「神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源」の要約とレビュー

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神は、脳がつくった――200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源

神が脳を作ったのではなく、脳が神を作ったという話。

神学論争かと思いきや、人類の脳の発達を段階的に追っていき、ついに神という存在が認知されていく過程が書かれている。

要するに脳の進化を追った脳の歴史本でもある。

これが面白いことに、現代の子供の発達に非常に似ている。

我々の原始的な脳(脳幹など)が魚に似ているように、脳自体も古代の生物から少しずつ進化していき、ついに人間に大脳皮質が与えられた。

この本は、脳の進化を辿りながら、人類の歴史を紡いでいく、非常にトリッキーなスタイルでとても面白かった。

脳科学に興味がある人にもおすすめできる。

 

 

 

 

人類進化の疑問→平行進化

最近の新発見や学説によると、農耕や道具などの技術、果ては儀式や学問や芸術までもが、(数十万年単位の人類史から見ると)ほぼ同じ時期に全く別々のところで生まれているという。

これは従来の歴史ーアフリカから人類は移動し進化していったーからみると、困惑する事実であった。

これを脳の発達として捉えると、納得いく説明をすることができる。

 

そもそも論だがアフリカを出る前に、すでに人類の脳は自分を過去と未来に位置づけることができる能力(自伝的記憶)が可能になっていた

このような認知能力を持ったまま、世界各地に散らばったため、人口圧力のような似たような選択圧を受けると同じような結果に行き着いたのではないかという説である。

 

洞窟画や祖先信仰や農業が、数千年の違いでヨーロッパ、中国、アメリカ大陸で始められたのは、平行進化であったのだ。

平行進化は動物にもあり、古代から大陸と切り離されていたオーストラリアの動物は姿形は違えど、旧大陸の同じ種の動物とほぼ同じ脳を持っている。

 

 

自己認識

ここからは脳の発達と共に、人類の歴史を見てみよう。

集団で狩猟採集生活を行い、道具や火を使うことで高栄養な食事が行えるようになった人類(ホモ・エレクトス)は、脳が肥大していった

 

そして前頭前野が発達し、人類は自己認識が可能となった。

鏡像認知(鏡に写ったのは自分だとわかる)ができる動物はかなり少ない。

人間は2歳位から、鏡像認知が可能となり、「ぼく」「わたし」といった意味の言葉を使い始める。

ちなみに認知症になり前頭前野が萎縮すると、自分を意識した行動や、自分や他者の感情が認識できなくなってしまう。

 

自己認識が可能となることで、他者の存在を認識できるようになる。

始めはオオカミなどの集団生活をする動物と同程度の他者認識であったが、次第に他者が何を考えているか、他者とどう接すれば喜ばれるかなどの想像ができるようになった。

これは自己認識ができているからこそ可能である

この他者認識のおかげで、人類は集団生活が可能となった。オオカミなどの群れが力関係を基底とした服従による集団形成であったのと違い、他者の心を意識することで人類はより複雑な集団を作ることができるようになった。

これが進化すると、思いやりが生まれたり、ミラーニューロンシステムにより他者により共感できるようになってくる。

この能力が低い自閉症や発達障害の人が社会に馴染むのに苦労するのは、微妙な表情からでも他者の意図を汲むような高度なコミュニケーションが難しいからだ。

個人的な話だが、なんでみんな声に出さなくても暗黙の了解ができるのか甚だ疑問な僕からすると、この話はすごく身に染みる(笑)

 

 

内省的自己認識

自己認識が進化すると、内省的自己認識が可能となっていく。

内省的自己認識により、我々ホモ・サピエンスは道具や文明を発展させていった。

内省的自己認識とは、「人々の考えについての、他の人々の考えについての、他の人々について考えること」という高度で複雑な認知能力だ=二次の心の理論

 

これにより客観的視点、他者にどう思われているか、そして自分について考える自分について考えることができるようになった。

ちなみに、この時期から装飾品が作られるようになる。これが今のブランド品や化粧になっていくのだ。

まさにアダムとイブではないか!

