『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』はコミュニケーションマニュアル本として読め!
現代人のストレスとは、ほとんどが人間関係だ。
特に会社では複雑な「仕事」をするために、多様かつ目的が違う人々とともに行動しなくてはならない。
そんな職場の人間関係の悩みを解決するツールとしてオススメなのが、『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』である。
著者のブログのこちらの記事がバズったので本になったとか。
こちらの記事だけでも有用だが、本は物語調でわかりやすく解説してある。
そんな本書だが、あくまでもコミュニケーションツールであると思って読んだほうが良い。
天才や凡人というのは一種の比喩であり、ようするに個人の目的意識やコミュニケーションの軸が違うことをまず認め、その中で円滑に人間関係を築くにはどうしたら良いかを綴ったマニュアル本だと思ったほうが良い。
ということで、レビューとマニュアル本としての使い方を書いてみる。
天才、秀才、凡人
天才=創造性
独創的な考えや着眼点をもち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる
秀才=再現性
論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる
凡人=共感性
感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける
本書ではこのように人間を分けて考える。
だがこれは能力の割合の話であって、天才=創造性100%という意味ではない。
誰しもがこの3様の能力を持ち合わせており、その割合の違いによって仕事の取り組み方やコミュニケーションが変わってくるという話。
個人的にオモシロイと思ったのは、「軸と評価」について。
友人にいくら野球の素晴らしさを語ったところで、そもそもスポーツに興味がない人とは会話が成り立たない。
これはスポーツに対する興味関心の軸の違いが決定的なのに、野球が好きか嫌いかの評価を変えようとするために起こる。
天才、秀才、凡人は、この軸が違うためにお互いが理解できない状況にある。
だからまず他者は理解できないということを認め、相手の軸に合わせてコミュニケーションを図ろうというわけだ。
そして事業は、天才が生み出し、秀才が管理運営し、凡人がフォローするという流れになる。
この過程で、天才が殺されるというのが本書のストーリーだ。
天才が生み出したものはたしかにすごいが、それを金に変え、事業を継続していくには秀才の論理的な管理能力が必要だ。
この創造性と再現性は折り合いをつけるのは難しい。ここで絶対的多数の凡人を引き込むためには、説明力が求められる。
しかし天才の創造性はこの説明力に欠ける。ジョブズがアップルから追い出されたのも、ジョブズの創造性がジョン・スカリーの論理的な説明力に負けたからだ。
なんせ説明力は数字や統計を使った論理性がある方が圧倒的に有利だ。ピカソの絵がなぜ素晴らしいのかと、数学の証明とでは圧倒的に後者のほうが理解しやすい。
結果として、創造性は論理的説明と多数決により敗北してしまう。これはベンチャー企業が大企業に成長すると創造性が低下するのと同じ構図だ。
ちょっと面白い見方をすると、これは政治にも言えると思う。
例えば日本の幕末のような激動期を例にしよう。
天才=吉田松陰
秀才=大久保利通、木戸孝允など
天才吉田松陰が、当時の人間では考えつかないような思想を生み、破天荒な行動により攘夷の機運を高める。
が、吉田松陰の思想は過激すぎて凡人にはついていけず、結局天才は殺される。
その後、吉田松陰が生んだ時代の空気を、大久保利通や木戸孝允などの秀才が「凡人の多数決を勝ち取るため」に論理的に構築し、明治維新を成し遂げた。
ナポレオンやロシア革命なんかも同じような構図に見えてくるので歴史好きには面白い。
ツールとして実践するには
本書の人間分別は、全くもって科学的エビデンスは無い。
が、非常に納得できる内容だ。
人にレッテルを貼るのは良くないと言われるが、この分別方法をコミュニケーションツールとして利用するのはビジネスに限らず有用だと思う。
①自分はどのタイプなのか?
