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少子高齢化人口減少社会はもうどうしようもない「すばらしき新世界」

p-shirokuma.hatenadiary.com

非常に感慨深く拝見させてもらった良記事。

欧米列強国の思想や政治社会形態を表面だけ「先進国マニュアル」として利用してみたら、裏で大変なことが起きちゃってたぞ!というのは夏目漱石が明治時代から指摘をしていたことでもある。

だが世は弱肉強食の帝国主義時代~混乱の第二次世界大戦後という人類史上最も不可思議な時代にあっては、致し方なかったとしか言えないだろう。

 

ここにド田舎からの視点を少しだけ入れさせてもらいたい。勝手に。

 

田舎から都心部への若者の移動というのは、世界万国共通の先進国モデル。

第二次世界大戦後は、総力戦体制の延長としての生産力大戦争なのだから、生産労働人口が多ければ多いほど有利になる。もちろん適材適所に注力することをお忘れなく。

日本の場合、国土の7割が山林で覆われており、輸出入に適した港を持つ平野部というのは限られている。

 

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これで割りを食ったのは、明治維新前までは人口がめちゃくちゃ多かった日本海側だ。

小さな漁村であった神戸や横浜なんぞを筆頭とした先進国モデル都市に、人口をドンドン吸い取られてしまった。

維新前の農業国時代から、一気に工業国へとモデルチェンジをしたがために、日本海民族大移動が起きたのだ。

産業革命はフン族となり、我ら日本海民族を太平洋ベルトへ追い落とした。

画して二度の世界大戦を経たあとも、高度経済成長時代から平成大不況時代を含め、日本海民族大移動はせっせと行われていた。

 

 

 

それでだ。

僕の同級生は7割は地元を離れ、都会で暮らしている。

当たり前だ。なんせ地元には仕事がない。

まず大学がないので、猫も杓子も大学に行く時代において、18歳を過ぎると8割以上は都会に流れ込む。

そして帰ってこない。田舎民は貧しいので、この学費高騰時代において多額の奨学金を返すためには少しでもお給金が多いに越したことがない。

地元は市役所くらいしか並の給料は払えない。もちろん地元企業はそんな体力すら無い。

都会の大学や専門学校も、そんなド田舎の求人集めなど何のメリットもないのでやる気なし。

 

結局都会で就職し、都会で結婚する。

相手が都会の人であれば、実家に連れて帰ろうものなら『UNIQLO無いとかどうやって生活しているの?』と言われてしまう。

田舎は家もデカイし土地も有り余っているが、帰ってこなければ永久の機会損失の眠りにつく。

 

平成大不況時代、何とか就職したが給料は上がらない。

都会は物価が高いし、とにかく家賃払いが苦しい。これに奨学金だ。

貯金もできないし、忙しい合間にできる趣味くらいしか楽しみがない。

だが結婚したらそれすらできなくなる→独身貴族化

結婚したぞ!でも子供は無理だし自分たちのライフスタイル崩したくない→仲良し夫婦化

 

そんな社会でも何とか子供を育ててみたら、社会の厳しさが数段レベルアップする。

子供が熱出した!休めない。

保育園いっぱい!働けない。

税金!家賃!奨学金!教育貯金!保険!・・・・一人で限界だ

 

 

僕(30歳前半)の周りはみんなこんな感じだ。

そもそも30歳過ぎても、9人いた小学校の同級生男子で結婚して子供がいるのは3人だけ。

子供が2人以上いるのはわずか1人。

 

しかし子沢山家庭もある。

30歳代ですでに3人いる家庭も。

同級生の女子に多いが、地元の男性と結婚し、どちらかの実家で3~4世帯同居しているマンモス家族だ。

曾祖父さん婆さんの年金と米・野菜

祖父:退職後再就職、祖母:パート

自分たち:共働き

6馬力で家賃なし!家を建てたり増築しても田んぼ潰せば土地代なし!米と野菜は無料!子供が熱出したらばあちゃん出動!

