売れるか知らない日本刀の切れ味を賛辞し、中国や韓国に御家芸を奪われたことには目を瞑る。

忖度ピラミッドは、ブラック企業批判などで少しずつだが化けの皮が剥がれてきた。良い傾向ではある。

 

若者は、昭和幻想族から昭和幻想を押し付けられることに嫌気が差している。

働けば働くほど儲かった時代でもないのに、働けば働くほど良い未来があると吹聴される。働けば働くほど、というより長い時間だけ会社にいれば給料も経済も良くなる楽な時代では無いのに。

結婚して子供を作れというが、昭和幻想を夢見るために費やされた税金と借金の山を見れば、我々若者の未来は不安でしか無い。団塊の世代のように、巨人大鵬卵焼きがあれば良かった時代ではない。我々若者は、きっと将来酷いことになるのがわかっているからこそ、子供を作らないのである。そんなに我々若者は無責任ではない。植木等はもう死んだ。

どうせ将来ろくな事にはならないし、今よりきっと生活の質は落ちる。だから今のうちに準備しているのだ。だから車もブランド物も要らないように慣れておかなくてはならない。というか初めからそんなモノいるのか吟味しないほうが怖いんだけど。

未来への絶望がなければ、昭和幻想に言われなくても、家族を作り、車だってカッコイイのが欲しい・・・と思うだろう。一軒家を好きなインテリアで飾ったり、海外旅行だって2,3年に一回は行きたい。

だが、現在の社会でそんな贅沢は許されない。我々は贅沢は敵だと学んできたからだ。損するくらいなら何もしない方が良い。頑張っても報われないのなら、頑張っても正当な報酬がないのなら、すぐに辞めたって良い。

なんせ時間だけはまだたくさんありそうだから。

 

 

 

・・・というのが、地元の同年代の友人達と飲んだ時の会話を酔いと酔いの間で繋ぎ止めた絶望文学。

結局、幸せの尺度が変わっている、社会全体が変わっているのに、お上の方は違う違うそうじゃない状態なのが、日本を覆う何ともいえない空気感なのだろうか?

そんな中でも平成不況族は幸せなのだ。