まずは自分を知ることだ。
自分のタイプを知れば、今までコミュニケーションで失敗した理由がわかってくる。
ちなみに僕は秀才タイプだった。※本書には簡単な質問でどのタイプに当てはまるか教えてくれるテストがある
そして今までコミュニケーションで失敗したのは、決まって凡人タイプだということだ。
ちなみに秀才=有能という意味ではなくて、論理的思考が軸のタイプだと思ったほうが良い。
僕の場合は、仕事上の人間関係など本当は正直どうでも良い。ビジネスライクに努め、くだらない愚痴飲みニケーションは噴飯モノだし、早く帰って家族や趣味の時間を有効に使いたい。
なので、基本的に僕はあらゆる仕事を効率化することに務める。基本的に、僕のようなタイプからみると会社は非常に非効率的だ。
ということで効率化を推し進めるのだが、根回しが面倒なのでいつも古参社員などの保守派と対立する。だが今思ってみるとこの保守派・老害だと思っていた人たちは、凡人=共感タイプだった。
僕の効率化は、経営者や同じようなタイプの人間には評価されていたが、この共感型人間にはついていけないらしく、決まって足を引っ張られた。
もちろん日本の会社は空気を読み読み共感型経営なので、経営者や管理職も最終的破局期には味方してくれない。
気付けば経営者は効率化が図れてしかも悪役は僕に押し付けられたのでめでたしめでたしなのだ。
本書に出てくる悪役が皆、秀才タイプなのは日本の社会なら必然だろう。
とまあ愚痴はこれくらいにしておいて、自分のタイプを知ることで、コミュニケーションに対する傾向を理解できる。
たしかに僕は効率化を求めすぎてコミュニケーションがおざなりだった。個人的には効率化=善だから良いだろうと放っといておいたが、そうではない人もたくさんいるのだ。
まずは自分がどういう軸を持っており、それを他者に押し付けていないかを知ることが大事なのだ。
②自分の武器は何か?
しかしその個性は武器にもなる。
僕の非人道的論理的効率化は、一部の人からはかなり感謝された。
なんせ残業が無くなり、仕事に余裕ができるからだ。同じタイプの人間、もしくは子育て中で生活が忙しい人には感謝された。
天才タイプは、こういった仕事に意欲を感じないだろう。効率化への改善はたしかに創造性がないこともないが、決まった枠の中での作業だからだ。
凡人は共感を大事にするので、人間関係に波風が立ちやすい仕事は拒否するだろう。
このように、タイプにより特化した能力=武器は組織を運営する上で重要で、そのどれもが必要となる。
というか、これって武器なのだろうか?
僕はこの武器が、先程のコミュニケーションの軸の話と同質に見える。
これは「対象に対する捉え方」という軸の違いだと思えるからだ。
秀才タイプは、仕事という対象に対し、論理的な視点で望む。仕事の総量を確認し、どのようなサイクルで、どのようなシステムで、どのような・・・といったように、データ化して最適解を探そうとする。
凡人タイプは、まず人間関係があり、空気を読むことを優先する。
天才タイプは、対象に対し、より社会を良くするにはどうしたら良いかという視点で立つ。
このように、対象=仕事に対する軸の違いが、ここに書かれている個性となっているのだ。
結局、仕事をどう見ているかなのだと思う。
僕の場合、仕事とは処理するものであって、如何に効率よくするかを考えることが楽しかったりする。システムの穴を探すことが楽しいのだ。
まあ、そもそも労働意欲皆無なので、如何に楽に適当に処理して早く帰るかがモットーになっているけど。
③相手がどのタイプなのか?
職場の人間関係などどうでも良くてとにかく効率よく済ませてしまいたい僕のようなタイプは、このコミュニケーションが非常に面倒くさい。
かといってコミュニケーションできないと、効率化は不可能だ。
コミュニケーション障害なんて言葉があるが、共感力を左右するのは「対象を理解する気があるかないか」だと思う。
対象を理解するには、まず自分を曝け出さないといけない。これがハードルが高い。恥を掻くかも知れないし、プライドが傷つけられるかもしれない。
結局、コミュニケーションが下手な人というのは、対象を理解するための様々なリスクを恐れているのだ。
こうして勝手な判断でレッテル張りをして、相手を知る努力もせずにコミュニケーション不全に陥る。
これまさしく僕なんですけどね。
ここでこの本の登場です。
勝手なレッテル張りは、負の感情から始まっているので、コミュニケーションの動機にはなりづらいし、そもそもストレス。
なので、この本のタイプに合わせてレッテル張りをする。
天才や秀才や凡人だけでなく、創造性・再現性・共感性の能力値をRPGのパラメーターのように振り分ける。
そうすれば、対象をある程度客観的に評価できる。負の感情からのレッテル張りは完全に当てこすりの主観だが、パラメーター振り分けレッテル張りであれば、ひとまず相手を知ろうという冷静さを持ち得る。
例えば、A上司はゴマすりと責任逃れだけで生きているなと思えば、「創造性0・再現性3・共感性7」とか。10点を振り分けたり、各10点満点でも良い。
これである程度タイプを決めて、そのタイプに合わせたコミュニケーションを取れば案外うまくいくようになる。
なんせ今までコミュニケーションというか思考の軸が違ったのだから。
もちろんこのパラメーター振り分けレッテル張りは、ある程度の経験が必要だろう。
しかし、面倒だった人間関係がポケモンみたいになって多少楽になった。
④相手は何を欲しがっているか?