 

この認識は、自分のことを考える他者のことを考える自分の・・・と入れ子構造を果てしなく増やすことができる。

これが現代の科学や論理的思考にまで繋がっており、人類の最も根本的な特徴と言われている。

 

 

 

神々の生まれる土壌

内省的自己認識、他者認識が可能となることで初めて、「神」の存在が認知できる。

そして、神は人の心を読むことができるー超自然的存在に見張られているー社会秩序の誕生という流れが形成される。

これにより、未知の現象を「雷は神が怒っているからだ」と説明できるようになる。

他者の心を推論→超自然現象を推論=神々の信仰

ちなみに先程述べた自閉症患者は、神への信仰心が一般人に比べ著しく低いらしい。

 

ホモ・サピエンスより大きな脳と頑強な身体を持っていたネアンデルタール人が滅びたのは、この認知能力の違いであると言われている。

ネアンデルタール人も他者の行動について考えることができ、集団で狩りをしていたというが、自分の過去と将来を考え計画を立てたりすることができなかったようだ。

第三者の視点を持たないネアンデルタール人は、自己を内観することができず、ホモ・サピエンスに破れ滅び去った(最近はネアンデルタール人は私たちと交配した説が有力)

 

 

言語の誕生

言語はグルーミング(猿の毛づくろい)のようなコミュニケーションから生まれたという説がある。

集団が増えすぎたことで、グルーミングのようなコミュニケーション手段が対応できなくなり、一度に大勢とコミュニケーションのとれる言語が生まれたという。

「内省的自己認識=自分の内面生活の実況放送→自分の思考を考える言語」という関連で、内省的自己認識と言語は揃って発達した可能性があるという。

これには抽象的思考・自分自身のコミュニケーション・他者への気付きが必要なことからも頷けるだろう。

動物は欲求の合図などはするが、自分の考えや世界観を語ることはない。

解剖学者J・カーヴァー曰く「類人猿がしゃべらないのは唯一の理由は、言うべきことが何もないからだ」

言語の発達は進化を推し進め、今でも噂話が流行っているように、言語能力が高い人間が進化の過程で生き残りやすかったのだ。

 

 

将来の把握:自伝的記憶

子どもは4歳くらいになると自伝的記憶=エピソード記憶が可能となる。

これにより、過去に起きたことをつなぎ合わせて自己を作っていくことになる。

自伝的記憶は長期記憶に分類される。

長期記憶は他に意味記憶があるが、これは「フランスの首都はパリ」といった事実を保存する。

自伝的記憶は、過去の出来事を感覚と感情の両面を保存している。

自分の通った高校の名前や場所の記憶=意味記憶

登校初日の気持ちや出来事=自伝的記憶

自伝的記憶の発達により、過去と将来の次元が認知的に統合され、時間的自己認識が形成されることで人は過去を利用して将来を把握することができる

よって人間の「今」とは、過去と将来の出来事が含まれているのだ。

 

自伝的記憶と言語の発達により、ホモ・サピエンスは過去の出来事から学び計画を立て、それを仲間と協力して実行可能となった。

過去の記憶から獲物(サケやトナカイ)が移動する季節に合わせて計画的に行動したり、集団で時間を合わせて共同で狩りをすることができるようになった。

これがネアンデルタール人との決定的な違いであったのだ。

内省的自己認識は心の中の時間旅行であり、それを他者と言語で共有することで、将来の計画や他者との共同作業が可能となった

 

 

 

宗教思想の出現

やっとここから本題。

人類が進化の過程で得た能力により、様々な影響があった。

そしてついに宗教思想が誕生する。

その過程を見てみよう。

 

死の意味

時間的自己認識+自伝的記憶が深まると、ホモ・サピエンスは死を理解するようになる。

死を理解しているのは、人間だけだという。これは自伝的記憶があるからだ。

過去の記憶から将来を見通せる人間は死を恐れ、その不安から逃れるために自尊心や文化的世界観を生んだという説がある。

人間の活動は、すべて死を避け、克服することが原動力になっている。その原動力が、事実への解決策を見出す努力となっていく。

 

夢の意味

すべての哺乳類は夢を見るという説もあるらしいが、ホモ・サピエンスは夢の意味を解釈しようとした。

諸説あるが、人は夢を死後の世界や超自然的存在と結びつけた。

これは世界中の伝承を比較すると、地域が違っても似たような夢の内容が神話となっていることが理由としてあげられている。

 

