「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」を見て働くこととは何かを考える

シェフ 三ツ星フードトラック始めました (字幕版)

 

この映画、ずっと見たかったんだけども、やっとアマゾンプライム会員なら無料で見ることができるようになった。あ、実質無料ではない。

映画自体はとても面白かった。この映画は「働くこととはなにか」を考えさせてくれる。

「働くこと」「労働」は、この時代になってやっとこさブラック企業があぶりだされている日本において、純粋に労働を楽しめている人間なんて1%もいないんじゃないだろうか?

この映画は労働に対するシンプルだが、誰しもが忘れている大事な部分をあぶり出してくれた。

あぶり出すというか、挟んで焼いてくれたというか。

 

目次:

 

 

あらすじ

気鋭のシェフであった主人公カールは、有名レストランで働いている。

堅物の経営者となかなか合わないが、名声のあるシェフとして自他共に認めるプロフェッショナルだ。

だが家庭はというと、妻と離婚し子供との関係もギクシャクしている。典型的な家庭を犠牲にする仕事人間。

ある日、著名な評論家が来店することを知る。カールは腕によりをかけたオリジナル料理で勝負しようとするも、堅物オーナーに定番メニューを出すよういわれる。

口論になるも「この店は俺のものだ」と言われ、結局命令通り古臭い定番メニューで勝負するが・・・ボロクソ。

評論家は著名なブロガーであり、ネット上で罵詈雑言を浴びせられ、さらにそれがSNSで拡散されていることを知ったカールは激怒。

息子に頼んでTwitterの使い方を習い、反撃することに。だが、彼はSNSがどういったものか知らなかった。

彼はTwitterをメールのようなものだと思い込み、よりによってフォロワー数十万人の評論家のタイムラインに宣戦布告なる檄文を送ってしまう。

これはもちろん拡散され、公開生勝負のような状態に陥る。

 

再戦を望んだカールだが、またしてもオーナーと大喧嘩になり、挙句の果てにクビになる。

さらに店に訪れた評論家に下品極まりない悪態をつく。

要約すると「俺たちが頑張って作ったものなのに、何の努力もしていないお前が偉そうに評論する資格はあるのか?」とか「お前の評論のせいで店が潰れたらどうするんだ」というような真っ当な意見でもあったのだが。

これが動画でYou Tubeにアップロードされ、大炎上。仕事も、そしてシェフとしてのブランドを失ったカールは打ちのめされてしまう。

 

そんな彼を救ったのは元嫁と息子。

カールはプライドを捨て、一から息子と友人と共に料理で勝負することにした。

自分の作りたい大好きな料理をフードトラックで・・・

 

あらすじはざっとこの様な感じで、結末は書かないでもわかるだろうが、V字回復のハッピーエンドだ。だがその過程が非常に秀逸なので、ぜひ見て欲しい。

ここからは、労働について。

 

 

労働は誰のために?

カールはシェフの仕事が大好きで、自らの天職だと思っている。

腕も一流で、シェフとしての名声もあり、いわば成功者である。

だが、彼は所詮雇われシェフであった。

結局、経営者によりカールの自由は束縛され、本来の自分の能力が発揮できなかった。

 

産業革命以降、仕事は極限まで分業化され、もはや何を作っているのか?何のために働いているのかわからなくなるまで細分化かつ専門化されている。

かのマルクスはこれを疎外と呼んだ。現代の高度な資本主義社会では、こういった「何のために?」がもはや当たり前になっている。

マックス・ウェーバーは、「資本主義が作る秩序=システム」の歯車になることだと言った。現代社会に置いて、資本主義システムから逃れることはまず不可能だ。生活物資やインフラ設備、医療や教育、あらゆることに資本主義システムが入り込んでいるからだ。

このシステムに適応しようと努力しなければ、失業という形で閉め出されてしまい。生活の安全は保たれない。これをダーウィンの自然淘汰ならぬ「経済的淘汰」とも言った。

要するに、カールは資本主義システムから逸脱したため、経済的淘汰されたのだった。経営者に歯向かい、公衆(ネット上も含め)の道徳も無視し、挙句の果てに個人的にも炎上したためにシェフとしてのブランドも失った。

 

だが、これってどうなのだろう?

たしかに下品な罵詈雑言を一応客である評論家に浴びせたのは悪いかもしれないが、カールが自由に料理を作っていたらどうだっただろうか?もちろん批判されたかもしれないが、経営者によって不本意な形でしか働かせてもらえなかった怒りが彼をあのような行動に駆り立てたとも言えないだろうか?

というか、誰もがカールのように爆発はしないまでも、同じ様な思いは腐るほどしてきただろう。

経営者の理不尽な要求、自分より能力のない上司の命令、そして不当な評価・・・

高度な資本主義システムにより、ただでさえ働く意味を失っている人たちにとって、これは共感できる感情だろう。

だが労働者は、「資本主義システムから経済的淘汰される恐怖」により、人々は自分を殺している。

 

しかしこれは経営者の方にも言えることなのだ

経営者も結局は、資本主義システムに囚われている。評論家の評価次第で、店が繁盛するか、それとも潰れてしまうかの瀬戸際である。この経営者は判断を間違えたが。

もちろん、共産主義でも同じ様な事はあるだろう。あっちはシベリア送りだ。

要するに、働くこととは現代の高度なシステムの中であれば、イデオロギーや国や人種は関係なく、すべての人間が歯車でしかないのだ。

そう、人間がシステムを使っているのではなく、システムが人間を使っているのだ。

 

 

カールの小さな反抗を見てスカッとするのはなぜか?