パラメーター振り分けレッテル張りが終われば、今度は相手が何を欲しがっているかを考えよう。
先程のポケモンで言えば、炎タイプのポケモンは草タイプに強く水タイプに弱い。この特性をうまく利用して、コミュニケーション・じゃんけんで打ち勝つのだ。
本書でも少しこのタイプ別の欲しがっているものが書かれている。
天才タイプは、創造性豊かだが、逆に他人に理解してもらえないことに悩んでいる。なんせ創造性は数値化し辛いからだ。だから創造性を評価してあげると喜ぶ。
秀才タイプは、論理的思考が得意なので逆に喋らせる。この「案件についてどう思うか」と聞かれた場合、以前その秀才タイプが話していた内容を挙げたあと、「もう一度教えて欲しい」と聞けば気を良くする。
共感タイプは、仕事の話より人間味ある話を聞いてやり、共感してやる。
またタイプにより相関関係がある。
天才タイプは、絶対多数の共感タイプに理解して欲しいが、秀才タイプには興味がない。
秀才タイプは、天才タイプに憧れと嫉妬心があり、共感タイプを見下している。
凡人タイプは、秀才タイプは勘違い野郎だと思っており、天才タイプは理解できないから排斥する。
この相関関係もうまく使えば、よりコミュニケーション勝者になれる。
今までの僕は、この相手のタイプを知ろうともせず、相手の欲しがっていることなどガン無視していた。
コミュニケーションが面倒だという人も、この相関関係を使えばマニュアルのように会話ができるのでだいぶ気軽になるのではないだろうか。
まとめ
まさにコミュニケーションマニュアル本だと思わんかね。
たしかになんのエビデンスもないレッテル張りでしかないが、人間簡易スケールのように使いやすい設定だ。
これがうまく当てはめることができたのであれば、システマチックに人間関係を俯瞰してみることができるので非常に楽ちんだ。
そして相手が求めているもの、相手の思考パターンなどを客観視し、最適解な返答ができるようになる。まさにオートマチックコミュニケーション!
しかし重要なのは相手への興味だろう。結局、相手あってのコミュニケーションなので、主観的な視点だけでは感情が先走ってしまう。
この本の最重要な視点とは、「人間の特性をパラメーター化してしまえば、人間関係を理解できる」という謎の自信を持つことができることだ。
「はは~ん、貴様は秀才タイプだな。しかも共感よりの」と、誰でも名探偵コナンになれる。そうして相手への神の視点=マウントポジションを取れるという幻想を手に入れることで、コミュニケーションにありがちな緊張やストレスを和らげるという効能がある。
個人的には、もっと酷いレッテル張りをして対人関係に対処していたが、総じて失敗に終わっていたため、この優しさ満ち溢れた人間簡易スケールを利用していこうと決心したわけだ。
かくいうあなたは何タイプ?
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「まだ東京で消耗してるの?」なんてことは言いませんが、都会生活がストレスな人にはド田舎がおすすめです。
ド田舎生活のメリット・デメリットを以前書きましたが、もうちょっと詳細な情報を書いてみようと思います。
データや統計(最近胡散臭い)では見れない、ド田舎の生活感が都会の人にも伝わるように。
ド田舎の定義
まずはド田舎の定義から。
僕はド田舎を「近隣の主要駅前に吉野家が無い地域」と定義しています。
なぜか?まず駅前に吉野家などの高回転牛丼チェーンが無いということは、経済的に死んでいるからです。
主要駅前レベルでも吉野家が無いということは、駅がビジネス利用されていないということになります。
ということは、駅前に大企業はおろかビジネス的な何かも発生していないのです。ド田舎は基本的に車移動であり、駅前に会社を置く必要性はなく、駅は学生と老人しか使いません。もちろんスタバなんか100km先にしか無いわ!
