「オリガモリソヴナの反語法」の感想

f:id:tetsujin96:20170116234329j:plain

新生児と暮らしているとなかなか本が読めない今日このごろ。

そんな読書とは無縁の日々が続いた挙句、厳冬に「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んだ。

なぜ手に取ったかというと、某サイトですごく押されていたからだ。

最近、ネットサーフィン中に良き本との出会いが同時多発的に巻き起こっているので、我が積ん読の山の構成員と相成った初の米原万里著作である。

 

目次

 

真冬に読むべきは収容所文学

「暑いときにこそ、熱いお茶を飲め」とか「寒い時は寒中水泳」なんていうおばあちゃんの知恵袋的民間療法は何だか体育会的根性論過ぎて、文系低血圧な僕には向いていない。

しかし、僕は寒がりだ。

そんな時は、度を越した「寒さ」の本を読むことにしている。

中でも骨身にしみる寒さと言えば、「収容所文学」である。

 

収容所文学とは、ソビエト連邦というかつて存在した真っ赤なくせに非常に寒い国のラーゲリ(強制収容所)が何かしら関わっている著作のことで、僕が勝手にそう呼んでいる。

ラーゲリとは、ソ連の政治犯や捕虜を、今のロシア周辺のむちゃくちゃ寒いところにぶち込んで凍った黒パンと味なしスープだけで働かせまくって殺しまくったという人類最悪の負の歴史の一つである。

特にスターリン時代には、何の罪もない一般市民が、ほんの些細なことで(外人と文通、西欧の格好をした、彼の方と目があった)秘密警察に連行されて、銃殺、良くても強制労働八年なんて食らうのが日常茶飯事であった。

とにかく今の平和な時代では想像できない人権もクソもない話である。というか労働者のための共産主義国が電通もびっくりなブラック国家だったのは歴史の皮肉である。

 

「オリガモリソヴナの反語法」もそんな収容所文学であり、その中でも『本当に日本人が書いたのか?』と驚愕してしまう偉大な収容所文学だといえる。

※おすすめ収容所文学は最後の方で紹介してます。

 

 

オリガモリソヴナの反語法の舞台

小説は3つの時代と舞台によって構成されている。この使い方が非常に上手いのだが、少し歴史を知らないと「?」だらけでフルシチョフに批判されることだろう。

 

①スターリン時代(1930年代~1953年)

②1960年代のチェコのプラハ

③1992年ソ連崩壊後のモスクワ

 

この3つの年代が非常に絶妙だ。

主人公は志摩という日本人で、父親の仕事の都合で②の時代のチェコのプラハでソビエト学校で過ごす。

そこで志摩はたくさんの友人と、強烈なダンス教師「オリガ・モリソヴナ」に出会う。

オリガ・モリソヴナは自称五十代だが、七〇にも八〇にも見えるおばあさん。だが冷戦時代にも関わらずド派手な格好と傍若無人な振る舞いで強烈なインパクトを周囲に撒き散らしていた。

ちなみに「オリガモリソヴナの反語法」とは、オリガ・モリソヴナがダンスのレッスン中に、下手な生徒をあえてべた褒めすることを指す。

オリガ・モリソヴナとその友人エリオノーラ・ミハイロノヴナは謎多き人物で、志摩や友人たちはその謎にとても興味をいだいた。

そんな楽しかった日々は、志摩の日本への帰国によって終わる。

 

時代は③のソ連崩壊後。

子育ても一段落した志摩は、「ロシア」の首都モスクワに旅をする。

目的はかつての友人たちを探すこともあったが、最大の理由はあのオリガ・モリソヴナの過去を知るための旅であった。

旧友やオリガ・モリソヴナを知る人達の協力を得て、オリガ・モリソヴナの過去を探っていくと、オリガ・モリソヴナは①スターリン時代に銃殺されていたことがわかり・・・

 

てな具合で、歴史の闇を暴く大推理が始まっていく。

この小説はネタバレ一切厳禁なので、これからは考察。

 

 

オリガ・モリソヴナと人間賛歌

オリガ・モリソヴナの反語法」は、スターリン時代の暗部を非常にうまく使った推理小説だと思う。

人類史上でも異端すぎる悲劇の中でも、過酷に生き抜いた女の意地が、陳腐な反戦ヒューマニズム臭くない、重厚かつ原初的な人間賛歌へ見事走り続ける。というか、走り去っていく。

オリガ・モリソヴナの湯婆婆(僕のイメージ)みたいな強烈なキャラクターも、過去を知ると、過酷な経験によって「そうなった」という人間の年輪のようなものがはっきりと捉えられる。それくらい人物描写は簡潔だが完璧なのだ。

 

エリオノーラ・ミハイロノヴナという女性の存在も物語に燦然と輝く。

こちらはオリガ・モリソヴナと真反対な貴族のような優雅さを持つ老婦人。

半分、認知症のようだが、その認知症のような姿こそ、オリガ・モリソヴナとは違う種の人間の強さを感じることになる。

 

後出しジャンケンな今の世だからこそ言えるのだが、この人間の強さを描く最高の舞台が皮肉にもスターリン時代のラーゲリなのだ。

富や名誉どころか、家族からも引き剥がされ、家畜のように列車に積み込まれる。

収容所文学の見どころ?はこの列車での輸送である。厳寒のシベリヤや中央アジアまで、何の暖房設備もない列車に、すし詰めにされて送られる囚人たち。

囚人といっても、ほとんどが無罪か無罪の囚人の家族なのだ。

 

突然すぎる世界の変化による絶望は、如何程だったのだろうか?