カールは結局、(家族のアドバイスを受け)シンプルに自分の作りたい物を作ると決めた。

一流シェフが、フードトラック(屋台)でキューバサンドイッチを売ることにしたのだ。

カールはこの時、もちろん資本主義システムの中にいたが、資本主義システムらしからぬ行動に出た。

一流シェフという勝ち組が、素朴な屋台で好きなものを作って売るという行動に出たのだ。

これは既存社会の勝ちパターン=正攻法に対する小さな反抗である。

 

カールは自分が思っていたシェフという仕事の成功、名声を得て店を持ちミシュランガイドなんかに載っちゃう凄腕シェフ(たぶん)を捨てたのだ。

この勝負は大成功となる。例の炎上事件により「時の人」になっていたカールは、自分を経済的淘汰に追いやったSNSの力により、フードトラックは大繁盛する。

カールは資本主義システムの最近のエースであるSNSにより潰され、そこからまたSNSの力で跳ね上がったのだった。

この映画の醍醐味は、この奇妙なV字回復の成功譚だ。ここでものすごくスカッとする。ハリウッド映画のハッピーエンドは基本的にV字かW字回復のストーリーだが、正直安心感はあるものの見飽きたパターンだ。

だが、この映画のスカッと感はかなり強烈だった。数あるレビューを見ても、「家族愛」や「幸せ」といったワードが溢れている。

 

しかし、僕はここに「資本主義システムへのツバ吐きと諦め」が調味料としてプラスされているように思う。

カールの行動は資本主義システムの勝ちパターンへの反抗であり、非エリート的で、根性論だ。そんな方法だが、カールは大成功する。そこにはカールの自由な料理、家族、友人があった。

これは資本主義システムへのツバ吐きである。僕のような労働意欲皆無で日々仕事のストレスでイライラしている人間にとって、これは実に爽快である。作中には出てこないが、あの経営者の苦虫を噛み潰したような顔が浮かぶ。あ、ダスティン・ホフマンです。

 

だが、ここにはわかりやすい資本主義システムへの諦めも描写されている。

まず、元嫁が異常に金持ちだ。その協力の下、元嫁の大富豪の元夫にフードトラックを無料でもらっている。

そしてSNSという資本主義の権化の絶大なパワーにより、復活への怒涛の加速を行っている。

結局、成功したのは資本主義システムだからこそなのだ。

カールは、資本主義システムにより踊らされたピエロである。

聴衆は、そんな資本主義システムの中で歯車になることを認め、そして諦めている。

そう、カールの活躍がスカッとして「家族愛」とか「幸せ」なんて思うのは、それが見慣れた諦めの原野のよくあることだからだ。

すべてが神の意志により予定されていたような決定的な運命感、その予定調和的だが激しいアップダウンの生き方こそ、我々がそこの住人だと自認する資本主義システムなのだ。

だからこの映画はなぜか安心してみることができる。かなり破天荒な生き方に見えて、結局は資本主義社会での勝ちパターンの一つである。腕があり、コネがあり、金もある。我々庶民が諦めている物が全て揃った上での失敗であり成功であるのだ。

 

 

 

働くこととは結局・・・

 

この映画を見て、「働くこと」「労働」とは何かがわかった。

結局は、才能と人脈とマネーである。それが無い、もしくはそれに向けて努力する気がないのであれば、システムの歯車として黙って働くしか無い。

この映画の素晴らしいところは、こういった「諦め」を無意識のうちにこれで良いんだと認めさせてくれる安心感をうまく作り込んでいるところだ。

非日常的なストーリーに見えて、ニュースや週刊誌やドラマなどを見れば腐るほどあるパターンの一つであり、我々が過ごす日常を肯定している。

 

僕は、金持ちのボンボンも成功者も並みのサラリーマンも貧困者も自己責任だとは思わないが、それで満足/こんなもんかな/仕方がないと本音の部分で認めているのであれば、それで良いと思っている。

僕自身、金は茹だるほど欲しいが、かと言ってそのために死ぬほど努力したり、起業しようなんて気はこれっぽっちもない。ある程度安定していて、週末に趣味を楽しんだり家族と過ごせればそれで良い。だから宝くじを買うのだ。

僕はこのシステムが嫌いではあるが、そこから抜け出る術は無いし度胸もない。だがこの資本主義システムは人間に一番あっているのだと思う。

 

カールの成功譚は、システムの中で生きることを意識/無意識下で認めている人間であれば、きっとどこかで共感できるポイントが有る。

勉強や技術力を向上させるため、成功するために努力している人はカールのプロ意識にグラッと来るだろうし、仕事よりも関係性を大事にしている人ならマーティン - ジョン・レグイザモなんか男気があって好きだろうし、僕みたいなタイプは安定志向で二日酔い気味なトニーの気持ちが痛いほどわかる。

要するに、働くこととはシステムの中であろうとなかろうと、その人自身なのだ。労働=人であり、労働から得られる情報によってその人は判断される。これが資本主義社会だ。

 

 

なんでこんな事を書いたかというと、すでにおわかりだろうがマックス・ウェーバーに最近お熱なのだ。

なんだこの虚無感は!ああああ!!!!働きたくねえ!!!!!!

 

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