なので主要駅前に吉野家が無いということは、経済規模が小さく生産性が死んでいる地域=ド田舎です。
近代になっての都会とは、常に経済と密接な繋がりがあります。人口が少なかったり、近隣に大都市が無く、巨大工場や貿易港が設置できないような地域は、インフラ整備が成されずに最初から詰んでいる状態です。
そんな地域は一次産業で昔栄えてたくらいしか景気の良い話は聞かず、そして吉野家は来ません。
ということで、主要駅前に吉野家がないド田舎をド田舎とさせていただきます。
環境
とにかくこれだけは圧倒的に都会より良いです。
自然は言うまでもなく、とにかく刺激が少ないですね。
夜八時過ぎたら、街の明かりは消え、電車はおろか車すら殆ど走っていません。
蛙の声はうるさいとよく言われますが、夜中に走るトラックや電車の音に比べれば、すぐに慣れます。
水や空気もきれいで、都会の人がたまに山に行って「星がすんげえ~」っていうレベルの星が毎晩見れます。
逆に都会に遊びに行くとすぐ気管系をやられてしまうくらいです。
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都会はとにかく五感への刺激が強いですね。
「サピエンス全史」にあったように、そもそも人間が狩猟採集生活に適応した生き物です。
なので、現代社会はそもそも異常なんですよ。そんな中で、仕事だけでなく普段の生活から異常な空間に身を置くことは過剰なストレスだと思うわけです。
慣れと言えばオシマイですが、僕は本質的に慣れることは不可能だと思っています。
精神病があるのは人間だけですしね。基本的に一番のストレスは人間関係らしいのでその点は田舎も同じですが、環境からの物理的精神的ストレスに参っている人には都会生活は辛いものになるでしょう。
就職
仕事は無いです(キッパリ!)
優良企業は公務員ですが、鬱病量産装置ですね。
世間が狭いので、ムラ社会的情報網はまだ機能していますし、最近は減ったものの陰惨な田舎のあのイメージが原因かもしれません。
あとは郵便局か農協、地方銀行も人気でしたがたぶんAIに取って代わられるでしょう。地方銀行は未だにオンライン化のやる気はなく、窓口業務に注力していますので、老人向けの公的インフラになるでしょう。平日暇な老人以外はマジで使いづらいですね。
あとは建設業でしょうが、糞ブラックなのと老人だらけで大変らしいです。
ド田舎にUターンして一次産業につきたいという都会の人も多いみたいです。
「ソトコト」みたいな世界でしょうか。これは僕から言わせれば、役所と地域住民のやる気次第です。雑誌に掲載されるようなモデル地域は、地域人間間のネットワークと地域経済をうまく妥協的に合わせたモデルを作り上げているのですごいと思います。
これは役所の人間との協業が必須ですが、総じてド田舎の役所というのは人材的余裕やそういった経済感覚が疎すぎるのでかなり困難だと思います。
うちの近所で成功しているところは、都会からUターンしてきた人の飲食店網でしょうか。古民家を改装し、同じUターン者の有機栽培農園の野菜で作った料理を提供しています。
で、たまにUターン者や地元で頑張っている若い人たちとイベントをやったりしています。
お金は儲からないでしょうが、最近流行りの非経済的幸福感はすごく高まると思います。コミュニケーション能力が必須なんで人は選びそうです。
一次産業は超高齢化しており、特に猟師が絶滅したために獣害対策がお手上げになっているなど、社会問題になっています。
地域によっては補助金制度などもありますので、農業や漁業に関わらず誰でもカモンな状況です。
ですがその後のフォローは期待できないのが、最近良く見るUターン失敗談で垣間見ることができますね。
就職で一番オススメなのは、医療・介護分野です。
医療・介護は保健事業ですので、値段が決まってます。地域密着型なので都会との競争もありません。
しかもド田舎はそもそも労働人口減少しつつ高齢化社会ですので、本当に人不足です。なので都会との賃金差が一番少ない産業でもあります。
施設系はド田舎でもたくさんありますので、嫌なら辞めれば良いし、人材流動が激しいです。
介護専門求人サイトなどを見ても、そこまで都会との相対的な給料差はありません。
ちなみに看護師さんが最強です。
あとは何もないですね。本当に何もないです。なので専門技術を持たない一般大卒労働者が一番就職探しが難しいですね。あとやっぱりコネ社会なので。
労働環境ですが、これは都会と同じで『会社による』としか言いようがありません。
しかし総じて求められる能力ハードルは低いです。Excel使えない労働人口のほうが圧倒的なので。
人間関係は濃密で、仕事と生活の区別が微妙な業種もあります。が、以前ほどではないでしょう。