身に覚えがないことで家や財産から追われ、家族に連絡する暇もなく連行される。

人間的な全てを奪われ、まさに家畜のように扱われるのだ。

そんな中でも何とか生き抜こうとする人間の凄み、そしてそこから敗れ去る人間の弱さ。

物語の冒頭のオリガたちの姿が、読み終わると全く違って見えてくるのは、そんな過酷な日々を追体験できたからだ。

後悔しきれない大きなものを失っても生き抜いた二人だからこそ、人間の持つ強さと弱さを超えた存在感を放つことができる。

この冒頭と終盤の大きなギャップから感じたことこそ、「オリガ・モリソヴナの反語法」の持つ最大のテーマであり、それは読む人によって違う答えがある。

 

ラーゲリで起きたであろう無数の物語を、オリガとエリオノーラを主軸に紡いでいく手法は、小説における超絶技巧なので必読だと思う。テンポが早いのだが、一発一発芯に来る重いパンチなので、読書好きにはたまらない時間になるだろう。500ページあるが、僕は2日で見た。

 

【スポンサーリンク】
 

 

戦う女性像と米原万里

オリガたちの人生を推理する志摩たちも含め、とにかく女性ばかり出てくる小説でもある。

そしてこの小説に出てくる女性は兎角なにかと戦っている。オリガたちだけでなく、バツイチ子持ちの志摩や友人カーチャも。

女性が戦うというと、某党の代表のようなイメージかもしれないが、そういった見せかけではなく、人生とガチンコしているのだ。

このガチンコ感が所々で強く押し出ている。少女のようなエネルギッシュさと、ふとした瞬間の悲しさ、そして反骨心。宮﨑駿の描く強い女性像のそれに近い。

 

特に志摩の描写がうまいと感じた。

志摩はオリガのようなダンサーになる夢破れ、若く結婚し、そしてバツイチ子持ちとなる。オリガに比べれば、何てことない平和な人生だが、この小説ではそれでも戦っている志摩をオリガと対比することで描いている。

全く条件は違うものの、何か意地を張ってでも戦っている姿が目に浮かぶ。

こういった小説では普通、「昔の人は大変ね。今は楽だわ~私ダメだわ~明日から頑張ろっと!」といった話で尻すぼみするのが常であるが、作者である米原万里の前ではそれは通じない。

 

米原万里は初お目見えであったが、かなりのインテリで、主人公志摩の経歴は本人とほぼ同じ。ちなみにオリガ・モリソヴナは実在する(小説のオリガと経歴は全く違う)

そもそもこの小説も、ノンフィクションにする予定だったとか。

米原万里は、父親が共産党の議員であり、本人も共産党に在籍していたこともあるようで、なんかそれっぽい女性像が頻出するのも頷ける(^O^)

若くして亡くなったのは、非常に残念だ。

 

 

まとめ「収容所文学の傑作」

寒い時期に読む収容所文学が最高だ。

こんな日本の冬くらいでへこたれてはならんと、背骨がキュッとなる。

久し振りすぎる小説一気読みであったが、今まで見た小説10傑に間違いなく入ると思う。

 

ちなみに収容所文学のオススメも書いておこう。

 

こちらは収容所文学の聖典。

ソルジェニーツィン先生だと「収容所群島」の方が良さそうだが、非常に長いのと暗すぎて途中で挫折したので。

「イワン・デニーソヴィチの一日」は、収容所の一日をただただリアルに書いた小説で、収容所の生活を知るにも、そして文学的にも最高である。

とにかく何か食いたくなってたまらなくなる本でもある。

そして社会とは?権力とは?人間とは?と頭も痛くなってくる名著。

 

 

こちらもラーゲリが出て来る、サイコサスペンスモノ。

連続殺人鬼に立ち向かう主人公家族の姿がかっこいいが、ラーゲリへの輸送の辛さは見ていて吐きそうになった。

続編はまだ見ていないので、今度読んでみよう。

 

 

こちらはスターリン時代のラーゲリよりも、もっと前の元祖収容所文学。

至高のドストエフスキー先生の名作。こちらは妻殺しで捕まった男のシベリア送り。

しかし暗いわあ~。

ドストエフスキーを読んで人間不信になったあの頃が懐かしい。

 

 

こちらは文学ではないが、そもそもなぜラーゲリができたのか?なぜあんな非人道的なことができたのか?なぜスターリンは権力者になれたのか?などなど、ソ連を知るための良書。

結局、市民のための革命だったのが、党の統治体制維持だけが目的化した挙句、権力闘争も絡んでいったソ連の歴史。つうか、だいたい赤色革命は同じ道を歩む。なぜか?それはあなた達の国はまだ農業国だからです。

ソ連=党が所有した国家」もおすすめ。

 

 

おすすめリンク 

nounai-backpacker.hatenablog.jp