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日本の生きづらさは夏目漱石が明治時代から指摘をしていたという話

 

最近、保育園落ちた日本死ねとかブラック企業とか下流老人とか若者の貧困とか世代間格差とか・・・我らが日本の悪いところが噴出しております。

まあどんな国だろうが社会だろうが家庭だろうが、問題だらけなのは当たり前ですので、当然だといえば当然なのですが。

それにつけても最近は本当に「日本大丈夫か?」と心配になるわけであります。

でも日本は未だGDP三位の大国であるのは間違いないわけで、保育園に子供が入れなくても餓死するわけではないし、アフリカみたいに伝染病ですぐに死んでしまうわけでもないのは確かです。

しかし無い物ねだりは置いておくにしても、なぜ日本はこんなに生きづらいのか?

そんな疑問を明治時代から考えていた人がおりました。

 

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夏目漱石です。

「坊っちゃん」や「吾輩は猫である」の旧千円札な夏目漱石さんです。

小説家というイメージが一般的ですが、夏目漱石は批評家としても一流でした。

今回は夏目漱石が語っていた文明開化を通じた日本論が、今の日本にも当てはまるというお話です。

 

 

開化とは?

漱石文明論集 (岩波文庫)

漱石文明論集 (岩波文庫)

 

漱石は開化を、

人間活力の発現の経路である。

と定義します。

要するに開化とは人類の発展の歴史であり、その結果=現代と考えればわかりやすいでしょう。

 

漱石はこの開化の活力は二通りあると論じます。

一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。

人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。

またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫なりだから前のに対して消極的と申したのであります。

要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘きままに勢力を費したいと云う娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができるのであります。

まとめると、 

①積極的=活力消耗=芸術や娯楽

②消極的=活力節約=技術の発展による労働負荷の低減

 

う~ん人間ってのはできるだけ楽したいみたいです。

まあ当たり前ですね。

人類の発展とはこの二通りの活力によって進み、現代に至ったわけです。

おかげさまで今や車に乗って遠くまでいけるし、ネットで買物はできるし、映画や音楽を自宅で楽しめます。食料だって簡単に手に入り、調理も簡単、水や燃料や衛生の管理も楽ちんです。

 

しかし、一向に生活は楽にならない。

 

じいちゃんの代と比べても、生活は遥かに便利で豊かになったのに、忙しさや苦労はむしろ酷くなっているような気がします。

そんなことを言うと「最近の若いもんはたるんどる!」と怒られそうですが、これは苦労のベクトルが変わったのです。

明治時代と比較すると、労働に関しての必要な知識と技術は格段に増加しました。肉体労働や読み書きができれば生活できた当時と違い、今はパソコン技術はほぼ必須ですし様々な知識や資格がなければより良い生活や環境を手にすることができません。

情報や交通が便利になったために、求められるスピードも格段に早まりました。Amazonの商品が半日で届くなんてのが良い例です。

 

昔の人間と今の人間がどのくらい幸福の程度において違っているかと云えば――あるいは不幸の程度において違っているかと云えば――活力消耗活力節約の両工夫において大差はあるかも知れないが、生存競争から生ずる不安や努力に至ってはけっして昔より楽になっていない

否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。それだけの努力をあえてしなければ死んでしまう。やむをえないからやる。のみならず道楽の念はとにかく道楽の途はまだ開けていなかったから、こうしたい、ああしたいと云う方角も程度も至って微弱なもので、たまに足を伸したり手を休めたりして、満足していたくらいのものだろうと思われる。

今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。

 

人間は現状に満足できないために、知恵を絞って技術を発明するが、それによりまた生活の求める欲求が増大するということを言っています。 

 

これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝かたじけなさが頭に応こたえなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。 

 

人間の欲求増大の「イタチごっこ」こそがパラドックスであり、「生きづらさ」の元兇なのです。

でもここまでは西洋発の社会システムを採用していれば、どこにでも当てはまる問題ですが、ここからは日本についてです。

 

 

 

日本の開化の特殊な事情

さらに漱石は日本特有の事情を論じます。

漱石は当時の超エリートで、最先端の国イギリス留学までしていますが、そこで漱石は「病み」ます。

彼はそんな中で開化を身をもって体験し、日本に持ち帰ったわけです。

 

西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。

 

日本の開化は御存知の通り、西洋のモノをがむしゃらに輸入しては無理矢理組み込んでいった外注品でした。

西洋は血生臭い革命を通して、自らの歴史を元に長い年月をかけて開化を行いました。日本はその根本にあるものを経験することなく、上っ面だけを取り入れたのです。

そのため日本は何をするにも西洋の基準に合わせないといけなくなります。

 

時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。 

 

ここで日本は「自己本位」の概念を喪失したのです。

 

すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張ふんばるために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。

私の結論はそれだけに過ぎない。

 

まとめ

結局、漱石は悲観的な結論のまま話を終えてしまいます。

いかにも「こころ」とか書きそうな奴です。

 

僕なりのまとめですと、

・「生きづらさ」は人類の発展の動機が原因であるため、良くも悪くもならない。

・日本の社会問題は土台のないシステムの上に成り立っているのだから仕方がない。

というところでしょうか。

 

これは完全にマルクスもディスってますね。

人間は欲求のおかげでここまで発展してきたために、欲求を元手に借金してぎりぎり回している中小企業みたいなシステムの中でしか生きられないようです。

ソ連や中国型の社会主義政策が失敗したのを見るまでもなく、資本主義と民主主義のセットが一番理にかなっているのでしょう。生産と消費を妥協的に回転させながら。

謂わば空虚が元にあるのだと思います。身を粉にして何かを生産し、その穴埋めのために欲しくもない物を消費する。ブームだとか流行の冷めやすさなんか見てるとまさにそうだと思います。

「結局、何をしても空虚じゃないか」というニヒリズムが結果となって現れます。

 

日本はさらに中心となるシステムがそもそも空虚の上に成り立っている。

維新では西洋列強に、敗戦後はGHQより出来上がったモノを与えられました。

そこに責任はありません。

だからこそ、その場しのぎで現状維持というのがベターな戦略になってしまうのではないか?

しかしそんなガラパゴス戦略の限界が最近一気に表出してきました。

こういうシステムだと、うまくいっているときはなかなか問題に気づきません。

今では国家の基幹たる経済でも安全でも福祉でも教育でも、毎日ニュースに尽きません。

 

そしてその対策の仕方が全くわからない。

世界最先端の高齢化社会になってしまいお手本がない状況、グローバル社会で時代の変化が格段に早まり、文明の衝突で示されたような世界情勢・・・評論家なんかがあーだこーだ言っていますが、結局何も変わらないんじゃないかというニヒリズムにしか落ち着きどころがないのが現状です。

そんな「お先真っ暗感」を払拭するためにも、漱石の語る「自己本位」という考えが大切だと僕は思うので、次回それについて書いてみようと思います。

 

 

PS.夏目漱石を千円札に選んだ奴は、めちゃくちゃ性格悪いに違いない。

 

漱石文明論集 (岩波文庫)

漱石文明論集 (岩波文庫)