労働時間は業種によりますが、都会と比べると短いと思います。
あと通勤時間がかなり短いです。ほとんど車通勤ですが、朝のラッシュ時でも都会の殺人的な渋滞にはなりません。
労働人口が過激に減少してますので、労働者の高齢化はすごいです。
なので老害が跋扈しています。非生産的システムが通常運行してますので、せっかちな人はストレスの温床になります。まあそのおかげで求められる結果のハードルが低いですからね。
収入は都会に比べると糞です。なので若者は帰ってきません。
生活費の安さも、車の維持費などを加えると結局減収になります。一戸建てを買うなら都会より数千万円安いので、その分を加えて計算してみると良いでしょう。
ですが総じて貧困なので、他者との競争が無く、特にひもじい感覚は無いでしょう。
むしろ収入は減っても良いから、楽な仕事でそれなりの生活ができたら良いという人には、家族や趣味の時間が増えるのでプラスに働くでしょう。
あ、でも都会も田舎もハローワークの情報は嘘まみれなので、お気をつけください。
住居
家賃は安いですが、都会との賃金差からみると相対的な格安感はあまりありません。
もちろん空き家バンクなどをうまく探せば、巨大な豪邸が5万円とかでも借りれます。
が、古い田舎の家は作りは立派ですが、断熱や換気という概念がないので、夏暑く冬寒いです。
特に冬の板張りは氷のように冷たいですね。
一軒家を建てるとなると話は別で、土地代は都会の数十分の1レベルなので、大幅に安く家を建てることができます。
立地も基本的に車生活なので、駅チカとかどうでも良いです。
郊外であれば、1坪10万円以下とかありますしね。
3000万円でも庭付き一戸建てイケます。
ちなみに工務店の家は作りが頑丈ですが、田舎者が建てるのでデザイン性は皆無。
量産型ガンタンクのような家しか作ることはできませんが、一種のミニマリスト的デザインだと思えばよいでしょう。
これから空き家問題が深刻になりますので、空き家活用をうまくすれば人生最大の買い物である住居が無料になるかもしれません。
空き家リフォームなんてのも流行ってますしね。古民家でも、断熱材やサッシを入れれば十分住めます。作りだけは頑丈ですので。薪ストーブなんてのもオツですな。
ド田舎は駅前一等地でも空き家が増えてます。豪邸を建てても子供が帰ってきませんから当たり前です。
今後法制がどうなるかわかりませんが、空き家を放置することは安全面でも危険で景観を損ないますので、住居は無料で手に入る時代になるでしょう。
車
車が無いと就職もできないというのは本当です。
車がある前提で誰しもが生きており、インフラ設計も当然車ありきなので、夫に先立たれた免許なしばあちゃんが買い物難民になるのが問題になっています。
あと田舎の認知症老人が免許返納しないのも、認知症が原因の一つではありますが生活が成り立たないという現実問題があるからです。
もちろん公共交通機関はすでに死んでいるので、話題にも上がりません。
車の維持費は年100万円ともいわれています。
この負担と都会との賃金差を比べて田舎暮らしを否定する人がいますが、車も持たずに生活できる都会ってそんなに無いんじゃないかと思ってます。
東京以外だと、よほど坪単価が高いところに住んでいる人だけじゃないでしょうか?
東京並みに電車や地下鉄が整備されているところを他にないのを見ると、まあ日本はモータリゼーションなんでしょう。
ちなみにド田舎の車保有台数は、一家族の成人=台数です。
現在70歳以上の女性はあまり免許を持っていませんが、それ以外だと9割免許持ってますし、マイカー持ちです。
なので、家族に一台ミニバン(ノア・セレナ・ステップワゴン)、あとは全部軽自動車。おじいちゃんは軽トラ、たまに独身居候息子がスバルのWRX乗ってます。
最近はSUVが人気ですので、ミニバンがSUVになったりしてますがだいたいこんな感じです。
保有台数が多いので、その分車にかけられお金は減りますので、300万円前後の車を買うのが限界です。総じて貧困なので、300万円前後の車でも「頑張ったなあ~」といわれます。
土建屋の社長はクラウン、都会に憧れる田舎者はゴルフかミニクーパー、間違ってもベンツやBMWは走ってません。数少ない成功者がLEXUSでブイブイいわしてます。
あと車でいうとネズミ捕りが半端ないです。
ド田舎の警察は本当に暇らしく、天気の良い日は税金ガソリンを使ってドライブしています。あとネズミ捕りにだけは命を懸けており、一昔前は竹やぶの中に潜んでいたことがありました。白ヘルメットにサングラス姿だったので、パンダかと思いました。もちろん捕まりました。
買い物
死んでます。この一言。
家電量販店とか行くと、キオスクかってくらい必要最低限のものしかありません。