結局、少子化の原因は数あれど、核家族化と家賃奨学金出費&家の広さが原因しているのではないか!という結論だ。

 

都会というただでさえ出費の多い場所で暮らすには、並の家庭なら共働きは必須。

だがそのため、マンパワー偏重の育児は誰かに頼むしか無い。

その誰かは昔は家族や親戚であったが、都市化によりそれはなかなか難しく、社会保障制度に頼るしか無い。

だがその社会保障制度はインフラ整備が大不足して頼りにならない。

また労働環境も育児に対して全く配慮されていない。

狭いアパートでの半集団生活では子供はストレスの発生源になってしまう。子供が更にほしければ、もう一部屋欲しくなる。だがさらに家賃は上がる。郊外に転居?都会に家を建てる?どうやって?

よって子供は増えない・・・のではなく、経済や社会を維持向上させるために、口減らしされている。

まさに「人間のためのシステムが、システムのための人間になった」のである。

なんせ核家族で共働きというのは、システムにとって一番都合も効率も良いのだから。

 

 

 

国会では女性の社会進出や働き方改革とかいってパフォーマンスしているが、実際やる気はないのは国民全員の共通見解である。

これはなぜか?これだけ問題になっているのになぜ抜本的な改革をしないのか?

 

これには2つ理由が考えられる。

①すでに手の施しようがないから。

いろいろな調査でも出ているように、すでに少子高齢化人口減少社会はどうしようもない決定事項となっている。

だがロボットやAIを使えば大丈夫♪なんて議論がせっせと行われているが、この人間としての種本来の営みの軽視が平然と行われているくらい人命は価値が低下しているようだ。

生物は種の保存を第一テーマとして生きている。

人口=経済という考えはもちろん古いが、人間がここまで繁栄して70億人まで増えたのも、DNAに深く刻まれたテーマのおかげなのだ。

が、人口は減少し、それを良しとする人まで出ている。

これは、「人口減少が手の施しようがない状態という状態が受け入れらる種」として人間がバージョンアップしたとみるか?それともレミングの集団自殺の最初の一歩なのか?

 

②人間の生活より社会システムの方が尊いから。

おかれている価値が転倒し、経済や社会のシステムの維持こそが命題となってしまったパターン。

もはや現代社会はひとつの生き物だ。

AIよりも前にシンギュラリティーは起きていた。

なんせこれだけ保育園不足や労働問題が取り沙汰されても、日本では巨大なデモは起きず、火炎瓶は飛ばない。

これは、もはやこのシステムに誰もが組み込まれているからだ。

誰しもがこの問題に大きなテコ入れすることは、システムのご機嫌を損ねると思っている。

保育や介護の問題は、税金を上げ、高所得者からはさらに税金を取り、政治家を減らし、官僚機構の無駄を排除し・・・と誰もが思うが誰もそれが実行できるとは思っていない。

どこぞの高級住宅地では児童施設建設反対運動が起きているようだが、あれは人間よりもシステム側の反応である。

これはトランプ大統領誕生やヘイトクライムと本質は同じだ。

人間は豊かさや安全と引き換えに、少しずつ主体性をシステム側に譲り渡し、そして本当に歯車の一つになってしまった。

このシステムは複雑系で冷酷だが出ていくには忍びない。普通の人間には、そんなリスクが取れないようになっている。子供の頃からこの中だけで生きていくように育てられ学んできたのだから。

 

よって、「子供が増えないのは生きるために仕方がないこと」として甘んじて受け入れるしか無いようだ。

高齢化も然り。高齢者は金になるが、子供はそんなに儲からない。

多額の税金を払ってきた高齢者を蔑ろにすることは、システム存続維持にとって問題だ。ゴールまではできるだけ見通しが良いほうが親切だ。

子供はそうではない。現代社会は、先進国の子供が大きくなるまでのコストよりも、ずっと安くて効率的なモノを探し求めている。

中国やミャンマーで大きな工場ができればできるほど、先進国の子供は減っていく。そして中国やミャンマーも同じ轍を進み、次はアジアかアフリカか?

 

ド田舎とは、この巨大な運動のまず最初に消費尽くされた所だ。

今や、経済どころか政治にまで無視されようとしている。

 

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だが、皮肉にもそこでは子供が増えている。

これは人間の静かな抵抗である。

 

追記版

nounai-backpacker.hatenablog.jp

 

システムについて

nounai-backpacker.hatenablog.jp

長文ですが、今回の記事でも言及した社会システムについてです。

 

 

nounai-backpacker.hatenablog.jp

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