祖先信仰

狩猟採集時代の遺跡から、祖先信仰の痕跡が発見されている。

また現代の狩猟採集民も、祖先信仰が行われており、アフリカの神々は祖先が重要な位置を占めている。

狩猟採集民の祖先信仰は、狩りの成功を祈るために行われていた。狩りの上手かった祖先が神となったのだ。

また農業革命以後、土地の所有権という概念が生まれた。土地の所有権の正当性に意味合いを持たせるために祖先が使われた。

農業は自然を相手としているため、不確定要素が多く、救いを求める意味でも祖先信仰が行われた。

狩猟採集民は獲物を捕らえるために、農業定住民は収穫と救いを求めるために。

 

 

最初期の神々

祖先信仰が次第に「神」の信仰へと発展していく。

この祖先信仰が神へと変化し、農業革命により人口が増加したことで神の序列ができるようになる。

1万年前よりメソポタミアなどで大都市が生まれた。

メソポタミアの宗教の第一段階は、自然や死と結びついた神々の出現であった。

第二段階では、世俗的な支配者が出現し、神の力の一部を奪い始める。権力の正当性や軍事指導者としての責任を引き受けることで、権力を増していく。

都市には神殿が作られ、祭りや政治が行われるようになる。

始め食物の確保や死後の運命を守るのが責務だった神は、文明が複雑化することで政治や司法などの社会的責任を引き受けることになった。

また都市間の戦争でも神は利用されるようになる。これは現代も変わらない。

 

枢軸時代

さらに文明が複雑化し、2800年前に神々や宗教の最終段階が訪れる。

世界各地に巨大文明が起こり、帝国が誕生する。

この紀元前800~200年の間に、儒教、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教が生まれた。ここにギリシャ哲学も含まれる。

まさに宗教の平行進化だ。この時代を枢軸時代という・

枢軸時代の宗教は、死に解答や恩恵を与え、政治や経済と結びつき巨大化していく。

その過程で、過去の宗教や神々を借りてくることが重要であった。

ユダヤ教がメソポタミアの神々を取り入れ、それがキリスト教やイスラム教に繋がっていくように。

 

 

 

まとめ「神と脳」

僕の長年の疑問であった宗教の歴史が、脳の進化でわりと納得できた。

長年の疑問とは、平行進化だ。

四大文明や世界宗教がほぼ同時に、しかも遠く離れた地域で誕生していること。

これが「脳の認知能力の進化+ある程度の人口圧+都市化」で説明することができる。

アフリカを出た時にはすでに我々の脳はほぼ出来上がっており、あとはお得意の環境適応で「似たような」結果を生んだのだ。

 

あと面白かったのは、内省的自己認識と時間的自伝的記憶により入れ子状の論理的思考ができるようになったのは良いが、そのせいで将来の不安や死の恐れまで生んでしまったことだ。

この不安が集団化や信仰を生み、それが哲学や神になり、気付けば現代の科学や資本主義まで生んだというわけだ。

また祖先信仰から都市と政治の誕生により俗世間寄りの神様が生まれたというのは、いかにも人間らしい適応能力だと思う。

そう考えると、現代の宗教の役割がスピリチュアルな部分に回帰していることはかなりわかりやすい反応だと思う。

 

宗教があれだけ隆盛を極めたのは、遺伝子レベルでの淘汰があったからという説もある。

要するに信仰心の厚い人は、より集団化でき、より思いやりがあるため、生き残る可能性が高かったからだ。現代より不確定要素が多い時代、人々は協力し合うことで子孫を増やしてきたことを考えると、その過程が戦争であったり魔女狩りであったり帝国主義だったりしたんだなあと思い何だか感慨深い。

現代のコミュニケーション至上主義は、この他者との協力がシステム化されてしまったことへのアンチテーゼのようにも思える。

 

人類の発展を網羅している「サピエンス全史」と合わせて読むと、かなり面白い歴史的視点を手に入れることができる。

 

 

そして現代社会の我々はというと・・・

 

とにかく「神は、脳がつくった――200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源」はとてもオススメなスゴ本。

専門的な脳の知識は要らず、初心者向けに書かれているので、これから脳という不思議な世界に没入するきっかけには良いかも。

あ、脳はマジでよくわからんけど結局、人間は脳なので、人間を知りたい人は最終的に脳を攻めることになると思います。