スーパーマーケットなどは、地域の生鮮食品は品質も良い割に安いですが、あとは都会より若干高いです。
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でも最近はAmazonなどのネットショッピングのおかげでこの障壁はほぼ無くなりました。
ネットで情報を得て、たまに都会に行って実物を拝み、ネットで買えば最速1日半で届きます。
ですがネットを使えない人々が大半なので、だいたい同じ物を着て同じ物を食って同じ物を家に飾っています。
若い人でも未だにネットショッピング怖いとか言っているので、そのへんのリテラシーが都会人と大きな隔たりを感じます。
ですがネットショッピング慣れしていれば、ほとんど都会と同じ生活も可能です。
当然ですが、困るのがネットでしか買えないということです。
急に入り用になったものはすぐ買えませんし、数少ない店に行ってもドラクエの武器屋くらい選択肢がない中での買い物になります。
あと本は特に困ります。町唯一の本屋は、本当に売れ筋しか置いていません。
Amazonの中身チェックみたいなサービスもそんなに使い勝手良くないですし、都会のように立ち読みして好きなものを選ぶことが難しいです。個人的にパラっと立ち読みして本を買うのが好きなので・・・
まあ本以外でも、例えば服の質感だとか、靴の微妙なサイズ、贈り物を買うときなんかも困りますね。やっぱりこの辺は実店舗にまだネットが劣ってますね。
AmazonのPrime Wardrobeのような返品サービスは面倒ですし、ZOZOスーツは期待したけど駄目なようですね。
文化
おそらく一番手に入らないものです。
文化的な何かは存在しません。もちろん郷土の偉人なんかで有名人がいるド田舎だと多少違うかもしれませんが、総じてクソです。
美術館どころか映画館すらないですしね。
あとコンサートなんかも演歌歌手かのりピー並に落ちぶれた人しか来ません。綾小路きみまろはよく来ます。
各種イベントごとは町の祭りくらい。アイドルの追っかけやスポーツ観戦が趣味の人は、交通費でかなりの出費をくらいます。
文化的な何かとの遭遇が皆無なので、そういった概念を表出するだけで奇人扱いを受けるでしょう。芸術家はもちろんいません(陶芸のおじさんならいる)
医療
これもアウトですね。
町唯一の総合病院は医師不足なのに高齢者のたまり場となっているので、もはや制度的死を迎えています。
医師もこんな田舎に来るのは嫌らしく、研修医のような若い医者ばかり。良い意味で都会の人のための練習場になっているのかもしれません。
総合病院が1つしか無いので、市の辺縁部に住む住人は、受診はおろか救急車が到着するまで1時間近く待たなければならない地域もあります。
なので重病者か小金持ちは都会の病院へ転院する人も多いです。
ということで、脳梗塞や癌などの高度な医療やその後の生活に影響を与える病気に対しては、必要最低限の医療しかないと思っておいたほうが良いでしょう。
しかし必要最低限以上の医療がいるレベルであれば、やはり都会の専門病院に行くのは日本全国同じなので、そこのところを割り切れればというところでしょうか。
介護
介護問題が凶暴化しており、もはや主要産業になってしまいました。
ド田舎は都会へ労働人口を輸出し、気付けばオートマチック姥捨て山になってしまいました。これはかなり社会的要因が強いですが、世界中どこも同じなので資本主義経済へのアンチテーゼとして存在しています。
市全体の高齢化率が30%越えているところもあるようですが、介護施設はどこも満員で・・・と思いきや、老人ホームなんかはぼちぼち空いているらしいです。
なんせ少子高齢社会が数十年前から訪れているので、老人すら減り始めているのです。
もちろん団塊の世代がこれから押し寄せるので、空きは帳消しされるでしょうが。
ちなみにUターン者には、介護施設が有力な就労先になっています。
親の介護問題ですが、子どもが都会に出ていったっきり帰ってこないのがベターなので、身寄りのない老人がウヨウヨいます。
都会に引き取るのも困難で、地域も人口減少で共同体が解れていますので、目の行き届かないポイントが増えています。
近所のばあちゃんは、草を燃やしたまま忘れちゃって納屋黒焦げにしちゃってました。
世知がない世の中としか言いようがないですね。
教育
これは良い面と悪い面が極端です。
良い面は、競争がほぼないことです。私立小中進学校が存在しないので、お受験戦争とかドラマでしか観たことありません。
基本的に近所の学校に通います。高校で多少偏差値が分かれますが、過激な競争は上位数%だけでしょう。
東大合格者が出ようものなら、個人情報ダダ漏れで街中に知れ渡ります。まあほぼいませんが。よくネットでMARCHがウンタラカンタラ言われていますが、MARCH行けたら地元の名士でしょう。たぶん。
悪い面は競争が無さ過ぎることでしょうか。
金持ちや高学歴者もいないので教育環境はしれています。より高みを目指したい場合は都会の学校に愛する我が子を送る以外方法はないです。
勉強のような数値化できる競争は、結局のところ競争が激しく、さらにその競争を当たり前だと思っている集団に属さなければまずモチベーションが上がりません。
思春期の児童は空気を読むことに必死で周囲に合わせがちなので、ガリ勉キャラを嫌う傾向にあります。子供時代は進化学的にもいわれていますが、親より友人に合わせるからです。
周りに競争がなければ勉強へのモチベーションが下がるどころか、勉強が悪になってしまうのです。これが金持ちがええとこの学校に子どもをねじ込む由縁です。
向上心のない僕のようなのはド田舎でちょうど良かったですが。
なので子供の将来を考えると、高度プロフェッショナルとかいうポジションにつかせたいのであれば、または最新の技術を身につかせたいのであれば、ド田舎では不可能です。
そもそも大学自体がないので、18才過ぎたらほぼ県外へ進学します。そのため、ド田舎は18~22才までの人口が極端に少ないです。戦争でもあったのかってくらい、この世代はほぼ消え失せます。そして帰ってくるのは2割にも満たない。
逆に子どもの成長に欠かせない清らかで自然な環境は無償です。個人的に成長期にはきれいな自然環境で子育てしたいというのもあってUターンしました。まあ僕の遺伝子を半分受け継ぐ時点で労働意欲皆無でしょうから、勉強よりも好きなことをやってほしいという希望があります。
あといじめ問題はやっぱりあります。
が、評判の悪い田舎ネットワークですが、治安維持には大いに役立ってます。
これは地域によるでしょうが、うちの地域の場合、悪さをするとすぐに情報が広まります。ツイッター炎上とか目じゃないです。なんせみんな顔見知りですからね。
総貧困であらゆる競争が皆無なのでちょっと目につくと叩かれる危険性が高い半面、悪いことは地域の目で監視されています。
地域コミュニティが崩壊している都会に比べ、そういった排除の論理が効いている分、都会のような酷いいじめは起こりにくい・・・と個人的には思っていますが、まあ個人因子が大きいので断言できませんね。
ちなみにかつてのムラ社会的陰湿田舎ネットワークは、人口減少しすぎて維持できなくなっていますので昔よりは幾分マシです。
ド田舎の教育について一番言えるのは、家族との時間が大事にできる点です。
仕事にもよりますが、基本的に通勤時間はそんなにかかりませんし、都会よりも労働時間は短い傾向にあります。
自然が多いので、子供と一緒に遊べる環境も多いです。
少子高齢化なので地域で子供は大切にされます。子供と散歩すると、畑作業中の人から野菜がもらえるという特典も!
学校勉強の教育も大切ですが、家族の時間を共有することも個人的には大切だと思ってます。ちなみに昨日はメダカ観察に行きました。
精神
さっき書いたように、ド田舎の(都会に比べて)濃密なネットワークが嫌な人は多いでしょう。
しかしド田舎は総貧困でどこも似たような生活をしており、過剰な競争はありません。
また自然環境は素晴らしいです。都会的な刺激は少ないですが、都会の刺激って要するに金なので、貧乏人はただ指くわえて眺めてますよね。僕もそうでした。あれは結局、金で刺激を買うだけなので、ちょっとそういった環境から離れるとどうでも良くなります。
人間関係は濃いですが能力が高い人間がそもそもいませんので、仕事面での求められるハードルは低いです。Excel使えるだけで有能者扱いですよ。コミュニケーション能力は必要ですが。
要するに、環境からの刺激が少ないことが一番精神に影響があると思います。
他者への羨望や嫉妬などからくるストレスはほぼ無いです。都会から来ればわかりますが、年収300万円あれば御の字の世界なので物質所有的な格差感はほぼないです。そもそも生活のスタイルも似通ってますしね。
そういった他者との差異は、たとえ気にしていなくても無意識レベルでストレスになっているものです。これは自然環境にも言えますが。
環境刺激がノイズとして感じる人にはド田舎は最高だと思います。
逆に言えば刺激が無さ過ぎることがストレスになる人もいるかもしれません。
向上心の強い人には地獄でしょう。文化的な消費はほぼ不可能です。
ですが刺激というのは現代社会において、結局消費なんですよ。金で買う消費は、物質で無くとも満足することはできません。
都会にある刺激の消費とは、麻薬みたいなもので、過程が省略されているから擬似的な満足感しか得られません。過程をインフラや経済合理性ですっ飛ばしてますからね。そしてその過程の過程で儲けるのがエンタメでしょうか?
結局、満足感や幸福度は人によるとは思いますが、ド田舎は外部刺激が少ない環境というのがポイントです。
外部刺激は人間の力でどうすることもできませんから、環境を変える以外方法はありません。
外部刺激の中でも満足感を得られる+αがある人は、都会生活が良いでしょう。高度な仕事や高収入、都会的な消費が幸福度に変えられる人です。
そうでない人で、しかも外部刺激がノイズに感じる人は、生活レベルを落としてでもド田舎に住むことで幸福度が上がると思います。
またどちらもそこから動くなというわけではないので、たまにどちらかへ移動した生活も可能です。ド田舎といっても一応日本ですので、たまの休日に都会を消費しに行くのも良いでしょう。都会の人が山に森林浴へ行くようなものです。
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僕の場合、都会の外部刺激は完全にストレスでした。
五感への刺激はもちろん、常に他人が蠢いている感覚や、常態的な渋滞、あと何か急かされている感覚、こういったものが積み重なってストレスになってました。
ド田舎は外部刺激がほぼありません。好都合なことに、趣味が読書や登山やキャンプで、労働意欲皆無ですから、こうやってブログの副収入を趣味につぎ込んで遊ぶのが性に合ってます。
もちろんたまに都会に遊びに行きますが、都会とはたまに行くくらいの付き合い丁度良いようです。
上記記事にも書きましたが、都会は社会システム操作感が強いです。社会システムの枠内で努力すれば、社会システム的な成功を収めますが、それだけの労力に見合うかどうかは最近議論されています。
ド田舎も無論システム内にありますが、辺縁部ですので影響は小さいです。システムの中心に近ければ近いほど、可能性や豊かさはありますが、その分競争や外部刺激が苛烈になります。
その辺の棲み分けが、現在世界の先進国で広がっているようにも思います。
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こうしてみると、ド田舎は逆説的に個人の自由が保たれています。
もちろん地域ネットワークはありますが、最近は強制加入でも無くなってます。
都会はシステム的なネットワークは強制加入です。それが目に見えて露骨なところが、外部刺激になっているとも言えますね。
反システム的な生き方についても書きましたので参照ください。
まとめ『ド田舎で幸福な人とは』
ド田舎で幸福な人とは、「都会の外部刺激が苦痛」で「社会システム内での成功よりも個人や家族の時間を大切にしたい人」にはオススメです。
逆に経済的豊かさやキャリアアップ、利便性の良いシステム、文化的な何かを愛する人はオススメできません。
日本社会はこういったライフスタイルの選択が、土地に縛られているように思います。
東京一極集中のように、土地に根ざした社会形態になっているからです。
なので自由度が低く、しかも土地から離れるハードルが高いので、幸福度が低いのかもしれません。
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現在はド田舎ですら少子高齢社会によるプラスの影響=寛容性が向上しています。
昔のような民俗学的イメージの田舎は今後減っていくでしょう。そんなところは本当に過疎化が進んで文字通り消滅します。
寛容性というよりは、人口増加モデル経済の限界がそうさせているように思います。かつての田舎は一次産業に金をバラマキ、公共事業を無計画にやっておけば維持できました。そうして都会へ労働者を派遣していたのです。結局、田中角栄型の昭和経済は、ド田舎=派遣会社だったんですね。
このまま少子高齢社会が進めば、ド田舎は死に絶えます。
いずれスモールシティ化とかで、過疎地域はインフラ整備が停止し、森へ帰ることでしょう。
しかしド田舎は経済的には貧困ですが、都会より伸び代はあると思ってます。
経済的成功より静かな環境や時間を求める人には良いところですし、人口減少により生じた空間で何か新しいイノベーションが生まれるかもしれません。
また地域コミュニティ内だけでの経済が発展すれば、共存共栄コミュニティとして幸福度の高い生活が送れるかもしれません。
むしろ最近は地域コミュニティ経済を作らないと、買い物ができない地域もありますからね。
人間の幸福度は、経済的成功よりも、こういったコミュニティ内で他者に認めてもらうことで向上するらしいです。TEDで見ました。
これもすべて、今までの社会システムの限界を国民が認め始めたからでしょう。経済的な豊かさのために支払った代償を、皆がヒシヒシと感じています。
要するに、僕は働きたくないんですよ(笑)